連日連夜の人身事故に思う
「今日も人身事故だ。昨日もあった。きっと明日も・・・」と、乗換案内アプリから送られてくる人身事故の通知を毎日淡々と眺ている。
偶に起こるなら、彼或いは彼女らに何があったのだろうとか、辛い世の中が良くなれば良いのにとか、何かしら思うところもあるだろう。
しかし、こうも連日通知されると人は慣れてくる。そうなると何人死んだ何時間電車が止まったというように、数字を追うだけで終わる。
本当は人それぞれ人生があり、何かしらのものがたりがある。その中で絶望に打ちひしがれ死を選ぶ人々がいることは正常とは言えない。
自分以外の者に、極めて冷淡になってしまっているのか?それとも誰かが死んでいくのを半ば諦めてでもいるのだろうか。
似たような感覚を過去にも持っていたような気がする。
ああそうだ、東日本大震災の頃だ。
あの時代は、けたたましく増え続けていく死者の数に茫然とするでもなく、なんら変わりのない日常をみんな送っていたはずだ。
誰かの人生が終了したとて、自らの生活は粛々と続いていく。当たり前だが、それが現実だ。
目まぐるしく動く世の中で、人は人を慮る余裕は無いのだ。
人の命とは何だろう。
それが最近の興味の一つである。