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HITOMI|社会に出る。- 葛藤|RENATUS STORY

高校卒業後は、東京の貴金属メーカーに入社する。この会社で、初めて6歳年上の彼氏が出来る。今思うと、とてもロマンチックな人で、自作の詩をくれたりしたが、何となく合わない気がして三か月程で自然消滅に終わる。

その後、この会社の社長からのセクハラが嫌で、二十歳で退社。退職金で初めての海外旅行でヨーロッパへ行き、帰ってから父方の祖父の介護を手伝うために暫く祖父の家に住んでいた。

数ヶ月後に祖父は自宅で老衰で亡くなったが、祖父の葬儀に支払う為のお金が無くなり、祖母から一緒に住んでいた私が犯人と疑われた。

余りに唐突な話しにショックを受け、情けなくて泣いて抗議したが「お前しか考えられない」と言われて祖父の家を飛び出して自宅へ帰った。
そして話を聞いた父から電話で身に覚えが無い事を話してもらったが信じてもらえず大きな心の傷となる。
(あとから祖母が認知症だった為の言動と判明するも、この時の事はずっと私のトラウマになった)

祖母は私に、人生で一番悲しい言葉と嬉しい言葉の両方をくれた人だった…。

まだ、認知症の症状が軽かった時、当時少しの事にもすぐにクヨクヨする弱い私に

「仁美、これから何か辛い事や困った事があったら、おばあちゃんに何でも話してごらん。
おばあちゃんが解決してあげるからね」

と勇気づけてくれたのがとても嬉しかった。
そんな事を言ってくれたのは後にも先にも祖母だけだった。それだけに、お金を盗んだと言われた時のショックは大きく、大好きだった祖母から信じてもらえなかった悲しみはすごく深くて、自分に自信を無くしていった。

その後一人になった祖母の認知症がさらに進んだ為、父が自宅で同居を決めた。
私は気持ちにわだかまりのあるまま、23歳で日本橋の印鑑メーカーに入社するまでの約三年間、祖母の介護を手伝いながら、ほぼ、ニート状態を経験。

ニートの間は、肩身が狭くて父親から何度も働けと言われたが、就職する自信が無かったし、小さい頃から自分の気持ちにフタをして生きてきたので、いざ自分が何をしたいかと考えても、どうしたらいいかわからず、自分の存在価値も見つけられずに、しんどい思いをした。

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