ネタバレ全開!Y&A特撮フカボリLabo 5
『仮面ライダー ガッチャード』
さて、今回はいきなりの最新作に針が振れる。
『仮面ライダー ガッチャード』だ。
実はこの作品については私、最初は全く食指が動いていなかった。令和ライダーは『ゼロワン』以外はリアタイで追っていたものの、平成ライダーよりも失速、迷走している感が拭えなかった。
ただホッパー1の甘い声とかわいらしいビジュアルだけは見事に私のツボでだった。
ので、完全に視聴をやめるでもなく大体、3〜4話くらい溜めておいて、BGMがわりに作業しながら流すという、実にファンとは思えぬ所業で視聴していた。
が、そのうちに一本、心惹かれるエピソードに出会った。
その回は主人公の先輩にあたる蓮華ちゃんと彼女の大好きなおばあちゃんとのエピソードだった。普段は勝ち気で強気で元気者だが、実は子どもの頃から幽霊が大の苦手の蓮華ちゃん。お化けの気配(実際には洗濯物が風に揺れているのがそう見えた、というレベルのもの)に怯える彼女を、やっぱりこちらも蓮華ちゃん大好きなおばあちゃんが、いつも前に立って守ってくれた。
それは成長しても全く変わらない。
久しぶりに蓮華ちゃんがおばあちゃんの住む田舎町を訪ねると、そこでは不可解な超常現象が起こりはじめていた(これ、実は暴走したケミーの引き起こしたものなのだが)。そして大きくなってもビビる蓮華ちゃんを、おばあちゃんはやっぱり背中にかばい、「大丈夫」と言ってあげるのだ。
幽霊にだけは強気に出られない蓮華ちゃんは、その背中の後ろで小さい頃と同じようにほっと胸をなでおろす。だが、今回は洗濯物だった、というわけにはいかなかった。エスカレートする幽霊(=ケミー)は、とうとう大好きなおばあちゃんにまで危害を加えようとする。
そんな状況に陥ってからだが、それでも蓮華ちゃんは最大級の勇気を振り絞り、今度はおばあちゃんを守るべく、震えながら立ち上がるのだ—。
見るからに高校生以上の蓮華ちゃん(公式サイトでもあくまで“錬金術学校の先輩”とだけ書いてあり、詳しい年齢はわからない)が幼児のように怯え続ける姿は、見る人が見れば滑稽かもしれない(一方のりんねちゃんは、この現象にみるみる顔を輝かせてゆくのだが…。この子の喜び方もすごい)。でも、それでいいのだ。だって『仮面ライダー』は子どものための番組なのだから。
「子ども向け、と言ったって実際には子どもは大人の見ているものを見て楽しむものだから、子どもに向けて、と殊更騒ぎ立てるのはおかしい」という人もいる。その考え方もまた間違いではないと思う。確かに小さい頃、大人の番組を親の背中からちょっとドキドキしながらのぞき込み、たまに話の内容が分かると、まるで自分が大人の気持ちが分かる大人になったかのようで、誇らしいような気持ちになった。
が、私はライダーのような子どもも大人も楽しみにしている番組の場合、子どもが充分楽しんでいるのに、大人の視聴者が「面白くないからもっと大人も意識して話を作って欲しい」と強く要求するところまで行ってしまうと、そこはちょっと違うと思っている。楽しむ主権者は子どもでいいと思うから。
そういう意味で、この話の幽霊に怯える蓮華ちゃんのような描写は、子どもの目線にもちゃんと立っていていいな、と思うのだ。
さて、とにかくそこから改心した私は、ようやく『ガッチャード』を真面目に追い始めたのだった。
◆1年続いたもの
今や1年間続くドラマはNHKの大河かニチアサくらい、と語り草になるほどだが、『ガッチャード』の物語の中でも1年間、貫かれたものがいくつかある。
まずはホッパー1。見返して改めてその愛らしさに私は脳みそをやられた。結局、1年間「ホッパー!」としか言わないケミーなのだが、まさかそんな存在にここまで心を鷲掴みにされるとは!『ゼンカイジャー』のセッちゃんの時も感じてはいたが、福園さんの甘い声はおそらく私の波長に合うのだろう。こんなのが傍にいたら、うっかりお小遣いをあげてしまいそうだ。
…だとしたらチョロすぎるぞ、私…。
しかも福園さん、「ホッパー!」の抑揚だけで感情表現を全て賄ってしまう演技力の持ち主だ!これは『オーズ』での、右手と声だけのアンクの演技に匹敵するレベルである。
次に1年続いたもの。それは主人公・一ノ瀬宝太郎とヒロイン・九堂りんねの名字呼び。ケミーとて2つの個体に割り振られた数字の和が10になるほど相性が良い、という法則性があるからには(これで子どもに足し算を学ばせよう、という意向なのか?)この2人が「ガッチャ」して結ばれる、という展開になりそうなものなのに、とうとう1年間、名字呼びで終わった。
ただ、私としてはそこに不満があるわけではなく、むしろ安易に2人をくっつけて名前呼びの関係にする、というのより良かったなあ、と感じている。そもそも宝太郎は親友の加治木に対してすら「涼」と、名前では呼ばないのである。そして蓮華ちゃんから「優等生ちゃん」と呼ばれるりんねちゃん。(こういうあだ名で呼ばれて揶揄された、って怒らないりんねちゃんもいいね)そんな2人だからこそこの、ちょっと遠慮のある距離感が、とても好ましく感じられた。
最後に宝太郎の父親。この1年、とうとうこの人の顔は写真立てのガラスの反射の向こう側から現れることはなかった。自分の夢を追っているという彼が、旅から帰ってくる気配もまるっきりない。話の中盤でDAIGOが登場した時はこの人が父親かも、と安直に予想していたのだが、それは見事に外れた。
だがこの点に関しては、逆にここまで伏せられることで、東映さんの作為を感じる。
…何らかの形で続編、ありますよね?映画とか、さ。その時には宝太郎とりんねちゃんもまた、何歩か前に進むかもしれない…。
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