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北陸で唯一の現存天守の丸岡城 [現存12天守] [日本100名城] [福井県坂井市]

(2024年3月攻城)


戦国時代、織田信長より越前の一向一揆を平定した恩賞として、越前を与えられた家臣の柴田勝家、その甥っ子である柴田勝豊が丸岡の地に築城。

その後、明治時代まで城主が変わっていくのだが、最後の城主となったのは日向延岡藩から移封した有馬家だ。そう、更に遡ると、肥前日野江(後に島原藩)の有馬晴信を祖とする家系だ。我が故郷ゆかりの家だ。


まずは縄張りを見てみよう。

正保元年(1644年)縄張図:国立公文書館より


縄張りは連郭式平山城である。そして、本丸、二の丸を堀で囲み、堀を囲む三の丸の周りを二重、三重と水路で囲んでいる。


まずはぐるりと城を取り囲む門跡を見ていく。


城下の北西にある金津口門跡。

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この案内の石碑だけで、門の遺構は見当たらない。


城を取り囲む水路。

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城下の北東にある長畝口門跡。

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東三の丸、下屋敷跡の道路を歩いていくと、一筆啓上 日本一短い手紙の館に到着。

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ここはまた次の機会にでも訪問することにして、更に城下の南方面に歩いていくと丸岡城天守が見えた。

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なるほど、小高い丘が本丸になっているのか。



城郭の東南にある里丸岡口門跡

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もちろん、ここも門の遺構はない。


堀の内側、南三の丸跡。

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ここには、有馬晴信を祀る御霊社、藩校「平章館」などがあったとのことだ。有馬晴信は岡本大八事件で甲斐に流され、切腹を命じられた。

そういえば、数年前に武田勝頼の最期を巡る旅で偶然、有馬晴信の最後の地も見つけたんだよなあ。
武田勝頼の最後を巡る日帰り旅、新府城と景徳院 [続日本100名城][山梨県韮崎市][山梨県甲州市]

と、そのそばに切支丹灯籠を見つけた。

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これは有馬家がこの地に移封された時に、切支丹の家臣もついていったってことなのかしら?もともと、この地は一向一揆の浄土真宗の地のはずだし、、はて。


城下南西の神明口門跡

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このお寺の境内に門があったとされている。


いよいよ、本丸へ。

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絵図からしたら、この撮影ポイントはかつてはお堀だったが、廃城後に埋め立てられたのだろう。



ゆっくりと本丸、天守へ近づいていく。

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野面積みの石垣とか思わずじっくり見てしまいますよねー。


本丸跡

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本丸跡から城下北東方向を眺める。
縄張り図からすると二の丸と堀があった場所だ。

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丸岡城天守、現存ですよ!現存!

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天守は独立式望楼型2重3階
昭和23年(1948年)の福井地震で天守は倒壊したが、散乱した木材などを地元の人達が保管し、昭和30年(1955年)に倒壊材の8割近くを再利用し、修復した。

もうこれ当時の人達に大感謝ですよ!


いざ、現存天守の内部へ!
まずは、現存天守名物(?)の急勾配の階段を登り、

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2階に到着。

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そして、3階

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3階から城下を眺める。

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絵図と照らし合わせると、本丸以外はほとんど遺構がないことがよく分かる。


一階へ。

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本当にきれいに修復して下さってありがとうございます、としか言えん。


もちろん、天守台の石垣もじっくり見る。

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ん?人柱お静?

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あくまでも伝説なんだろうが、ええええーっ!
築城時に天守台の石垣が何度も崩れるから人柱を入れることにして、それがお静さん?
ということは、これが本当なら天守台の石垣を発掘調査したら、人骨が出てくるってこと?


気を取り直し、その天守台の石垣をぐるりと見て回る。

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城攻めしている感じで天守を見上げてみる。

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この至近距離で石が落ちてきたり、鉄砲の弾丸や矢が飛んでくると思うとゾッとするな。



天守から一段下の曲輪は帯曲輪かな。
井戸があり、ここにも丸岡城の別名、霞ヶ城の名の由来となった伝説が、、。

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天守から一段下がった曲輪、帯曲輪?の石垣もじっくり見て歩く。

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丸岡城を一通り見て回った後は、そのそばにある城小屋マルコでゆっくりするのがおすすめ。

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店内にはここにいるだけで1日が終わってしまいそうなくらい、たくさんの歴史書籍や漫画が陳列している。



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