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07.ミモザ

平成10年3月26日、木曜日。 天気:くもり
鳥居れなが人間のカタチをして、この世に嬉々として誕生した。
いや、わからない。
うまれた時の涙が嬉しみの涙か、はたして絶望の涙だったか。
どちらにせよ、泣きながらうまれたのだ。

鳥居れなはよく泣く。

感情のメーターを振る針がきっと敏感なのだと思う。

小学校低学年の頃に母親の膝の上で
突然にボロボロと泣き出す演技をしたことがあった。

母に「どうやって泣いたのか」と聞かれ
当時の鳥居れなは正直に答えた。
「お母さんが死んじゃったって考えたらこうなった」と。
「あんた女優になれるよ!」と
母が興奮していたのを覚えている。
なんてこった恥ずかしい。
うちの母はドが付くほどの天然なので、
実の我が子に、想像とはいえ
焼香を焚かれたことにも、喜んでしまっていた。

この年齢になって、
以前よりは泣くことが少なくなったと思う。
「国の内外、天地とも平和が達成される」
という意味の〝平成〟にうまれたからなのか、
ぽくぽくと水が湧き出る、線路も敷かれていない「田舎の中の田舎だよ!」
と叫びたくなるような清らなる土地にうまれ
野原を笑いながら駆け回るような子供時代を生きたせいなのか、
まったく脳みそが平和ボケしていて
このような、目に砂が入らなくても
風が吹いただけで涙が出るような人間に仕上がってしまった。

涙の出る理由はたくさんあるけれど、
できることならば
くだらない涙は流したくないものだ。
だって塩がもったいない。

何か心が震わされるものに触れた時に、
止めようとしても勝手に溢れてくるあれは
私の中でとても大切でアートな涙だ。

ここ数年の中にも「意味が分からなくても」
勝手に涙が溢れた瞬間があった。
印象深かったのは、自分のアルバム制作期間に
お世話になっている大先輩ミュージシャンの
ご自宅のスタジオで
レコーディングを終えた後に、
オススメのアーティストの音源を聴かせてもらっていた時のこと。

SARAH McLACHLAN(サラ マクラクラン)の
Surfacingというアルバムの7曲目。
【Angel】という曲をかけてくださった。

深い深いサウンドにボコボコと沈んでいくような感覚だった。
ワンコーラス目の終わりに、スピーカーに向かって縦並びに座っていた
大先輩が振り返ると、
そこには顔面水浸しの鳥居れなが
真後ろですっかり溺れていることに、
ギョッと驚いていた。もはや引いていた。

止めようがなくて垂れ流してしまった。
先輩は引きながらも…
「それはお前の良いところだな」と
フォローしてくださいました

あの時は歌詞の内容をほとんど理解できなかったけれど、
何かに心が震わされる瞬間ってそういうことなのだと思った。

先輩、言葉にはできない感情を与えてくれる
アーティストと音楽に出逢わせてくださり本当にありがとうございます。

雨露霜雪のある日々の中で
私たちは人間という生物の身体と魂をもって
難しい仕組みの中で上手に世界を生きている。

忙しい毎日の中で忘れ去られがちな、幸福。

自分がどう捉えるかによって、
幸福はどれ程までも
手に入れることができることを
たまにどこかに落としてしまうことがある。

そういう時は大体、
ひどく疲れる場面に出くわしていたり
ショックな出来事に打ちのめされていたり
そういったことばかりに目が付く脳になっている

先ほど洗濯を済ませた。
お日様の下に洗濯物を干せること。
よく晴れた朝が来て
小さな植木鉢に背筋よく伸びたガジュマルに
『おはよう』を言えること。

あたたかいごはんを食べて
『ごちそうさま』を言えること。

今、目の前を歩いている
ひとつの家族の楽しそうな足取りと話し声。

ありふれた日々に見られる風景に
〝幸せ〟を感じた時にも涙が出る

当たり前ってどこにもない。
ひとつひとつが奇跡で繋がっていることを
私たちは何度でも思い出そう

色々な痛みを知ったひとは、
あたたかく優しいひとが多い
誰も無傷のままでは大人になれないのだと思う。

涙を自分のために使うのは少し格好悪い、
そんな歳にもなったのだ。

私にとって大切な人の痛みに触れた時、
側にいて一緒に涙を流せる関係でありたい。
そして幸せを共有して、
一緒に幸せな涙を流せる関係でありたい。

爽やかなビタミンカラーの
ミモザの花が満開になるこの頃、
少しだけ感性がまた潤っているような…

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