佐賀藩の飛地、神代鍋島陣屋 [長崎県雲仙市]
(2022年7月訪問)
長崎空港から諫早駅直通バスに乗り、諫早駅から島鉄列車で神代駅へ。
神代駅のそばには「雲仙市神代小路重要伝統的建造物保存地区」というものがあります。
このエリアは江戸時代の名残のある家屋が10軒ほど残っていて、全部見学できるわけではありませんが、江戸時代にタイムスリップしたかのような街並みが楽しめます。
長屋門(帆足家)とか、
石垣とか、
その街並みがそのまま保存されています。
で、今回の目的はこちら。
鍋島陣屋です。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉による九州征伐(=島津征伐)の後の国割で、この神代の地は龍造寺領になり、佐賀から鍋島信房(鍋島直茂の兄)が入封し、佐賀藩の家老家として明治まで続きます。
その鍋島家の陣屋跡を訪問しました。
受付で入場料300円を支払って、陣屋内を見学します。
陣屋内は撮影不可、玄関から入ってすぐに目を引いたのが中庭の池、当時の来客者も「おっ、これは、、」と唸ったのではないでしょうか。広い畳間の部屋や台所など、当時暮らしていた人たちの息遣いが今にも聞こえてきそうです。
外に出て、庭の方へ行ってみます。
慶応元年(1865年)に完成したという長屋門。
この佇まい、、旧領主の屋敷に相応しい威厳が醸し出されていますよね。
庭園へ行ってみます。
庭の手入れが行き届いていて、素晴らしい。
少し高いところから鍋島邸を一望します。
こういう所に一度でいいから暮らしてみたいですね(うっとり)
というか、私のご先祖様はこの神代鍋島家に仕えていた武士だったそうです。
陣屋内のどこを切り取っても絵になりますね。
この神代鍋島陣屋の裏手に神代城趾(別名鶴亀城)があるのですが、今回は時間がなかったので見に行くことができませんでした。この城は南北朝時代に神代貴益によって築城とされていて、沖田畷の戦いの時には龍造寺軍の本陣でもあり、沖田畷の戦いの後までは神代氏の居城だったんですが、有馬晴信の謀略により滅ぼされてしまいました。
残念ですが、次回の楽しみができたということで。
その時はまたこの陣屋や周辺をじっくり散策したいと思います。
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