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武田vs徳川の激しい争奪戦を繰り広げた高天神城[続日本100名城][静岡県掛川市]

(2023年1月攻城)


青春18きっぷを利用して、静岡県掛川市までやってきました。そして、掛川駅からバスに約30分揺られてやってきたのは、そう、高天神城です。

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駿河国との国境にある高天神城ですが、いつ築城されたのかは正確にはわかっていませんが、戦国時代は今川氏の支城として機能していたようです。駿河侵攻で武田信玄と手を組んだ徳川氏の手に落ちます。

高天神城といえば、武田vs徳川の激しい争奪戦を繰り広げた山城でもあります。信玄時代には落とせなかったこの城は、信玄の死後、息子の勝頼がついに陥落させます。で、また徳川家康が奪い返しに行くという、、。



そんな高天神城の縄張り図(想像図)が追手門跡入口にありました。

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井戸曲輪を中心に、西曲輪と本丸側でHのようになっていますね。万が一、西曲輪か本丸が落ちたら、反対側の曲輪に集まり抗戦できるようになっていて、想像図から見ると山が急斜面で堅固な山城だったことを伺わせます。


さて、いざ参らん。

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追手門跡。

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追手門を抜けると、着到櫓跡がありました。

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この曲輪の広さから結構大きな櫓だったんでしょうか。だとしたら、正面突破は厳しそうですね。



ん?二の丸方面は土砂崩れのために立ち入り禁止とな。

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山城あるあるですよね。
大雨などの土砂くずれで立ち入り禁止になったりしちゃいます。



では、三の丸、本丸方面へ向かいます。

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三の丸跡。

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三の丸を取り囲む土塁跡が残っていました。

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三の丸からの眺めです。

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本丸へ向かいます。

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本丸跡かと思ったら、御前曲輪跡でした。

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そして、後年に作られた模擬天主台跡があります。案内板によると、昭和9年に地元の軍人さんが2層の模擬天主を建てたそうです。しかし、昭和20年に落雷で焼失してしまったそうです。


神社が祀ってありました。

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火ヶ峰砦が見えます。

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高天神城の周りには6つの砦跡があります。これは武田勝頼に高天神城を奪われた徳川家康が、城奪還のために築いたものです。高天神城の近くにある横須賀城もそのために築かれた城で今回は残念ながら訪問できず。またの機会にでも。


神社の脇を抜けていくと、お?虎口跡のような土塁がありますね。

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本丸跡に着きました。

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こちらも本丸への虎口の土塁跡ですね。

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その虎口跡を抜けると、的場曲輪跡です。

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いやはや、いい土木工事をされています。

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ん?ここは堀切跡のような佇まいですね。

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ここは井戸曲輪跡のようですね。ちょうどHの真ん中のところですか。

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戦死した武将たちの魂が祀られているのでしょうか。合掌。

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西の丸跡です。

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結構登ってきましたね。

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西の丸跡からの眺めです。

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西の丸跡から更に先に進むと、おっとここにも堀切跡です。

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西の丸のは渡らせないぞ、という意気込みが垣間見えます。



そして、馬場平へ到着です。

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馬場平からの眺めです。遠くに海が見えました。

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馬場平の奥には甚五郎の抜け道とやらがありました。

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ここから甚五郎さんが城を抜けて武田勝頼に落城を伝えに行ったとあるので、第2次高天神城の戦いの時ですね。


甚五郎さんはかなりの難所を抜けて行ったようですね。

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登山経験があるかと言われれば微妙なので、今回は止めておきます。



井戸曲輪に戻り、二の丸跡へ向かいます。

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二の丸跡です。

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二の丸跡から袖曲輪跡を眺めます。

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袖曲輪に向かうと、おおお、ここも堀切です。

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一旦戻って、戦死の趾がある曲輪へ来ました。

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そこから先ほどの堀切跡をじっくり観察します。(堀切大好き)

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ああ、やっぱり山城っていいなあ。



その曲輪の背後には空堀跡もありました。

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第1次高天神城の戦いではここから武田軍が攻め落としたらしいのですが、武田氏の城となった時にその弱点を補強する形で空堀が作られたとか。なるほど。



また二の丸の先をどんどん歩いていきますよ。

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曲輪の後にまた堀切です。なかなか簡単に敵を寄せ付けない感じですね。

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また少し歩くと堀切です。

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登っては下り、登っては下り、

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井楼曲輪で行き止まりです。

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井楼曲輪から下りて、空堀跡に沿ってまた二の丸跡へ向かいます。

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お、竪堀跡もありました。

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武田氏、いいお仕事をされてますね。

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そして、搦手門跡から退却します。


三ヶ月井戸跡。

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ずっと階段を下っていって、

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搦手門跡に到着です。
搦手門からのアクセスの方が歩道が整備されていて行きやすそうですね。


第2次高天神城の戦いで武田勝頼は立て篭もる部下のところに援軍を送れずに、見殺しにしまった形になってしまい、家臣団に動揺が広がったとか。これが翌年の武田氏滅亡につながったのではないかとも言われてますよね。

次に訪問するときは、周りの砦や横須賀城跡も併せて見てみたいですね。


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