佐賀平野の中心部にある沈み城、佐賀城 [日本100名城][佐賀県佐賀市]
(2021年4月のブログ記事より転載)
熊本城を見学した後は、ローカル電車でのんびりと佐賀へ向かいました。
肥前の熊こと龍造寺隆信が、沖田畷の戦い(長崎県島原市)で討死してから龍造寺家は衰え、台頭したのが家臣の鍋島直茂でした。できる男だからそうなりますわな。龍造寺氏の居城だった村中城を拡張整備してできたのが佐賀城です。
そんな佐賀城を見ていきましょう。佐賀駅からは少し歩きますので、歩くのがしんどい時はバスを使うと良いでしょう。
佐賀城北側の防衛ラインとして作られた十間掘跡。かつては、十間(約20m)の堀幅で約5kmの長さに渡り、排水機能も兼ね備えていて、水害から守っていたそうですが、明治以降徐々に埋め立てられ現在に至っています。
さて、いよいよ佐賀城内に入ります。お堀が大きいですね。
さが桜マラソンのラッピングをしたバスが、、。そういえば、5年くらい前に参加しましたが、コースやエイドの給食がとても良かったなあ。
佐賀城の縄張りはこんな感じです。
現在は敷地内に佐賀県庁、博物館、図書館、美術館などがあります。
平城なんですがお堀が大きく、四方取り囲んでいた堀と土塁は一部しか残ってません。あと、現存しているのは門跡、天守台跡ですかね。攻撃された際は主要部以外は水没させ、敵の侵入を防ぐことから「沈み城」とも呼ばれていたそうです。城下を長崎街道が通っていたので、宿場町としても栄えていたようですね。
二の丸跡には幕末屈指の名君と称えられる10代藩主鍋島直正の銅像が建てられていました。というか、後ろの電波塔じゃま、、。
現存している鯱の門と続櫓。
門を抜けると、再建された本丸御殿がありますが、後から見学することにしましょう。
天守台跡ですが、木が邪魔で石垣がよく見えませんねえ。
天守台と本丸御殿。
お堀の周りは土塁で取り囲まれています。
西門跡。
天守台に向かいます。
これは桝形跡ですかね、、。
ここは天守に続く櫓でもあったのでしょうか?
天守台はかなり広く、享保11年に消失したと言われる天守は小倉城並みだったとも言われているのでこの広さは納得ですね。
天守台から本丸御殿方向を眺めると当時にタイムスリップしたかのような眺めに。
反対側はこんな感じ。
石垣の刻印を見るのが好きなんですよねえ。
天守台の石垣はここからならよく見えますね。
佐賀藩といえば、、、
復元された本丸御殿は歴史資料館になっています。しかも無料!
銃や鍋島勝茂が島原の乱で着用した具足が展示されていました。
見事に御殿内が再現されていますね。
このような展示の仕方いいですねえ。
再建された本丸御殿は見応えのある展示品がいっぱいで、これで無料なんて申し訳ないから、ほんの気持ちだけ寄付しました。
城内には佐賀県立図書館があり、お目当ては鍋島家の文書を読むことだったんですが、崩し字に撃沈、、精進せねば、、、。
私のご先祖様ゆかりの佐賀鍋島藩、これからじっくり勉強して行きたいですね。
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