『照星(しょうせい)』 7

数週間後、緊急呼集が掛かった。

それは消灯前の静かな兵舎に甲高い笛の音が響き渡ることから始まった。
第三連隊の第三中隊が出動することになったのだ。もちろん剛の所属する第三小隊も含まれていた。

軍警察のジープが何台も忙しそうに街に出て行った。
彼らは夜の街に繰り出している兵隊たちを呼び戻しに行くのだ。

熱帯雨林気候の夜のスコールを浴びて濡れた街は、街灯や店舗の看板、家の明かりを華やかに躍らせていた。

午後十時を廻ってもカエルや虫の鳴き声が止まない蒸し暑い夜だった。街は映画館を中心に繁華街が広がり、その前に兵隊たちが集まるビストロやカフェ、バーが軒を連ねており、そうした所で剛も小隊の仲間たちと一緒にビールを飲んでいた。

そこにPMと書かれた腕章を着けた二人の軍警察の兵隊が飛び込んできて、大きな声で号令のように声をかけた。

「第三中隊! 緊急呼集! すぐに基地へ戻れ!」

店の店員もよく知っていて、すぐに会計を済ませてくれる。
一般のお客さんは、ビールや皿の上の料理を慌てて平らげて立ち去る彼らを見て笑って見送った。

基地に戻ると第三中隊の前庭は明るいスポットライトで照らされていて、多くの兵隊たちがすでに忙しそうに行き来していた。

彼らの声は平時より大きく強く響くようになっていた。剛たちもすぐに戦闘服に着替えてベレー帽を被ると、常に用意してある背嚢を持ち出しその中庭に集まった。

そして最初の笛からほぼ一時間で、第三中隊全員が揃ったのである。

各小隊の点呼の後、中隊長のマルケス大尉に引き継がれた。

「今から一時間後に出発する」

大尉の敬礼で中隊は一旦解散するが、詳しいミッションの内容は知らされない。解散後、小隊毎に武器と弾薬を受け取り、そして三日分の食料が支給された。衛生兵のフランス人ペルチエー上等兵は連隊の診療所に医薬品を受け取りに走り、無線係りのドイツ人ケテルマン一等兵は無線機を調整する。

そして兵舎前に並んだトラックにエンジンが掛けられた。

 剛にはつい数週間前に馴らした狙撃銃が渡され、他の者たちには突撃銃が渡された。
突撃銃の者たちには弾倉三個分、合計七十五発の五・五六ミリの弾。射撃手には二十発の七・六二ミリの弾が支給された。
剛は自分の受け取った弾の数に不安を感じた。七十五発と二十発では、相手に出来る数が限られてしまうと思ったからだ。

しかし今回は対戦車砲や機関銃は使わないようで、手榴弾も配られず大きな戦闘は想定していないようであった。

第三中隊の四個小隊がそれぞれ四台ずつのトラックに乗り込んだ。
それに中隊長マルケス大尉と副隊長ブルゴーニュ大尉の乗るジープが二台加わった。

第三小隊が乗り込むとき、先に乗り込んだベルー一等兵が大声を上げながら再び降りようとする。

「あ、待ってくれ。忘れ物だ!」

ベルーは走って部屋へ戻ると、すぐにトラックのところまで戻ってきた。
そして乗り込む寸前に、すでにトラックに乗り込んで座っていた剛に一個の手榴弾を投げると、剛はそれを両手で受け取り、顔をほころばせた。
ベルーは剛の横に割り込んできて言った。

「ツヨシ、一個持っていろよ」

それは訓練用の青い色の模擬弾で、ピンを抜いて飛ばせば音を立てて破裂し白い石灰が飛び散るだけの手榴弾だった。

「大きな音がするから、役に立つかも知れないね」

と言いながら、二人はそれを背嚢のポケットにしまった。

第三中隊のコンボイが基地を出る零時過ぎには気温も相当下がっていて、カエルも虫も静かに眠り、ミッションに関係の無い支援中隊や第二中隊の宿舎は静まり返っていた。
コンボイは不安な闇の一本道をか細いライトで照らしながら北へ向かったのであった。

全員が暗いトラックの荷台の椅子に腰掛けて、揺られながらペンライトを使って化粧を始めた。
剛も茶色と緑の、太いクレヨンのようなスティックの先をライターの炎で炙って柔らかくすると、顔に擦り付けて迷彩を施していく。
隣に座っていたベルーが剛を突いて言った。

「ツヨシ、これ使ってみろよ。肌に乗りが良くて、汗をかいても落ちにくいンだ。無臭性だぜ」

ベルーが差し出したのはカモフラージュ用のノエビア化粧品のパレットだった。
剛は弱いペンライトの光で色を見極めると、その数種類の中の緑と茶色を指に付けて、顔に塗ってみた。確かに肌に滑らかで今までと違った潤いを感じた。

「ベルー、お前、楽しそうだな」

剛を挟んでベルーの反対側にいたカッフが、そのパレットを受け取ってベルーを振り返った。

「そう見えるか」

と鼻で笑うとそれっ切りで、全員が黙ってしまいトラックの中は静かになった。
そしていつの間にか揺られながら仮眠を取り始めていたのだった。

別に楽しんでいるわけではない。
不安を打ち消すために、その場を楽しくして、不安に飲み込まれないようにしているのだ。

それはその場にいる全員がわかっていた。
ベルーをからかったカッフでさえ、そうしてその場を和ませようとしていたのだ。

基地のあるクーロウと言う町は、仏領ギアナの県庁所在地カイエンヌから北西へ車で一時間。
その日の第三中隊はそのもっと北西の国境になる大きな河の河口にある町、サン・ローランを目指していた。


大西洋に注ぐ河口の町は深い朝靄に包まれて、海の景色も密林も町の建物もその中に隠れてしまっていた。

鳥の鳴き声が聞こえてくる方向に森があるのであろう。
深い霧の中で方向を見極めようと、目の焦点を遠くに向けて見回せば、足元がふらつく様な目眩を感じてしまう。
海軍の派遣した上陸用の四機の兵員輸送ボートがその町の小さな漁港の艀を塞いでしまっていた。
ボートは船首が平らになっていてハッチが前方に落ちるように開いて陸へ橋をかけるようにできていた。

第三中隊はその四機のボートに分乗して、河の左岸に沿って遡った。
霧は深く左岸の木々を頼りにゆっくりと進む。

川辺にはマングローブの根が牢屋の格子の様に上陸を阻んでいる。
大西洋の海の潮の満ち干は河の数キロ先にまで影響し、引き潮の時はその格子が高い壁のように上陸を阻む。

ボートのモーターの音に驚いた鳥がけたたましい声を上げて飛び去る。
川は幾筋にも枝分かれしていて、迷路のように低地に広がっているのである。
その本流が隣国との国境になっているのだった。

一時間ほど遡ると河幅は狭くなって、ボートもさらに速度を緩めた。

マングローブの格子の切れ目を見つけると、ボートはそこに船首を突っ込んでハッチを降ろした。
中隊は背嚢と武器を背負って上陸し小隊毎に集まった。第三小隊も隊長マジュビ准尉の下に静かに集まった。

マジュビ准尉は木の枝を手に分隊長を指して指示しながら、そこで大体の作戦を説明しはじめた。

「この先、十キロほどのところに、小さな農場があるはずだ。まずそれを探し出して、囲い込む。だからここからは注意して、気づかれないように進む。第一分隊からだ」

河は隣国との国境になっているので、その情勢不安定な隣国で迫害されながら独立運動を続けるゲリラが、その資金確保のために越境し、麻薬製造とその集散基地を作っているという情報がもたらされていたが、その人数、装備などの詳細はまだ判っていなかった。
その基地を補足、包囲し、ゲリラを武装解除させ、基地を潰すのが今回のミッションであった。

               つづく

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