清流肱川の畔に築かれた大洲城 [日本100名城] [愛媛県大洲市]
(2024年7月攻城)
鎌倉時代に宇都宮氏がこの地に築城する。
安土・桃山時代には羽柴秀吉の四国平定後、小早川隆景が入封し、枝城となる。その後は、藤堂高虎、江戸時代になると脇坂安治と錚々たる武将がこの地に入る。1617年(元和3年)に加藤貞泰が入封し、以降は加藤氏の藩政となる。
その大洲城の縄張りを見てみると、
肱川の畔の地蔵岳に築城した梯郭式平山城である。
ということで、攻城開始。
東門跡。大洲城の正門(大手門)にあたる枡形門跡だが、遺構はほとんどない。郵便局の前の道路が城に続く道だったようだ。で、両側は堀だった。
大洲市民会館の入口一帯が櫓下御門(二の丸大手門)跡。門の石垣が一部残っている。
大洲市民会館の隣にある建物は二の丸の下台所(現存)
二の丸から眺める本丸と天守。
石垣に近寄る。野面積みがいい感じ。
二の丸御殿があった曲輪跡。
ここも二の丸跡。修復作業中の石垣の石がゴロゴロ置いてある。萌え。
御門番長屋(復元)
二の丸玉櫓があった場所。
二の丸鉄砲櫓があった場所。
二の丸から本丸と天守を眺める。
本丸の石垣。
本丸へ入る。ここにはかま櫓があった場所。
かま櫓跡からの眺め
井戸丸と天守。
いよいよ天守へ向かう。
暗り門跡。ここが天守へ到る最後の門。
天守は木造復元、複合連結式層塔型である。天守は明治時代に破却されたが、当時撮影された写真をもとに、基礎から完成まで考証を重ね、当時の技術、工具にこだわり忠実に復元されたという。2004年(平成16年)に天守復元工事が完成。
天守と台所櫓(1859年木造復元)
天守と高欄櫓(1860年木造復元)
再建された天守内部
もはや見事としか言いようがない!
高欄櫓内部
本丸からぐるっと見渡すと、肱川の先には山々に囲まれた天然の要害の地に築城したことがわかる。
北の菱御門(二の丸搦手門)跡。裏門跡から撤収。
撤収完了。武家屋敷の跡地を歩く。
武家屋敷が立ち並んでいた場所はほとんど遺構はない。
以前の大雨で石垣が崩れたのかブルーシートが掛けられていた。なるほど、二の丸跡にあった石は崩落したこの部分だったのか。
堀跡を示す案内板。現在、堀は埋められ住宅街になっている。
そして、苧綿櫓(1833年木造復元)
よりにもよって、三の丸の南隅櫓(現存)を見落としてしまった!また来なければ、、、。その時は城内ではなく、城下のホテルに滞在しようかな。清流肱川の鵜飼とセットでね。
城内ステイはめちゃくちゃ高い。
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