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卓越した芸術家の外縁に位置する卓越した人間について

このままの人生で終わりたくないと思いながら聴く音楽は、なんとジメジメして味気ないことか。この3年間、ずっとモヤモヤしてきた悪の適用範囲(悪人に仕える人間は悪か否か)に関してまた1人、自分と同意見で共感する人間が現れて嬉しい。最近、善悪の判断が特に難しいと感じる。善悪に関して哲学を持ってる同世代の意見を知りたい。

今回の note は、卓越した芸術家の外縁に位置する卓越した人間についてである。具体的には、Prince Rupert Loewenstein、John Peel、Mark Reeder、の3人だ。本当はあと2, 3人を例に挙げたいけれども今は思い浮かばないので辞めておく。

Prince Rupert Loewenstein は、The Rolling Stones 及びミック・ジャガーのマネージャとして活躍した。John Peel は、The Undertones を発掘したUKのトップラジオDJだ。Mark Reederは、David Bowieに魅せられベルリンへ渡り東にパンクを輸出、まだ無名だったDie Toten Hosenとのライブを主催した音楽プロデューサーである。

Prince Rupert Loewenstein の音楽趣味と学生生活

彼は没落貴族の出身でオックスブリッジの両雄で学んだ、クラシック音楽のファンだった。好きな作曲家はバッハ、モーツァルト、ベートーフェン、シューベルト、ブラームス。20世紀の作曲家にはあまり関心がなかったが「牧神の午後への前奏曲」「春の祭典」のレコードを持っていたそう。カーディナル・ニューマンが著書「大学の理想」で述べている「学生にとって大切なこと」つまり必ずしも自分の専攻しているコースの人々に限らず知的な人々の中にいることを実践する学生生活を送る。

Prince Rupert Loewenstein と The Rolling Stones が組んだ背景にある二つのマクロトレンド

一つは、イギリス上流階級の没落である。ミック・ジャガーが彼と出会った頃にはロック界とイギリス上流社会との間で交流が生まれていた。若手貴族は98%の税率を課され、軍隊、市役所、外交官、聖職者といった職業につく本流から外れていく。

二つ目は、音楽業界におけるロックの商業化である。当時、ビートルズやローリングストーンズなどデカダンな身なりの若者バンドが世界を席巻する変化が起きていた。その変化に目をつけたビジネスマンは、弁護士だった。ビートルズ解散後にポール・マッカートニーの代理店を務めたのはリー・イーストマンと息子のジョンで2人とも業界の弁護士だった。長期にわたりクイーンのマネージャーを務めたジム・ビーチも元は弁護士だった。ビジネス構造として楽曲の権利が肝であるから弁護士が力を持つのは必然である。調べると音楽関連の権利は数十に及ぶ。

Prince Rupert Loewenstein の手始めの仕事

そのようなマクロのトレンド通り、Prince Rupert Loewenstein も貴族としては珍しく金融業界に身を置く。ミックと彼の最初の仕事はローリングストーンという雑誌を創刊するにあたって株の49%を買わないか?という内容だった。結局、雑誌の創刊は未発表で貸し越しの安全性を保証するものが無いため Prince Rupert Loewenstein のビジネスパートナーは拒む。儲けのチャンスを逃した。

当時、ローリングストーンズはアラン・クラインとの契約とデッカ・レコードとの契約の二つによって儲けを失っていた。そこでPrince Rupert Loewensteinの最初の仕事はストーンズの契約分析を行うことだった。金の流れを調べるにあたっても弁護士と会計士が持つ膨大な資料に含まれる、全ての算定数値を調べる必要があった。その作業たるやPC無い時代に行うのだから根気のいる作業だったように推測される。この契約分析を行う目的は、バンドには他のレコード会社に移籍する自由がなかった為、現行の契約を抜き出す方法を探す必要があったのだった。

この仕事を皮切りにあの有名なベロマークの商業化や仕事を手掛ける。それらはこちらの書籍に書いてある。彼に特段、ローリングストーンズの音楽に対する執着があったようには思えない。ローリングストーンズの音楽に情熱があればミック・ジャガーと出会った際、興奮しているはずだ。しかし彼の著書では、淡々と当時のことの記述がなされている。音楽の趣味趣向が異なっていても卓越した経営は行える一つの実例だ。貴族とアーティストという相反する生き物が出会った時というのは、Stevie GファンとLampsファンがスコティッシュバーで出会う時のようなものだ。リアムとノエルみたいな、白と黒が混ざり合っている。二項対立で物事を考える思考の癖みたいなのが表出してしまう。
僕は The Rolling Stones よりも Radiohead が好きだからThe Rolling Stones好きにはこの書籍をオススメする。個人的にはフェデリコ・フェラーリの「経験とは別のものを探している間に得るもの」を引用していることが印象に残った。

John Peel が、天職に出会う前

渡米前、私の頭の隅に「DJになれたらいいな」という考えがあったのは確かだが、渡米した本当の理由は… 父親に行かされたからだ。実は、私も自分の息子に同じようなことをしているのだが。意趣返しというべきか、業というべきか…。

Nirvana、David Bowie、Gang of Four、The Smithsなど最新のポップを紹介し続けたラジオDJだ。これらのバンドを知らなくとも皆が聴いているアーティストやバンドが学生時代聴いていた音楽の中に必ず、これらのアーティストは入っている。
John Peelの場合、なんとなく求めていた時に求めていた物を見つけている。別のものを探している時にそれを見つけているわけではない。

誰も見向きしなかった The Undertones を発掘する

Teenage Kicks という曲を知っているだろうか?知らなかったらこのドラマーの笑顔が印象的なMVを見てほしい。このバンドはThe Sex Pistols、Ramones、The ClashらUKパンクにどっぷり影響を受けた北アイルランドのバンドである。Teenage Kicks のデモテープを作成し各レコード会社に連絡を送るも反応は返ってこない。BBCのラジオDJのJohn Peel が唯一、無名だった彼らのテープを気に入りラジオ番組で流す。EPの作成まで支援する。

https://www.youtube.com/watch?v=ZPzyN8Qq5XA

これがその時のラジオだ。アイルランドのロック史に作品が刻まれた瞬間である。この楽曲は、Franz Ferdinand や Green Day, The Killers、DYGLら僕らの世代が10代に聴いていたバンドもカバーしている。

「音楽は人間が生きる上で最も重要」と語るMark Reederの探索時期

Mark Reederは、David Bowieに魅せられベルリンへ渡り東にパンクを輸出、まだ無名だったDie Toten Hosenとのライブを主催した。彼は音楽プロデューサーであり俺たちが必ず聴いている New Order、Depeche Mode、電気グルーヴらのリミックスを手掛けている。彼の場合、もともと居た場所を捨ててベルリンへ渡る。親父からの薦めも大きな影響を与えた。

彼は未だベルリンが東西分裂していた時代に西のパンクを東へ密輸した音楽業界のテロリストである。David Bowie の Heroes の楽曲作成背景(即ち自己の喪失、他者評価とドラッグに溺れ壊れた人間の再生)を知っているものなら興奮すること間違いない。

ハタチの夏、ぼくはパンクに飽きた。
そして夏盛りの8月、故郷マンチェスターを去った。ベルリンに向けて。
 ぼくが故郷を去る夏から遡ること、数年前。ある日、ぼくが働いていた英・マンチェスターのレコードショップに“パンク”がやって来た。それは、ザ・ダムド(ロンドン三大パンクバンドの一つ)のシングルで、立て続けにあのセックス・ピストルズのデビューアルバム『アナーキー・イン・ザ・UK』も入荷した。みんな口を開けば“パンク” “パンク”。パンクロック創成期だ。
ぼくのレコードショップ(ちょっとガタがきた小さいヴァージン・レコード)は瞬く間に「パンクのメッカ」になり、ぼくはというと昼間から音楽を聴きにぶらぶらとやって来ては居座る一文無しのパンクキッズたちに目を瞑り(レコードを買うお金さえない彼らの気持ちは染みるようにわかっていたから)、セックス・ピストルズのセカンドアルバム発売日には、その“問題作”(エリザベス女王をコテンパンに罵ったレコード)を一日中売りさばいた。

彼のパンク黎明期の回顧録を読んでも当時の熱量が少しだけ伝わる。皆が興奮して多種多様な人間が乱れて新しい作品を社会全体で生み出そうとする熱量。そういうのをもっと自分も味わいたい。サービスやプロダクト、作品が生まれるときは往々にして People from Humble backgroundsが入り浸れて臭くて狭い路地裏の一室にて寝れないぐらいのアドレナリンが出る。そういう本物の興奮は5年に1度あれば良い方で、他の4年間を如何に努めるかが問われてる。

HEAPSに優れた連載記事があるので興味ある人は読むといい。


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