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11.ガラスじい。ガラスばあ。

子供の頃、毎週末
母方の祖父母の家に
兄と2人で泊まりに行っていた。

母の実家はガラス屋さんだった。
数年前に建て直したので、
今はとても綺麗な新築なのだが…

当時はガラガラと大きな音の出る引き戸や

居間のテーブルにビー玉を乗せると
縁側の方へコロコロと転がっていくことや

階段の下の床を踏むとミシミシと歪むことや

夜になって2階の畳に布団を敷いて寝る時、
廊下の奥の部屋がなんとも不気味で
私も兄も怖くて大声で歌を歌いながら
布団まで手を繋いで行ったことを覚えている。

お風呂場で、ナメクジと遭遇した時には
悲鳴を上げて、じいちゃんを大呼した。

今でも鮮明に
以前のガラスばあちゃん家のことを
思い出せる。
私はあの家が好きだ。

あの家で過ごした時の思い出が、記憶が、
とても大切なのだと思う。

ガラスじいちゃんは石頭の頑固一徹。
子供だろうが容赦ないのである。

家から少し離れた場所に
じいちゃんの畑があって、
みんなで収穫に行ったりもした。
じいちゃんの作る野菜はみんな
驚くほど美味しい。
私はブロッコリー推し。

親戚で集まると子供は
私と兄と従姉妹(女の子2人)で計4人。

まあまあうるさいのである。

仕事場の端に捨てられた段ボールで
家の駐車場に4人住まいの平家を建設すれば
「こんな場所でやめなさい」と、
まるでゴジラのようなじいちゃんに
蹴り飛ばされて破壊され。

ゲーム機で通信対戦などをすれば
盛大に盛り上がり、
新聞を読むのに邪魔だと
騒音トラブルで揉め、
「あんたっちみたいな子供の頃から
そーゆーのあんましてたら目が潰れるぞ!」
と脅された。

他にも、女の子の遊びで
サンタさんにもらったお化粧セットで
顔にピンクを塗ったり、
爪をキラキラにしたりするのが
楽しかった頃にも
「まだ必要ないだに、肌が汚くなるぞ」と、
シワシワの顔で怒られた。

じいちゃんは我々
平成生まれの遊びが理解できないようで
厳しかった。
だが、理不尽に怒られた時も
私だけは泣かなかった。
なんなら言い返して、じいちゃんと喧嘩した。
じいちゃん、あの時はごめんなさい。
今度また、一緒に日本酒のもうね。

……でも仕方がない。
〝頑固一徹の隔世遺伝〟なのだから。

ガラスばあちゃんは、まめったくて、
とても優しい。
それなのに、たまに可愛いイタズラをしたりする。

じいちゃんとは真逆で、メリハリというものを
上手に教えてくれたので子供達は、
ばあちゃんっ子だった。

ばあちゃんは、習い事をたくさんしていた。
お習字、生け花、太鼓、絵画、英会話。
今でも幾つか続けている。

いくつになっても、好きなことを大事にして
好きなこととの時間を作るばあちゃんが
わたしはすごく好きだ。

毎週末、
ばあちゃんは家事の合間に
色々なことを教えてくれた。
水彩絵具で カボチャ や ナス を描いたり。
紙粘土で白いバラを作ったり、
お昼ご飯を食べた後に散歩に出かけると
石蹴りをしながら、
町に咲いている花の名前を
たくさん教えてくれた。

ばあちゃんは時々お料理も手伝わせてくれた。
千切りの仕方を教わって。
きゅうりを包丁でタンッと切るのが何とも
気持ちいいことを知った鳥居れなは、
ばあちゃんが次々とおかずをつくる横で
きゅうりを永遠にこっぱみじんにしていた。

で、じいちゃんに「食いもんで遊ぶな」と
覚えたての千切りを叱られた。

この歳になってから、静岡へ帰り
ガラスばあちゃんと会って話すと、
私たちはとても気が合うことが分かった。

絵を観たり描いたり、英語を勉強したり
毎日日記を付けたり、
時たま少し手間のかかるお料理を作ったり
お花が好きなのも全部ばあちゃんからだ。

先日
ばあちゃんに貸した本が郵便で送られてきた。
表紙をめくると「美味しかったな、あれ。」と
以前、私が話した
『蒸しナスの香味ダレ』のレシピが挟まっていた

綺麗なホウセンカの、
柔らかなタッチのイラストが印刷された便箋に
ばあちゃんの上品な字が並んでいた。

宝物だなあ。と思った。

こうして誰かから、
手書きのメッセージを受け取ることが
こんなに嬉しかったとは…

私は昨日
ガラスじいちゃん と ガラスばあちゃん へ
ハガキを書いて郵便局へ行き、
可愛らしい桜の切手を貼ってもらった。

いつ届くだろうか、少し恥ずかしいけれど
何だかワクワクする。

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