The Missing Boy/Durutti Column

以前、アメブロに書いた記事の再編集・再構成版。


何だ、このギターの音色は。

一発目の出音を聞いて、もはや、これまでギターの概念とか曲の概念だのというものを根こそぎぶっ飛ばされた、というのは初めての体験だった。

問答無用。
この壮絶な「哀しみ」だけを切り抜いたようなギターの音。
聞くだけで胸に傷をつける。何と胸が痛くなる音。

普通の人の演奏の概念。
きちんと音符を正しく弾いて、間違いなく曲を演奏しきる事。

この曲は、音が壮絶な哀しみの響きを帯びてて。
その哀しみで塗り固めたその音だけで、最後まで何かの音符を弾き続けてただけで。

こんな音を幾多のギターの音の中から選びだした挙句、それを弾き方も加えて、寸分たがわず聞く人に「僕の哀しみ」を伝える事が出来る人なのだ。

当然、そんな彼の哀しみを、この音から感じ取れない人もいるのは分かっているし、それも道理だと思うのだが。10人のうち、それを5人までが感じ取るのだとしたら。それは、落語の名人の究極の境地とも言える『無舌(言葉で語らないで何かを伝える)』の神髄に到達した『真打』の芸なのだ。

こんな芸当が出来る人、日本人にいねぇわ・・・言葉を超えるというのは、こういう事か。言葉も通じない日本人の自分にまで、ギターの音が槍のように襲い掛かって、心臓を一撃で貫ける人。

英語の歌詞が載っているが、意味も何も知らないで、この曲を聴いただけで、タダならぬ気配が薫って来た。この曲には、何か重大な想いが潜んでいる、と。

こんな曲に「興味を持つな」というのが無理だろう。

で、この人は、めったなことで歌詞のある歌など書かない。
ギターで日記をつけるような人だから。

会った人の思い出をギターで綴り、起こった出来事のことを、毎日曲に綴るような人だったのに。

この曲は、普段は歌わないはずの彼が、意を決したように歌っている・・・。

それは、死んだ友に捧げられた曲で。Joy Divisionのイアン・カーティスへの想いを綴った曲。

歌詞でつまらないことを言ってるのではなく、音がもう。
『お前が死んで哀しい』とばかりに、泣き濡れたまま。

亡くなってから、三年も経つ、この演奏の中から、まるでそれが昨日の事であるかのような生々しい想いがつづられ。そして、彼がこれを何年たっても演奏する度に、その哀しみの色が褪せない事に驚く。

普通なら忘却の彼方に忘れ去ってしまうような、哀しみを忘れて、傷ついた心が癒されるような事を、完全に拒絶するかのように。彼は、ギターを弾き、この曲を弾くたびに、亡き友の御霊に、霊前に花を供える。

亡き友を、死にまで追いやったミュージック・ビジネスへの怒りと、彼を死に追いやりながら何の責任も取らずに、次の俺たちが楽しめるネタは何だとばかりに、過去に追いやろうとする無責任なリスナーたちの薄情への怒りと糾弾

目の前の観客すら、どこか、信用していないような。
観客さえも敵に回しているような、その壮絶な哀しみの中で。

お前も、友を死に追いやった、軽薄な連中の仲間かとばかりに敵意を向けるような・・・失語症めいて、全ての言葉をギターで語るような寡黙なギタリストが、たった一言、友への哀悼の中から、ミュージック・ビジネスへの全身全霊の敵意を表明している、その歌詞と歌の壮絶な重さ。

こんな音を向けられたら、”お客様こそ神様”の日本人が耐えられるはずもなく、理解の範疇を超えるのも無理も無いのだが。

その犠牲になった友の墓前に、静かに花を供える様に。

壮絶な哀しみと怒りの入り混じった音を、毎回寸分も違わず、完璧に弾きこなす寡黙な彼の『ジェントル・パンク』は。聞くたびに、僕の胸を打つ。

ある男の子がいた
彼を良く知っていたよ
視線を交わしたことが
僕は凄くいい気分だった

いくつかのサインを残して
今となっては伝説となってしまった

夢が紡がれていたね
想いが届く場所で
愛が留保されている
前世から

土の中の死んだ鳥の様な
錆びた缶の様な
僕は信じない
そんなスターダムなんてものを
機械が動いているようなものだ

ああ、専門家だらけさ
エキスパートだらけさ
いつもと同じ古臭いオーダー
いつもと同じ古臭いオーダー
いつもと同じ古臭いオーダー

執着して見ようとするのさ
偶然の美しさを
捕まえようとしたりね
光が弱まり始めたら
作曲の形
弱々しいなる影
夢の方がまだましだ
柔らかさの中に
溶けていこうとするけれど

終焉は、終焉は
いつも同じなんだ

お前にお勧めさ
甘ったるいチートも消えていく

ドゥルッティ・コラム
ポールのためのディテール
知られざるもの
ドゥルッティ・コラム

ある男の子がいた
彼を良く知っていたよ
視線を交わしたことが
僕は凄くいい気分だった

いくつかのサインを残して
今となっては伝説となってしまった

Ren 訳

友を死に追いやった、ミュージック・ビジネスに。
次から次へと、強欲に『何か新しいもの』を追いかけて、次々に『何かを置き去りにしていく』、新し物好きの軽薄で薄情な連中への糾弾を。

Same old order
Same old order
Same old order

New Order ってバンドに変わってしまったJoy Division に対して、この言葉がやたらと引っかかる。

彼は、その身が病に侵される、その直前まで訴え続けてた。

1985年、そんな無名に近い、大演奏家でもない彼を、日本が招いた時の。
貴重な記録映像が、今に残る。

少なくとも。あの頃の日本には。
そうした表現への理解と、志を汲み取るほどの余裕があった。

彼の志は、まだ、日本人の多くは受け取る事も出来ず、顧みられぬまま、この地上を彷徨っている。

冒頭の、Sketch For Summer の音に魅せられて。

同名の違った曲を作って、彼の想いを引き継ぐことを誓う。
まだまだ、あなたの名人芸の腕前には、足元にも及びませんが。
せめて、志だけは受け取りましたという事だけは残しておきます。

たった一音で、感情を伝える事の出来た名手に捧げる。

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