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HITOMI|新たなスタート - はじめての結婚、そして妊娠・流産|RENATUS STORY

それでも、このままでは本当にダメになるという気持ちに後押しされ、22歳で東京、日本橋の印鑑メーカーに再就職。
社長夫妻にも気に入られたが、同僚より贔屓されていて、気まずくなり一年程で辞める。

この会社にいる間に、友人の結婚式の二次会で、後に夫となる人と出会い、この時も私から友人に頼んで紹介してもらい、23歳で付き合い始める。
すぐに二人共、結婚を意識したが、具体的な話にはなかなか進まず、暫くは無職だった。
7年後、結婚の話もようやく具体的になったので新婚旅行代を貯める為、30歳で証券会社に入社する。
ここで、二才年下の営業の男性を好きになってしまい、彼も私に好意を持ってくれていたので婚約は白紙にする覚悟で告白した。が、やはり婚約破棄させてまで付き合う勇気は無かったらしく、振られてしまう。

その気持ちのまま結婚は出来ないと思い婚約者には、結婚出来ないと告げたが、
どうしても一緒になってくれと言われ、
食事も出来ないくらい憔悴した姿を見て、悩んだ末に32歳で結婚する。

結婚式当日は、私は複雑な心境で、心の中で、「彼が拐いに来てくれればいいのに…」などと、不謹慎な事を考えていたが、そんな事は起きるはずも無く、式も、二次会もすんなり終わった。
※後日、彼の同僚から結婚式当日に彼が式場の側まで来ていたと聞かされて、
驚いた。

結婚生活は、ケンカもあったけれど、一緒に旅行へ行ったり、美術館巡りをしたり、買い物も必ず二人で行くなどして普通に仲良く過ごした。でも、夫に子供を作る気が余り無くて、それよりも自分の生活を楽しみたい気持ちが強かったようで、考えが食い違っていた。

私は子供が出来るまで仕事も続けるつもりだった為、そのまま同じ会社で働き続けた。
そして40歳にして、検査薬で妊娠した事がわかった。その時は、自分か母親になる不思議な感覚と、経験した事の無い喜びを味わえて、幸せをかみしめていた。

そして二か月目に初めて産婦人科を受診。
診察台の上で感動と共に聞いた心音は、赤ちゃんのものでは無く自分の心音だった。
その後の再検査で流産した事を知った。
私達のもとに授かった命は、束の間だったけれど、人生最大の喜びと、悲しみを教えてくれた。

それからは一度も妊娠する事無く、子供は諦めた。特に子供好きでは無かったけれど、やはり自分と愛する人の子供は産んでみたかったし、結婚すれば子供はすぐに授かるものと思っていただけに、本当に残念だったし、子作りに余り積極的でない夫とは、この頃から何かが少しずつズレて行ったと思う。

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