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HITOMI|幼少〜学生時代|RENATUS STORY

昭和41年10月、千葉県柏市生まれ

父、母、9才上の姉、2才下の弟と五人家族の次女として育つ

一番古い記憶は、二才で弟が生まれる時の記憶。
母の陣痛が始まり病院に担ぎ込まれる時、病院の入口からストレッチャーに乗せられて遠ざかって行く母の姿をタクシーの後部座席のリアガラスから「ママーッ!」と泣き叫びながら見ていた事。
生まれて初めて母親から離された不安と恐怖を今でも鮮明に覚えている。

小さい頃は野山で良く遊び、家では常にイヌやネコ、ウサギ、ニワトリ、インコ、熱帯魚などを飼っていたので生き物が好きな子供だった。
ただ、田舎育ちのくせに虫は苦手で、特に蝶々はダメで、飛んで来ると逃げまわっていた(笑)

また、父が厳しかったので、人の顔色を見る内気な性格で、時々、「自分はなんで生きてるんだろう?」「なんで息をしてるの?」と考えたりする変わった子供だった。

父が母と再婚で、先妻との間に生まれた姉を連れて私の母と再婚したので、父は姉を不憫に思って、いつも気にかけていて、姉も子供ながらに父や後妻の母に気を使っていて、何も知らない私もそんな空気を何となく感じていた。
そして、父が姉を一番可愛いと思っているのは仕方ないと、心のどこかで割り切ろうとしていた。

のちに待望の男の子である弟が生まれ、
小さい頃から色白で女の子に間違われる可愛い子供だった為、皆から可愛がられて羨ましかった。
だから自分より姉や弟が父から愛されているとずっと思ってきたし、それは当たり前の事として受け入れているつもりになっていた。
今考えると、心の奥深くにある寂しさにフタをしていて我慢するのが習慣になっていたと思う。

でも、暗い側面ばかりではなく、家庭内は姉が明るくて皆の太陽みたいな存在だったので家族の仲は皆良かった。
姉と母も仲は良くて、幼い私や弟の為に雪が沢山降った冬の日に、二人で雪で大きな馬を作り、乗せてくれたのがすごく嬉しかったし、
幸せな思い出として今も心に残っている。
父も厳しかった反面、子煩悩だったから家族旅行も良く行き、楽しい思い出も沢山あった。

幼稚園は、父が入園手続きを忘れるという、今ではありえないうっかりミスで、皆よりちょっとだけ遅れての入園となり、初登園の日、不安な気持ちのまま、受け持ちの先生から転校生のような感じで皆に紹介されたのを覚えている。

小学校でも大人しくて目立たない子で、
家の中や、仲のいい友達の前では自分をある程度出せた。が、ここでも本当の自分は後回し。
友達も少なかったが、4年生の時、初めて親友が出来て、楽しい時間が増えた。
でも、6年生の途中で親友と同じ団地に転校生の女の子が引越してきて、親友とその子が仲良くなり、親友を取られたような寂しさや嫉妬心、その子に負けたという挫折感を味わう。
親友とはその後、中学校入学と共に次第に疎遠になって行った。

中学校では、当時流行ったノーランズにハマり同い年の従姉妹と良く聴いていた。そして三年生の時に、いじめを経験。友達と二人、クラスの男子達からいじめられた。自分がいじめにあっているなんて恥ずかったし、親が知ったら悲しむと思い、誰にも相談出来なかった。

高校生になると、洋楽が大好きになり、特にワム!が好きで、日本武道館の来日ライブに行ったのも、ワム!が初めてで、17歳の時に出来た東京ディズニーランドに出かけたり、原宿へ行ったりして楽しんだ。
部活はフェンシング部に入部。
2年の途中で辞めるまでは、朝、夕の練習や、試合、夏休みの合宿に忙しかったが、顧問の先生と折り合いが良くなくて友達と共に退部し、その後初めてアルバイトを始める。

そのバイト先は、自転車で15分程離れた隣の我孫子市にあるスーパーダイエー地下の「ディッパーダン」というアイスクリームやハンバーガーを売るお店。
大人しいくせに、接客は好きだった(笑)

※後に、ツインレイの彼もほぼ同時期に香川県のダイエー地下の店でアルバイトしていたというシンクロが判明する!

高校生の時も大人しく見られがちだったが、好きな人には自分からアプローチするタイプで、同じ部活の男子にバレンタインデーに手作りケーキを渡したり、
初めて一目惚れした新聞奨学生の大学生に、思い切って名前や誕生日を聞いたりしたが、付き合ってくださいとは言えずに、気まずくなって終わるというパターンに終わる。
逆に告白された事も何回かあったが、好きな気持ちが無い相手だったので断った。なので、高校生の時は彼氏も出来なかった。
※振り返ると、この頃から私は見かけによらず、追われるより追いたいタイプという事がわかる(笑)

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