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関門海峡を見下ろす門司城 [福岡県北九州市]

(2021年4月のブログ記事転載)


博多駅からJRで向かった先は門司港駅でした。
門司港駅からは関門海峡方面に向かって歩き始めます。

右側にある山、古城山の山頂(標高175m)を目指します。


この辺りは壇ノ浦の戦いとか、巌流島の決闘とか、幕末でわしゃわしゃしたり、海賊と呼ばれた男がなんかやってたり、てんこ盛りなのですよね、、。


と、今回のお目当てはこちらの門司城跡です。

この地は戦国時代に絞ってみると、織田信長が尾張一国でくすぶっている頃に、中国の毛利元就と豊後の大友宗麟が激しい領土争いやっていて、永禄元年から5年まで5回も戦っています。
「川中島の謙信と信玄かよ。」と突っ込まずにはいられませんね。
最終的には足利幕府(足利義輝)が仲裁して、和睦しているんですよね。

なんでこんな小さな城をと思われがちですが、日本海と瀬戸内海を繋ぐ海上交通の要所ですので、ここを抑えることは戦略的に重要でした。



山頂を目指す途中に門司城の案内石碑が。



もう少しで頂上、というか本丸跡ですが、土塁の跡がありますね。



ということで、門司城本丸跡に到着です。


ここからの関門海峡の眺めは最高ではありませんか。
こりゃ、毛利元就もこの地が欲しくなりますよ。

城址としては土塁と曲輪跡くらいしか残っていませんが、この眺めを拝めただけでも上り坂を歩いて登って来た甲斐がありました。



そして、山の麓にはこんな案内板がありました。

後から調べてみたら、これは下関側にもあるようですね。
ここで細川忠興さんのいい話を拝むことができるとは思ってみませんでした。つか、ここで秀吉が命を落としていたら、その後どうなっていたんでしょうね。
関ヶ原の戦いがちょっと早くなったくらいで変わらないか、なんて考えながら、関門トンネルへ向かいましたとさ。






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