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ネタバレ全開!Y&A(時々T)特撮フカボリLabo

『仮面ライダー響鬼』(3)


・京介

一周目は他の皆さんの感想のご多分に漏れず、15~16歳という年齢にもかかわらず「人としてどうかしている少年」としか思えなかった。
転校当初こそクラスメイトに騒がれたものの、あっという間に馬脚を現し、話が進むにつれ、誰からも相手にされなくなる様子が(はっきりは描かれないものの)見受けられる。むしろ前の学校の時のように暴力がらみのイジメに遭わなかっただけマシなのでは?とまで思った。
(城南高校はどうやらお坊ちゃま進学校のようなので、“相手にされない”程度で済んだのかもしれない)

そんな中、唯一、相手をしてくれるのが明日夢とあきら(もっちーさえ食いつきが悪い)レベルの状況。京介が終盤で明日夢をライバルと「認める」と宣言しているのは唯一、自分と向き合ってくれたのが明日夢だけだからなのかもしれない、と、ちょっと意地悪く思った。

それでも『響鬼』は少年の成長を描く物語なので、辛抱強く京介についても追い続けていた。
追い続けていた、が、響鬼の弟子入りに成功した直後、あきらに向かい「君のような落ちこぼれにはならない」などどほざいた日にゃあ、さすがに
「お前、あきらちゃんと威吹鬼さんに口添えしてもらってようやく弟子入りできたくせに、その言い草はなんじゃあ~~!!!」と画面に向かって激怒した。

…他の作品なら一直線に闇堕ちライダーの道しかない。
(あ、近いところだと『セイバー』の剣斬がいましたね)

先にも書いたが、自分本位で、平気で人を傷つけるようなことを言い、身勝手を極め、未熟な部分だけが強調される京介だが、「人助けに命を捧げた父親を越えたい」という強い願いだけは本物だったんじゃないかな、と思う。そしてその中には「自分も人を助けるような人間になり、そういう人間として父を越えたい」と思っていたんじゃないかな、と。

その一つに、運動神経の回路が絶たれているのでは?と疑いたくなるほどの京介が、車に轢かれそうになった幼児を、体を張って救うエピソードがある。
その時ですら彼は「見たか。俺にだってこうやって身を捨てて人を助ける気持ちがあるんだ」と、自画自賛モードで明日夢たちに言い放つ。こんなんなので彼は結局、視聴者をうんざりさせ、急速冷凍で観る者の心を冷え込ませるのだと思う。
だが話が進むにつれ、これがまんざら嘘でもないんじゃないか、と思わせるシーンもちらほら見え始める。

たとえば自分をボコった元・クラスメイト達を陰陽管(超常的な力を発揮できる鬼の道具。しかも明日夢からかすめ取ったもの)で制裁しようとしたのを、すんでのところで思いとどまった話。その上さらにその時、魔化魍がそいつを襲おうとしているのに気付き、それを阻止しようとする。そして最後には「これは俺の力じゃないから」と明日夢に陰陽管を返すのだ。

この時も彼は明日夢に一切、謝ったりはしないので、とりわけ視聴者の心に響くこともなく、これを京介の成長のエピソードとは捕らえにくかったりする。むしろ井上氏の意図でそう作られているみたいにさえ見える。
がこの時、京介は確かに過去の自分より成長している、と私は思う。

だから最終回で明日夢の電話だけで状況を判断し、ギリギリのところで彼に救いを差し伸べられたのだと思う。その手には嘘がなくていいな、と思った。(これについては、この京介の落差を感じさせる、中村優一さんの好演も大きい)

とはいうものの、3周目を観終えての感想はやっぱり
「まだまだ修行、がんばれよ。特に精神面」
だった。

だが、そんな彼が精神的にも成熟して、闇堕ちとは無縁のまま彼の理想通りの“鬼”になることも、私は個人的に、且つ、切に願っている。
そういうジュブナイルが書かれたら、ぜひ読んでみたい。
井上さんなら彼を更に大化けさせてくれそうな気がするが―。

・あきら

3周目を終えて今回、一番いいところに落ち着いたな、と思えたのがあきら。

最初は「もう二度と両親のような犠牲者を出したくない」という理由で鬼の修行に臨むあきらが、たとえ復讐だけに明け暮れる朱鬼の姿に強烈な違和感を抱いたからといって、鬼を辞める、と決意するには理由が弱いな、と思った。
元々頭もよく、誰とでも敬語で接し、一見、冷たそうにみえるあきら。でもその実、決して薄情な人間ではなく、決意も固い描写のあったあきらなら、(何しろあの京介の「落ちこぼれ」という恩知らず発言にも「いいんです」と明日夢を制する、精神的には成熟した大人の域にいるあきらちゃんである)そこを踏まえた上で、鬼になって魔化魍の犠牲になりそうな人を救う、という選択をしそうだったからだ。

最初、両親は物語の冒頭に出てくる、一般人の犠牲者の一人として魔化魍に殺されたかと思っていた。だが、東映の公式サイトによると、天美家は鬼の一族。なので両親の死は、警察官であれば殉職にあたる。つまり鬼である以上、魔化魍に殺される可能性も、視野に入っていた立場の人たちだった、ということだ。

だとすると話が違ってくるし、今回の結末も納得できる。

あきらは斬鬼から同じく両親を殺された境遇の朱鬼が、弟子さえ餌食として自分の“復讐”に利用したことを聞かされる。

結果、
→朱鬼は、これ以上の犠牲者を出したくないという願いから、ではなく、両親の無念を晴らしたい、という理由ですらなく、自分の憎しみを晴らしたいから、という理由で暴走を続けていたのだ、ということにあきらが気付く。
→自分の決意も実は、まっとうな理由を掲げているだけで、本当は自分の憎しみを晴らしたいだけなのでは、と疑う。
→両親には鬼である以上、魔化魍に殺されるかもしれない覚悟があったろう、ということにも思いが至る。
→ならば復讐のために暴走したら味方も殺しかねない、鬼以外の生き方を探ってもいいのではないか?ということにも考えが広がる。
→もし人を救いたいと思うなら、傷ついた人の心のケアに尽力する道もあるのでは、と考える。
→もっちーと明日夢とパネルシアターをやってみて、こういう生き方の方がいいのではないか、と確信を持つ。
→鬼を辞める選択をする。

ということだったのかな?
そういうことなら今回の着地もあるな、と思った。
まぁ、井上脚本が伝えたいものとは違うかもしれないが。

ただ、あきら役を演じた秋山奈々さんは、あきらのキャラクターを、真摯に深く読み込んでいて「もう二度と両親のような犠牲者を出したくない、と鬼を志願したあきらなら、弟子をやめるはずはない」と猛反発したという。そこを斬鬼役の松田さんから「仕事として割り切ってやりきろう」と励まされてこの役をやり遂げたという話も聞く。
真偽のほどはわからないけれど、だとしたら、秋山さんの役者魂は若いながらに見上げたものだ、と思うのだ。
だって、そこまで納得行かないままやった役だとはとても見えない演技だったもの。

と、ここまで書いてわかる。
私、結構あきらも秋山さんも好きなんだな…。

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