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松尾理也氏インタビュー 前編

インタビュアー 橋本 廉
経歴
1965年(昭和40年)兵庫県加古川市生まれ。産経新聞外信部記者。慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞入社後は、大阪、東京両本社社会部を経て、外信部勤務。1996年から一年半の間、米国サンフランシスコ州立大学に留学。2006年産経新聞ロサンゼルス支局長。2009年産経新聞ニョーヨーク支局長。1988年―2015年産経新聞社(及びその関連会社)に在籍。

教員経歴
2013年―2018年 日本大学法学部講師(非常勤)
2015年― 大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科教授(2019年〜同学科長)
2019年―2023年 京都女子大学現代社会学部、現代社会学研究科講師(非常勤)
2021年― 同志社大学社会学部講師(非常勤

大阪芸術大学短期大学部 伊丹学舎

Qなぜ慶應義塾大学を志望したのか?
東京に行きたかったからですね。俺は加古川出身の田舎もんや。加古川東高校に通って、地域で一番賢い公立校に通った。まぁ田舎の秀才や(笑)
加古川東の中でも賢い人は神戸大学行くわけ。ちょっとやんちゃな遊び人は関学とか行くわけさ。でも俺は家から出たかった。

Qそれは何故ですか?
親が嫌いやったからやね(笑)
まぁ、色々あって揉めてしまって。抑圧とかされて、とにかく東京に行きたかったのよ。行くとしたら東大と早稲田と慶應しかなかったのよ。


Qなぜ産経新聞社に入社されたのか?
文学部で書く事が好きやったから文字の仕事をしたかったからやね。神戸新聞も通ったけど全国紙の方が良いかなぁと思って。産経新聞は読んだ事なかったけどね(笑)

Q産経新聞社のロサンゼルス支局長とニューヨーク支局長に就任された経緯は?
元々海外に行きたかったけど行けなかった。大阪本社入社とか色々あってね。でも偶然が作用するのよ。その偶然とは9.11が起きたのよ。その後戦争が起きて、総力取材になった。特派員は本来一人で全部やるけど戦争やから鉄砲玉みたいな人が欲しいわけさ。それで当時35歳ぐらいで一応英語も喋れたから行ってくれって事になった感じかなぁ。


Q海外生活で良かったことは?
なんでも面白かった。でも一番良かったのは子供が英語を喋れる事になったこと。それは得難い体験だよね。おそらく日本に居て億万長者がどれだけ教育を施してもバイリンガルにはなれないわ。将来を見据えた投資としても良かったなぁと思っている。


Q海外生活で苦労したことは?
朝刊は午後14時頃から東京で会議が始まる。でもアメリカは時差で深夜やから、そこからネタを探して午前7時ごろまで作業をする。普通に昼間もアメリカで取材していたから、そこは苦労したね。でも海外赴任させて貰った会社には、とても感謝しています。

後編に続く。


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