音楽における杓子定規の説明

・とにかくゼロレベルで完璧、理論ぶっ壊す
理論 0: 非理論10

・決め事通りキチっと、完璧に理論に即している
理論 10: 非理論0

実は、これ、よく考えればわかると思うが、どっちも杓子定規である。

特に前者は、自分が自由な事やってる天才に見えて、ガチガチ理論派と同じレベルの間違いをやっているのである。

てのは、理論あってこそ、その理屈が成り立つのである。

理論なんか必要ないのだったら、ムキになって理論派に反論などしなきゃいいだけなのである。

「理論を使わないって決めた、君の理論」だろ?それ。

既に理論なんだよ。
理論を意識した上で、それを破るって以上、理論の名を借りてる段階で終わり。

本当に束縛を離れたいなら、友達にさえなる必要もない
し、相手にそれさえ認めてもらう必要はない。それをムキになって反論しようなどと試みる必要さえないはずなのだ。

さて。理論派と非理論派、喧嘩を先に売ってるのはどちら
だろう。
ぶっちゃけ僕には、どっこいどっこいに見える。

関わる必要さえないのだ。論争さえも必要なかろう?
互いに認め合う必要さえ生じない
場合もある。何でそこまで互いを意識しなきゃいけないのかってだけ。どうせ、互いに互いの現場に来るわけでもないし、名指しで「こいつのやってることデタラメ」呼ばわりしてる訳でない事にまで、口を差し挟む必要もない。

相手が発言した事が自分を傷つけた、とか、そんなん、自分の過去のトラウマは自分で処理せいや。相手が君を名指しで侮辱したのでない以上、何で自ら相手に喧嘩を売りに行くのだ。

元から違う時空と次元に存在してるのなら、相手の存在など最初からどうでもいいこと
なんだよね。

宇宙人は必ず地球を侵略するとは限りません。
地球人と敵対行動するとも限らないし、だからって接近して友達になるとも限りません。

もしかしたら、地球人の存在なんかとっくに知ってるけど。
あ、何かやってるって、ただ眺めてるだけ
だったりして。

別に、地球人が困ってる時に、助けようとも思わないだろう。
君がアリさんを眺めて、アリが巣にエサ運ぶのを手を貸す?

貸した事ない
んだったら、君はアリとは何の関係もないし、大体そこに関係さえ生じなかったかもしれない。ただ、アリたちを驚かしただけとかね。
貸したところで、アリさんが君に感謝するとは限らないでしょ?

違う次元と法則で動いてるんだから、そのアリたちが、人間と同じ感謝を君に寄せて、ひたすら君と友達になろうとすると思う?

それと同じで、あまりに何もかもが違い過ぎるものと、いちいち関係など持とうと思わないのが普通だと思うが。

たださ、そろそろ、そういうアホみたいな喧嘩がタイムラインに流れてくるのも、正直、不快なの。

相手に発言させない、じゃなくて、君が見ない自由を行使しなさいよ。

ついつい書いちゃったけど。何でたまに喧嘩が起こるのかって。
相手の意見に引用付けて、小賢しい意見を言う
からだ。

相手を名指し批評を言う上では、相手の素性からやってることも理解した上で、その人の音楽も聞いた上で意見するのが礼儀です。まして、ただ喋っただけの言葉に傷ついたとか、そんなん君がどう考えてもおかしいわ。

批評気取りで、どこの何様?と言われても仕方ないことをしてるのはどっちだろう。

通りすがりの人の言葉に、いちいち目くじら立てて引用して、批評した気になってるのは、批評になどなってませんよ。筋違いだろう。

それ、単なる通りすがりの人へのいちゃもんでしかないからね。


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