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私が私であることと、他者に対する本当の優しさとは。

こんばんはチャイルドコーチングカウンセラー&コーチングアシスタントの荒木です。

いゃあ〜、急に涼しいのを通り過ぎて寒くなりましたね。
今年は秋らしい日が少ないですね。

私が子どもだった頃と比べると、温暖化の影響なのか、春夏秋冬のバランスが変化しています。

ジェネレーションギャップは、そんな気温の変化による生活環境の変化も一因になるのかもしれませんね。
気温の変化や自然災害、地震などを考えると家の建て方や構造も変わってきますよね。

様々な変化に対応するため?いや、様々な変化を起こしてきたのは明らかに人間なのでしょうが、その変化にまた人間が対応していく時代になってます。

ネットの存在も環境の変化のひとつです。これがあるから、こうやって発信することができるのですから、メリットはあるのかな。

私の子どもの頃は、女性が仕事をしているというのはまだまだ少数で、わたしの母は仕事をしていましたがそれも祖母に子育てを任せることができたから。私自身も、夫の仕事は転勤があったので、専業主婦でした。

しかし、私の姉2人は、仕事を定年まで続けていて、そう考えると少しずつ女性が正社員として増えてはきていたんでしょうね。

おっと…前置きが長くなりました。

今日のお題も長くなりました。
「私が私であることと、他者に対する本当の優しさとは。」

最近つくづく思うんですよね。一番大切なことは私が私であることだと。

もし、何かがあって様々な人に助言をもらったり、意見をきいたりしたとしても、最終的にどうするか決めるのは自分自身であるわけです。
それは、自分自身に正直でありたいと思うからであり、それが私が私であることだと思うのです。

私が私でない場合、ずっと後悔することになるのではないか、そうであるならどんな結果になろうとも私が私であり続けるには結果など臆せずに進むことを選ぶのが自分らしいと思うんですね。

進むことを選んだことは、他者を否定することではなく、他者を同じ目線の先にある同士的なものだと考えてます。
だから、今回もあまりいい結果になってないにしろ私の中の私が私でない時よりも気分はスッキリしているし進んでよかったと思えます。

自分を誤魔化して生きてしまうことは、他者さえも誤魔化しの中であり、それが優しさとは思えないんです。

優しさとは単に仲良くすることではなくて、自分の気持ちを伝えることであり、違うと思うことを伝えることであるのではないでしょうか。

もちろん伝えるには、それなりの準備も必要だしどうなっても後悔しない、恨まないという覚悟もいります。

他者がどう捉えてどう思うかというのは相手に委ねることで、私がどうこうできることではないので、その部分を考え出したら進むことはできないから。

何故か、穏やかでいられる自分。

アドラーの「嫌われる勇気」
最初、読んだ時はイマイチ訳がわからなかったんですが、ようやく私の中で繋がってきた感じです。

嫌われることを恐れずに、自分であることを選んだことになんの後悔もないのが私自身、ちょっと驚いているんですけどね。

まだまだ伝え方は未熟なところはありますが、何が目的で伝えたのかが明白なので(それくらい自分の中で咀嚼したので。それが相手を大事にしているということだと考えてます)それでいいと思ってます。
あとは野となれ山となれ。(笑)

嫌われたとしても、何か伝わったことがあると信じてます。

今日は、私の心の中の長い長い呟きでした。

おつきあいいただき、ありがとうございました。

じゃ、また!


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