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引退

2023年3月26日 「引退」

16年間続けてきたサッカーを引退しました。まずは、16年間不自由なくサッカーをさせてくれた両親、サッカーの技術だけではなく人として日々成長させてくれたスタッフ、喜怒哀楽を共にした仲間、先輩、後輩、自分に関わってくれた全ての人に感謝申し上げます。
数えきれないほどの学びを「サッカー」というスポーツを通して得ることができました。
メッセージをくれた方ありがとうございます。改めて僕は幸せ物で多くの人に囲まれ最高のサッカー人生を歩めました。本当にありがとうございました。また、報告できていない方もいると思うのでこの場をかりて報告させて頂きます。サッカー人生を終えるにあたり、ここに書き留めて置きたことが多く、感情的で佐藤節全開で書かせてもらいました。拙い文章ですが読んでくれると嬉しいです。



春は矛盾だ。出会いと別れ。終わりと始まり。美しいと醜い。どちらが良いも悪いもない。二択しかない問いがそもそも間違っている。そんな永遠に答えのない問いを考えながら試合会場へと車を走らせていた。家の近くの桜が満開になり優しい風に吹かれ綺麗に散っていた。桜は散るけど枯れない。なんだか今の自分と似てる気がした。

今日がサッカー人生最後の試合。怪我で試合には出れない。仲間をハイタッチで送り出し試合が始まった。制限時間は90分。丸い球を相手よりも多くゴールに入れた方が勝ち。そんなシンプルなスポーツがサッカーである。そして、90分間の試合を終える綺麗な笛の音。

「ピッピッピーーー」

試合終了の合図と同時にサッカー人生を終えるホイッスルが鳴った。なんだかすごく長く聞こえた。勝利を喜び合う選手をスタンドから見ながら16年間のサッカー人生を、嬉しい事も悲しい事も辛い事も、思い出したくない出来事でさえ、スキップすることなく、一つ一つ丁寧に振り返っていた。もし、人生が映画だとしたらこの16年間は早送りしないだろう。

小学生の頃、HONDA FC(現JFL)という地元のクラブチームのサッカースクールに通い始めた。ネットに入ったボールを蹴りながら歩いてグラウンドまで向かい球遊びに近いことをしていた。サッカーがなんなのかも知らないまま、とりあえずスパイクを履き、レガースをしてボールを蹴るという感覚だった。もちろん、楽しかったかどうかの記憶はほとんどない。
本格的にサッカーの試合などを始めたのが小学生3年生の頃で、めちゃくちゃ下手で試合には出れず、ベンチをいつも暖めていた。それが悔しくて誰よりも早くグラウンドに行き壁に向かってとにかくボールを蹴り続けた。学年が上がるタイミングで静岡県選抜に選ばれ、より高いレベルを目指すようになった。当時、足が速く相手を抜いて点を取る瞬間がたまらなく好きで楽しかったし、試合で勝って表彰されたりするのが嬉しかった。

中学は、ジュビロ磐田(現J2)の下部組織に所属し、毎日浜松から磐田を電車で行き来していた。小学生の頃から静岡県選抜で一緒にプレーしていた県内トップレベルを誇る選手が多く集まり競争の毎日が続いた。試合には出れず挫折を何度もしたが、全国大会を経験したり、韓国遠征に行ったり、多くの経験ができた。

そして、高校サッカーに憧れていて県内の名門校に行こうとしていたが、HONDA FCのスタッフから声をかけてもらい戻ることを決めた。トップチーム昇格を目指し3年間頑張ると決めサッカーに没頭していた。高校2年からキャプテンを務め、街クラブの全国大会で優勝したり、トップチームのキャンプに参加したり多くの経験をさせてもらったがトップチームには上がれなかった。しかし、赤いユニホームを着て地元から愛せれ、アマチュアなのにプロのチームを倒す実力を持っているこのチームがかっこよくて諦めきれなかった。そして、HONDAに戻りたくて、サッカーのレベルが高く、HONDAの練習参加にすぐ行ける距離にある今の大学を選んだ。

大学に入りサッカーの楽しさ、難しさ、苦しさ、深さを知り、サッカーのレベルをあげていくことと同時に、サッカー以外の大切な部分を学んだ。全治一年の大怪我も就活もしたりして自分がどんどんアップデートされていった。大学での学びが今の自分を形成しているのは間違いない。サッカーを通して言葉にできないほど多くの学びや経験、挫折や失敗を繰り返してきた。朝起きて学校に行き、授業を受けて、急いで家に帰りサッカーの支度をしてグラウンドに行く。練習が終わったら家に帰りご飯を食べて寝る。16年間簡単にまとめるとこんな感じだろう。こんな生活を続けてきた。しかし、今日でそんな生活を終えた。

試合後、最後のミーティングで監督が話をする。話が長い監督はやはり話が長く冬なら凍え死んでいたかもしれない。そんな監督の元で育ったから俺も話が長くなってしまったのかと思いながら簡単にみんなの前で最後の挨拶をした。何もかも最後になるのがなんか切なくなってきた。
サッカーを辞めることに後悔があるとするならばこの仲間と本気になってサッカーができないことだろう。

もしかしたら、一生本気で勝ち負けにこだわることはないのかもしれない。
もしかしたら、一生本気になれる一瞬はないのかもしれない。
誰かのために走って体を投げ出してゴールを守ることも、点をとって抱き合うあの一瞬もないのかもしれない。

明日の練習も来週の試合ももうやってこない。山に囲まれた緑の芝生も器具が少し置いてあるだけのスーパーハウスもミーティングで指揮を高め合う部室もおそらくもう使わないだろう。赤色のジャージも、緑のユニホームも、あいつの顔も、あいつのプレーも、あいつの声もグラウンドの上ではもう聞けない。

16年間振り返っても思い出すのは「仲間の存在」だった。勝って抱き合うあの瞬間が、声を出し合って何か成し遂げようとするあの空間が、言いたくもないことを言い合ってでも勝ちこだわるあの刺激が、悔しくて泣いて、勝っても泣いて、観に来てくれる人まで巻き込んで一体感が生まれるあの雰囲気が大好きだった。サッカーが好きなのではなくサッカーを通して出会えた仲間が好きだった。

ふと小学生の時亡くなった恩師の最後の言葉を思い出す。「サッカーを通して何が見えましたか?大切なことは一つです」それがわかった気がする。人それぞれこの答えは違うのかもしれないけど、俺は「仲間」と答える。一人でやる自主練はつまらなかっし、仲間がいたから辛い走りも乗り越えてきた。仲間がいなかったらサッカーはできないだろうし、助けるのも助けてもらうのも仲間。全ての始まりが仲間だと思う。サッカーを通して出会えた仲間は一生の財産になった。10年後に居酒屋で語り合うのを楽しみにしながら、今は違う道を歩むことにするよ。ありがとう。

そんな仲間との思い出に浸った後、小学生の頃によく聞かれた「将来の夢は?」と言う質問を思い出す。

小さい頃から将来の夢を聞かれたらプロサッカー選手と答えていた。よくある質問とよくある答えだろう。
プロサッカー選手を目指す理由は人それぞれ違うと思う。親に恩返しをしたいから。今まで続けてきたからその道のプロになりたいから。かっこいいから。誰かに夢を与えたいから。感動や勇気を与えたいから。憧れたから。サッカーが好きだから。
全部素晴らしい理由だ。プロサッカー選手ってめちゃくちゃカッコいい。サッカーをやっている人なら誰しもが憧れる夢であろう。
しかし、大学に入るまでの12年間はおそらく上記の理由ではなかった。「みんながサッカー選手を目指していたから」自分も目指していた。だと思う。幸いなことに、周りに人間はみんなプロを目指していた。だからみんなと同じようにプロになりたいからサッカーを練習して上手くなりたい、試合に出たい、そんな思いでサッカーをしてきた。

大学に入り、監督(恩師)と同期(師匠)の存在によって初めて心の底から「プロサッカー選手になりたい」と思った。サッカーのIQの無さを知り、自分の未熟さを痛感し、サッカーをする前に1人の人間として成長することの大切さを学んだ。誰よりもサッカーの勉強をした。サッカーとは。原理原則。優先順位。本質。戦術。観察洞察。サッカーだけではない。誰よりも本を読んだ。高校生まで本なんか一冊も買ったことがなかった人が300冊もの本を読んだ。リーダーシップのセミナーに参加したり、大人と話したりとにかく今できることを学び尽くした。本に何円使ってきただろうか。スタバで何時間勉強しただろうか。プロサッカー選手になりたいという欲は俺を夢中にさせた。ただただ、知らないことが知れるようになる瞬間が、できなかったことができるようになる瞬間が楽しかった。試合に関われるようになり、試合に出て強者に勝つあの瞬間は頑張ってきてよかったと涙が出るほど嬉しかった。しかし、神様はそんな俺に試練を与えてきた。

大学2年の11月に「前十字靭帯断裂、半月板損傷」と言う全治一年の膝の大怪我をした。ポジティブな俺はそんな落ち込まずに半年で戻ってくると誓いピッチを離れた。最初の三ヶ月は順調にリハビリが進んだ。しかし、半年が過ぎた。そんな簡単ではなかった。思ったように膝が動かない。「これ、俺の足なのか」「また思いっきりボールを蹴れるのか」「走れるのか」と何度も思った。

チームの活動は止まることなく進んでいく。サッカー出来なくて、一番チームとしても強くて、そこに入れなくて、外から毎日見てて、自分と向き合い続けた。しかし、本気で目指していたプロサッカー選手がいつしか日に日に消えかけていく自分がいた。

毎日グラウンドにギラギラして今日も上手くなってやろう、サッカーってクソ楽しいじゃんって、サッカーをしてる後輩やみんなを見てるとなんだか苦しかった。俺もこの時期があって、いつから傍観者になったんだろうって。悲しいような、劣等感が出てくるような、もやもやした感情に押し潰されそうに何度なったか。俺は強がりだから、そーゆー感情とかはみんなには見せれない。笑って、ヘラヘラして、ポジティブに自分を包んで自分を封鎖する時が多かった。
だから、考えた。サッカーを無くした自分は何を残せるのかと。サッカーはできなかったが自分と死ぬほど向き合った。どんな人間になりたいのか。どんな風に生きていきたいのか。何を成し遂げたいのか。とにかく自問自答した。自分を知ることは簡単ではない。ものすごく時間がかかる。自分の弱いところや苦手なこと、蓋をしたいことその全てと立ち向かわないといけない。これを乗り越えないと自分が自分でなくなる気がした。だから自分を知り、どんな人間に、どんな風に生きていきたいのかを考えた。結果的にプロサッカー選手を諦めるという決断をした。そして、サッカー部を引退し、次のステージへ行くことに決めた。
この決断が正しいかわからないし、未来がどうなるかなんてわからない。この世の中、正解を探して生きるほど時間はない。
自分の選んだ道を正解にする。これなら今の自分ならできる。
叶えられるかどうかもわからないそんな夢を追ってきたその時間は言葉にできないくらい財産になった。プロサッカー選手を夢見て、時間もお金も何もかもサッカーだった。プロになれなかったから無駄だったなんて1ミリも思ってない。
夢を持つことの大切さは、叶えるか叶えられないかに意味はないかもしれない。むしろ、なれるかなれないかなんてわからない。夢がもたらしてくれるのはなりたいものに向かって日々自分が成長していくその過程に価値がある気がする。少なからずプロサッカー選手という夢が教えてくれた。

自分を自分が一番知っているからわかる。
まだ知らない自分に会いに行きたい。
もっともっと知らないことを知りたい。
もっと出来ないことをできるようになりたい。明日を考えれば考えるほどワクワクしてくる。昨日の自分を越えて日々成長していきたい。

プロサッカー選手という夢は叶えることができなかったが、新たな夢ができその夢に今は夢中になっている。

後悔がないか。と言われれば後悔も残るかもしれない。でも、でも、それ以上に次のステージで輝く自分が見えて、ワクワクして、たまらない。サッカーは本当に素晴らしいスポーツで今後も何かしらの形で関わる時が来るかもしれない。しかし、競技人生は区切りをつけ、俺のサッカー魂はプロになる友人、後輩に託すことにした。
この一年、この選択をしてよかったって言えるように。サッカーを続けている選手たちよりも圧倒的に成長して相乗効果を生み出すのを。
俺ならできる!!って気持ちを持って全開で突き進みます。

夢を叶える瞬間ってどんな気分なんだろう。そんな楽しみは取っておこう。

生まれ変わってもサッカーに出会うだろう。そして、みんなに出会うだろう。

桜は散るけど枯れない。夢を握りしめて新たなステージへと散っていく。
道は違うけどお互い頑張ろうな。




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