見出し画像

青森県で初めて国史跡指定を受けた浪岡城 [続日本100名城] [青森県青森市]

(2020年7月攻城)

青森旅行最終日は、大鰐温泉から青森空港へ向かう途中に、青森県で初めて国史跡指定を受けた浪岡城跡があるので立ち寄ることにしました。


大鰐温泉からの電車本数が少なく、弘前で一旦降りて約40分待ち、青森行きの電車に乗って浪岡駅に到着しました。駅から史跡までは2-3km離れていて、レンタサイクルで行くことができるようですが、私は駅には戻らず、駅へ戻る途中にあるバス停から空港行きバスに乗ります。


ということで、のんびり歩いたり、走ったりして、浪岡城跡に到着です。

広々とした平城跡ですね。草がぼうぼうに生えているところはお堀だったところでしょうか。うーん、これじゃ、深さがよくわかりませんね。



浪岡城跡の縄張り図を見て、どう見て回ろうか考えます。

8つの館(北館、内館、東館、西館、新館、猿楽館、検校館、外郭)で構成されているようです。郭のことを館って言い方しているんですね。築城は1460年頃、北畠氏4代、北畠顕義によって建造されたとあります。

守護館っぽい感じもしますね。
この城ができる前、1373年に平安京を模して敷地の四隅に神社が配置されていたそうです。(あ、確かに途中に浪岡八幡宮があったわ。)



ちょうど北館の入口に着いたので、北館から見て回ります。

北館は浪岡城主の家臣達が暮らし、武家屋敷を作っていた場所とあります。


北館は全面二重の掘で囲まれていて、、

うーん、なんか迷路みたいですね。案内表示がなければちょっと迷いそうです。



そして、西館に到着。
浪岡駅でもらった散策マップには「調査していないので何があったかわかっていません。」と非常にシンプルな説明が(笑)

見ようによってはだだっ広い畑、、、。



そして、内館に向かいます。両側がお堀です。


橋を渡ったところが、内館です。



内館は浪岡城主が住んでいた「本丸」のような場所とのこと。


なるほど、反対から見ると内館には土塁がありますね。



そして、観光案内所を素通りして、猿楽館に到着。
能舞台があり猿楽が催されたことからこの名称がついています。



そして、東館
1578年に浪岡城が大浦為信(後の津軽為信)により落城した後、一時期、津軽為信の弟が代官をしていた場所とされています。


そしてまたスタート地点の北館に戻ります。

近くに「青森中世の館」なるものがあり、ここの発掘調査で大量に発見されたものが展示されているのですが、あいにく、ここを見ていたらバスの時間がなくなってしまうと思い、また次回ということで断念しました。




余談ですが、バスの時間まで少しあったので、近くの焼きそば屋さんに入ったのですが、おにぎりと焼きそば合わせて320円って、、、 あまりの安さに驚愕でした。


サポートして頂けると単純なのでものすごく喜びます。サハラ砂漠の子供達のために使います。