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10.こめじい。こめばあ。

父と一緒に暮らさなくなってからは、
月に1度だけ、
父親と兄と私で会う約束があった。
父が車で迎えに来ると、
まずは抱っこで体重測定。
父は丁寧に毎月違う感想を述べてくれた。

そして今日の旅のお供を
近所にあった駄菓子屋の、
大津製菓へ調達しに行った。
父は大津製菓のことを
「ジャモージさんのところ」と言っていた。
アンパンマンに出てくる
〝ジャムおじさん〟のことを言っていたのだろうけど、
そこは私たちの方が大人びていた。
大津製菓は大津製菓だった。

鳥居れなの幼少期の駄菓子のセレクトは
オヤジじみていた。
必ず選んでいたのが、酢イカ。
いかにも体に悪そうな赤い着色の酸っぱいやつ。
それと、カリカリ梅。
きなこ棒はなかなかの確率で当たるので、
なんとなく選んでいた。
父はいろんな場所に連れて行ってくれた。

たまに、
父方のおじいちゃんの家に遊びに行った。
父の実家は、お米屋さんだった。
1階には工場があり好奇心で覗かせてもらったことがある。
まだ黄色いお米と、床の白い粉、
大きくてガシンとした精米機には
怖くて近づけなかったけれど。
薄暗い無機質な空間と、
独特な匂いがしたのを覚えている。

少し錆びた螺旋階段を登って行くと2階には
サムラッチ錠の茶色い扉があり、
自宅になっている。

「おじいちゃんこんにちはー!」
と挨拶をして、中へ入ると
さらにちょっと急な階段があって
そこを登ったら優しい笑顔に会えた。

居間の壁の中央には小さな窪みに暖炉があって、
左手にはアップライトピアノ。
右手にはギターが数本。その近くに置かれた
焦茶色のロッキングチェアには
深く腰掛けたおじいちゃんと
台所の前で「いらっしゃい」と
細長く軽やかな声で迎えてくれるおばあちゃん。

なんだか〝こめじいちゃんチ〟は
当時の鳥居れなには異国感があった。
初めて訪れる場所は未知で、
少し怖いと思っていたが
こめじいちゃんチは違う。
いつも暖色の空気があって
包み込んでくれる優しさのある空間だった。

こめじいちゃんチに行くと、
たまにおじいちゃんが居間にいないことがあった。
そういう時は大抵おじいちゃんは
中二階の書斎でギターを弾いていた

亡くなった後に知ったのだが、こめじいちゃんは
若い頃にスペインでギターの修行をしていたらしい。
クラシックギター、
アコースティックギター、
エレキギター、
バンジョーなんかも弾く人だったようだ。

おじいちゃんに「おいで」と招かれて
書斎に入るといつもギターを弾いてくれた。

大きくて分厚い手で、少し長いつめが、
ナイロンの弦を弾いて鳴る音は
柔らかくてあったかい音だった。

だけど小さい頃の私には、
ちゃんと聴ける耳がなくて
「ふうん、優しくて良い曲だね」
という感想しか出せなかった。

こめばあちゃんは、シャンソンを歌う人だった。
私は実際に、
こめばあちゃんの歌を
ちゃんと聴いたことがなかった。

でも、いつもおしゃべりをする時
細長く伸びやかで、高いトーンだったことが
とても印象に残っている。
今思い出して例えるならば、目を閉じて聞くと
日当たりのいい、白い壁紙のお部屋で
大きな窓は開いたままにされていて
明るい色のレースのカーテンが風で時々
ふうわりと膨らむような感じの声。
とてもお上品な
メレンゲのお菓子みたいな感じもする。

こめじいちゃんのお葬式では、

こめじいちゃんのギターで
こめばあちゃんが歌っている音源が
ずっと流れていた。

私は小学生だった。
2人の音楽は、なんだかすこし悲しくて
でも、
愛と、幸せに満ちた音に聴こえた。

2020年3月。
再び東京で一人暮らしをはじめた。
たまたま雨の日に入った隠れ家的なカフェで
スペインのギタリスト【アンドレス・セゴビア】のアルバムが流れていた。

熱いコーヒーをひと口飲んだら、
胸がいっぱいになった。

おじいちゃんとおばあちゃんのことを
思い出して、涙が止まらなかった。
ナイロンの弦が鳴る、鳴る。

こめじいちゃんに会いたい
こめばあちゃんに会いたい

しとしと降り続ける外の雨が
より一層、センチにさせた。

おじいちゃん、おばあちゃん、
今日は私の23回目の誕生日です。

こめじいちゃんとこめばあちゃんの血を
しっかりもらったんだと思うの。

ありがとう
歌い続けるね

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