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ネタバレ全開!Y&A(時々T)特撮フカボリLabo

『仮面ライダー響鬼』(4)


・様々な結末

何しろすったもんだの交代劇の上、2人の脚本家が前後半を書き分ける形になってしまったため、『響鬼』のエンディングほど関心と妄想の高まった平成ライダーはないかもしれない。
一種の、マルチエンディングといえるのかも。

まず、当初は明日夢が”鬼”になる選択も、実はあったという。けれど5話まで収録したところで一旦、その話はなくなったという話もあったのだそう。
更に後半20話弱の脚本を担当した井上敏樹氏は「いい子の明日夢が嫌いで、成長なんかしなくていい」とまで考えていたそうだし、その時点で鬼にする気はなかった、とも聞く。
(まぁ、いきなりのピンチヒッターでは、井上氏とて、はじめから性格を設定していたキャラクターなど誰一人いなかったわけだし、相性の合わないキャラなんか当然、いるだろうし、そう思ったのも無理なかったかもしれなかった)

そう言われれば最終話でも明日夢については、井上氏のその考えを感じる描写も思い当たる。
大体、明日夢はほんの1年前までは京介と一緒に肉体を鍛えていたはずなのである。でもその割には、滑落した子どもを助けきれなくてオロオロするし、鬼に変身した京介を目にした途端、京介に全力で頼ろうとするそぶりが見られる。
更に話が進んで、明日夢は戦闘真っ最中の響鬼のもとに駆けつけたかと思いきや、敵の真裏の、響鬼の必殺技をまともに受けるポジションになぜだか入って、足を引っ張っているようにしか見えないシーンもある。
ひょっとして、こういう所に井上氏の考えが反映していたかもな、って可能性も浮かんでしまったのだが、確認も取れていないのだから、この考えを断定的に語るのはあまりにも違うだろう。
逆にそこはそれで、迷ってはしょっちゅう道を見失う、成長の遅い明日夢らしい動き、と言えるかもしれない。

ここで話は飛ぶが、轟鬼が再起不能を危ぶまれる大怪我をした時、斬鬼が彼に「鬼は生き方だ」と諭すシーンがある。
鬼になれなくても人を助けたい気持ちがあれば、鬼のような生き方ができるはず。だから鬼になれなくなっても、人を助ける生き方をすることでそれに応えろ、ということを絶望のどん底にいる愛弟子に向けて、暗に伝えたかったのだと思う。

話中で明日夢が直接、この斬鬼の言葉を聞くことはなかったが、彼が最終的に鬼にはならない決断をしたのは、一人でも考えに考え抜いて、“鬼になる”という手段を使わなくてもなりたい自分になれる、ということに気付いたからではないか、とも考えられる。というより、個人的にジュブナイルな展開を期待したい私としては、そう思いたい。
(実際のところはわからないけれど)

で、もしもそういうことなら響鬼と明日夢は最後、袂を分かつ、という終わり方でもいいと思った。
もしくは一旦は別の道を歩んでも、明日夢が医者になる夢を果たし、師弟としてではなく、対等の仲間として再び響鬼のもとに戻ってくる、という形でも。
『仮面ライダー電王』の野上良太郎がイマジンたちと別離しても、心の奥底でモモタロスたちとの絆や思い出を、自分の宝物にできたように。そういう形で、彼らとつながり続けることができたように。

また、こういう波乱の末に路線変更がある物語だとつい、明日夢が逆に鬼を辞めなかった可能性も考えてしまえて楽しい。
3周目にして、鬼にはならないと決めたあきらの代わりに、明日夢が威吹鬼に弟子入りし直して鬼になるのもアリかな、なんてことも思った。
見る限りこの2人、相性がよさそうだし、明日夢は風系の技が似合いそう。また威吹鬼に弟子入りしても、彼なら響鬼への別格級の尊敬は決して揺らがないだろうし、2人の師匠がいても全く遜色ないんじゃないかな。

なーんて想像を膨らませて楽しんだ。

『仮面ライダー響鬼』は、シリーズとしては異色の挑戦をし、色々な事情に翻弄された作品だ。けれどその結果、新しい可能性とこれまでとは全く別の気色を見せた、という役割も、実は果たしたのかもしれない。

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