ワークショップ道場仮表紙

ワークショップ道場#2「受け売り道場?」

この草稿は「演劇ワークショップ」というテーマでの連作ですので、「演劇教育」と「ワークショップ」の両面から詰めていくと、良いでしょうね。前回が演劇教育のとっかかりでしたので、次は「ワークショップ」に関して、受け売りオンパレードで展開していきたいと思います。

学問の世界では、当然「引用」が多用されます。引用は正義です。なぜなら、学問は先人からの「智の集積」であり、これまで発見されたり理論化されたものをきちんと引用して、そこに新たな「智」を上乗せしていく事が、学問の役割だからです。

しかし、「引用」には、「誰が何と言ったのか」を明らかにすべし、というルールがあります。これは、大きくは2つの意味から当然のことで、まず引用元が科学的にちゃんとした出自であることを証明する必要があります。「@@年に@@国の@@という学者が@@という著作の中で述べた」という事です。「ばあさんが生前、毎日のように言っていた」事だと、弱いかもしれんという事ですね。もう1つは、知的財産権を守る、ということで、学問はやはり「誰が発見したのか」という事が大事ですから、それを明らかにするという事です。随分前に亡くなった方の知的財産権は消失しているかもしれませんが、その方の名誉は守られるべきです。

私がみずからの文章の中で「受け売り」と称しているのは、この誰がどう言ったものなのか、を明らかにしていないという事です。理由はいくつかありますが、まずは世間話のようなシチュエーションで出て来たいわゆる「まめ知識」みたいなものも、それっぽく理屈として展開しているのですが、「それは、どこからの引用ですか?」と言われると困ってしまいます。「@@さんと、立ち話してた時に、ごにょごにょ…」となってしまいます。

また、単純に「誰が言ってたのか、正確には知らないけど、ああなるほどねという説得力のある理屈」を引っ張って来た時には、「引用」ではなく、「受け売り」として紹介します。

以上のような理由で、引用としての正確さは求めず、スピードとそれっぽさを重視して、私は受け売りを多用します。

さて、これで終わると今回は「蓮行流受け売り道場かよ」となってしまいますが(ある意味では極めて正しいのですが)、「ワークショップ」についても少し論じないわけにはいきません。

これは受け売りなのですが、「ワークショップ」という言葉が日本に入って来たのは30年程前らしく、どうやら建築の分野で、初めて使われたようです(さすがにたまらなく曖昧です)。また、コクヨの大阪本社ビルは、「ワークショップ」と命名されています(これは正確な情報です)。

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