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05.お団子きんちゃんくうちゃん

兄がまだ、髪をツンツンしていなくて
眉毛もぼうぼうとしていた頃
2人でよく泥だんごを作った。

幼少期に住んでいた平家の縁側からは
大家さんの畑が見えていた。

私が覚えている大家さんは
頭の毛が綺麗な真っ白で、
とても姿勢がいいお爺ちゃん。

兄と私が家の裏で遊んでいた時、
大家さんが畑仕事をしに来ていて
「畑に入るな!」と
大きな声で叱られたことがあった。

だが、お天気が良ければ
子供という生き物は
土で遊びたくなるのである。

兄と私は、大家さんがいないことを
念入りに確認し、畑のすみっこにしゃがんで、
泥だんご職人になった。

ゾウさんのジョーロで、乾いた土にお水をかけ
「ちょっとすみません」とつぶやいてから
手のひらに収まるサイズの土の塊をとった。

ザラついた砂とサラサラの砂を交互につけて、
だんだんと泥だんごを大きくしていくのが
何だか生き物を育てているようで楽しかった。

近所の公園までの道にある
工場の前の砂がすごく良いだとか、
石が当たって欠けてしまっただとか。
職人同士で情報の共有もした。

つるぴかに黒く光ってきた泥だんごを
小さな箱に綿を敷き詰めて、
大切にしまっていたのを覚えている。

だが、私と泥だんごとの幸せな日々は
ある日突然終わりを告げた。

いつものように、砂をかけて磨こうと
箱から取り出して家を出た。

工場の前の砂をかけて家に戻ったあの日。

手の中でころころとゆらして、
親指で優しくなでて磨いていたのを
玄関の前で落として割った。

それまで大切に大切に育ててきた泥だんごは
私の両手から、逃げるように滑り落ちて
地面に当たって音もなく、あっけなく
こわれてしまった。

その瞬間は、何が起きたのかと
ただ粉々になった土のカケラを言葉もなく
立ち尽くして見ていた。

無事にぴかぴかと光っている
兄の泥だんごを憎らしく感じた。

割れた泥だんごを見て
悲しい気持ちになったけれど、
数時間もひきずったら、
その後はまた別の新しい遊びをみつけて
泥だんごのことを忘れてしまった。

夏祭りの金魚すくいで、すくった金魚を
ちゃんと世話もせずに
死なせてしまった時のように。

毎日片時も離れず一緒にいたぬいぐるみの次に
新しいぬいぐるみを手に入れて、
付き合いの長かったぬいぐるみの存在を
忘れていく時のように。

壊して仕舞えば、
いなくなって仕舞えば、
忘れて仕舞えば。
そんなものだったのか…

子供の頃から残酷だった。

罪の味を知った今、

お別れした泥だんご、
金魚のきんちゃん、
クジラのぬいぐるみのくうちゃん

私はあなたたちの分まで
大切に今日を生きていくと誓います。

ありがとう

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