ワークショップ道場#5「矛盾をはらんだ(※しかし気にしない)まとめ?」
ここまで、「演劇ワークショップ」にまつわる概論や抽象論や受け売りに終始してきましたが、そのまま今回で1度、軽くまとめてみようと思います。
演劇ワークショップを具体的にはどのように実施し、それにどのような効果がある(あるいは、ない)のか、については、事業パートナーであるNPO法人フリンジシアタープロジェクトのサイト(http://www.fringe-tp.net/)の「演劇で学ぼう」にアップされているので、そちらをご参照ください。ちなみに、そこの「KAIKA芸術監督就任に寄せて」という文章が、我ながら良く書けているので、探してみてください。
さて、私が演劇をなぜ始めたのか、なぜ続けているのかは、端的に言えば「女の子にモテたいから」なのですが、そんな私が演劇という切り口から「教育」に関わる事になったのは、そして今でも続けているのは、根本的な所は何なんだろう、と考えてみています。そして、現在(衛星暦16年8月初旬現在)のところは、「単純系科学的思考偏重への挑戦」だと思っています。
このコーナーのバックナンバーを読んでいただきますとわかると思うのですが、終始「あくまで受け売りですが」「と言えるかもしれません」というような、曖昧な表現を多様しています。論文とか判決文では、曖昧な表現ではいけない事になっていますが、「科学」的に考えると、そうおいそれと「断定」できないのです。事はそう単純ではなく、「こういう狙いでこういうワークをすれば、こういう結果が得られる」と言ってしまうのは、様々な誤解や不幸な結果をもたらします。自然現象も、社会現象も、複雑なのです。(複雑系については、わかりやすくネット上でまとめてくださってる記事を見つけたので引用します。http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4716/complex.htm)
明治という猛烈な「欧化」の時代に設計された教育システムは、特に戦後の「科学が絶対である」という価値観でより固定化し、「目に見えた因果関係(しかも、それも幻想に過ぎない)が無ければ、行動できない」つまり「未知の状況に即応できない」人間を大量に世に送り出すベルトコンベアーとなってしまっていると感じます。しかも、そのシステムからすらも脱落する人々(引きこもり等)も多くなっています。
私たちは、子ども(大人もですが)たちに演劇という「集団で、面白いんだか面白くないんだかわからないという『未知』に挑戦する。」ことに参加してもらい、その恐ろしさと楽しさを体験してもらい、私たちにも常に何らかの刺激や変化をもたらしてもらう(双方向な関係)事を目指し、学校をはじめとするあらゆるシーンで「演劇(ワークショップ)」を実施しています。
とまあ、「狙い」を明らかにした単純系科学的なまとめになったようにも見えますが、そんな自己矛盾はまるで気にしないのです。
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