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『パパが貴族』~はじめに~ (無料公開)


筆者の職業は漫才師。
コンビ名を「髭男爵」という。
その名の通り、髭を蓄えシルクハットを被り、手にしたワイングラスで「○○やないか―い!」とツッコむ乾杯漫才、あるいは、「ルネッサーンス!」の人。
……まあ、何でもいいが、“あれ”である。


今より10年と少し前、1度だけ売れっ子と呼ばれた時期もあったが、現状はサッパリ。
俗に言う、一発屋……それが筆者だ。
 

45年の人生を振り返れば、失敗に塗れている。
先程の「(芸人として)一発当てた」とか、ずいぶん昔の話まで持ち出せば「中学受験に合格!」など、景気が良いときもなかったわけではないが、残りは全て刑期のような日々。


中学2年の夏、とあるきっかけから不登校となり、そのまま6年間に及んだ引きこもり生活に終止符を打つべく、大検を取得し地方の大学に潜り込むも、長続きはせず。

ある日、周囲の誰にも告げず、失踪同然で上京し芸人を志した。
三畳一間のボロアパートで10年近く燻り、ようやく日の目を見たかと思えば、今現在、一発屋である。
まるで、「スタートに戻る!」。
こんなにロクなマス目がない双六も珍しい。
 
ある年の春先、家族でリゾート地を訪れた。
長女(当時6歳)は4月から小学生に、妻は夏に次女の出産を控えており、ここを逃すとしばらく旅行など出来そうにないと奮発した次第である。


正直懐は痛んだが、娘はスキーに乗馬、妻はエステに買い物と二泊三日の滞在を満喫していたようなので、わざわざ山梨県まで足を運んだ“甲斐”はあった。

さて、明日は家に帰るという日の晩。
娘が自分のリュックサックをガサゴソと漁っている。
何か引っ張り出してきたなと思ったら、双六だった。

紙製のボードはペラペラで、言っちゃ悪いが、いかにも安物。
各マス目には、「お医者さん」、「パイロット」等々、色々な職業がイラストと共に紹介されており、「お仕事」がテーマらしかったが、平たく言えば「人生ゲーム」の二番煎じ、いや、出涸らしのような代物である。

筆者には買い与えた記憶が無かったので、何かの付録か景品の類だろう。
いずれにせよ、高級リゾートホテルには似つかわしくなかった。
大体、「医者」→「パイロット」→「先生」などとコロコロ肩書きが変わるのは、現実には詐欺師くらい。
子供向けとはいえ適当すぎる。

昼間、娘のプールに付き合い、疲れていたこともあって、
「旅行に来て、こんなのしないよ?」
と出鼻を挫き、何とか免れようと試みたが、
「いや―!すごろく―――!!」
とまるで建築現場で“ダダダダダ”と地面を固める機械のように地団駄を踏んで埒があかぬので、結局、親子3人サイコロを振る羽目になった。
 
何度目だったろうか。
筆者のコマが、とあるマス目に止まる。
(えぇぇぇーーー!?) 
そこには、センターマイクを挟んで立つデブとノッポの2人組の絵と、『お笑い芸人になって人気者に!』との文言があった。


このとき頭を過ったのは20数年前に公開された映画、『ジュマンジ』。
ロビン・ウィリアムズ主演のこの名作には、止まったマスの指示内容が現実と化す魔法のボードゲームが登場する。
まあ、当方、元々芸人、かつ、人気者ではなく一発屋と色々相違点はあり辻褄が合わぬが、少なくとも「芸人が芸人のマスに止まる」という奇跡的展開は、
「すごろくでもやっぱ、芸人になるんだねー!」
などと、本来ひと盛り上がりしても良い場面だった。
にもかかわらず、
(…………)
部屋に流れたのはなんとも気まずい空気。

夫婦揃って押し黙っていたのは、傍に娘が居たからである。
筆者は、彼女に自分の仕事を長らく隠していた。
一番の理由は、ここでもやはり、一発屋。
負けや失敗といった苦み成分を多分に含むこの言葉を、人生始まったばかりの小さな子供に触れさせたくない、その一心である。
いや、これまでにも、
「パパは、ひげだんしゃくって言うんでしょー?」
と娘に正体を嗅ぎ付けられそうになる危機は無くはなかったが、
「違うよー?似てる人だよー?」
とその都度、水際で食い止めてきた。
その成果か、ここしばらくは彼女の追及も鳴りを潜めていたのに……案の定、何か思い出したのかニヤニヤし出した我が子に恐れをなし身構えたが、「成果」はこちらの想像をはるかに越えた大きな実を結んでいた。
「パパ、げいにんやってたもんねー!」。
ホッとして良いのかどうか、よく分からぬが、このときの娘の認識では、父は既に廃業していたようである。


その後、2回連続で『一回休み』に止まった筆者に、
「よく休むねー……」
と妻がポツリ。
これまた皮肉なのかどうなのか。
「一発」の呪いは、まだ解けそうにない。

とは言え、一緒にサイコロを振る相手がいるというのは、まあ、幸せなのだろう。

 (※2020年10月出版)

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