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孤独な僕らのために

 僕の暮らしている場所の半径100メートルでさえも通ったことのない道があって、その道のことを考えると形容し難い未知の感情に襲われる。僕は遠出をしてその場所を知った気になるけど、住んでいるわずかな半径のことも実のところロクに知らないわけで、なのに遠くのそれはたったの一回、あるいは数回で知った気になってしまう。この半径では人が死んで腐っているのかもしれないし、子どもが毎日サッカーの練習をしているのかもしれない。僕と同じ大学に通っている同学年同学科の人間が僕と同じ講義の課題で頭を悩ませているのかもしれないし、もしかしたら十年後の僕がタイムスリップしてひっそりと暮らしているのかもしれない。どうかなんてわからないけれど、そんなことを考えると不思議と安心感のようなものすら覚える。

 もしかしたら、僕の半径100メートルにはあなたがいるのかもしれない。僕の声も姿も性別も癖も知らないあなたが、けれど僕と何度かすれ違っているのかもしれない。僕もあなたもお互いのことを認識していて、けれどそれが『僕』と『あなた』だと気づかずにいるのかもしれない。

 そういったすれ違いは、結局のところ単なる想像であり幻想であり確率論的にありえない話で、つまらないラブコメ漫画だけのありきたりな設定だ。僕たちは面識がないし、居住地はキロ単位で離れている。見ている月や海は同じかもしれないけれど、その視点や角度は微妙に異なるし、それらを完全に共有することは叶わない。僕たちはそれぞれ一人だけで孤独な月を見ていて、孤独な海を見ている。空は繋がっていると言うけれどあなたの見ている空と僕の見ている空は確実に違う。海も月も太陽も摩天楼も空気も孤独も不安も、僕たちはそれぞれ一人で見ることしかできない。ならば隣にいればどうなのだろうと思う。同じものを見れるのだろうか。しかし僕たちは同じ目を持っていないし同じ耳を持っていない。同じ肌を持っていないし同じ脳を持っていない。視点も角度も一緒でも、僕たちが他人である以上同じものは見ることなんてできないし、同じものを見れたとして同じものとして知覚できはしない。

 カップルがベッドで愛を囁き合っても、片方の言う愛ともう片方の言う愛が同じ訳がない。どちらかが重くどちらかが軽い。どちらかが青でどちらかが赤。どちらかが貰いたくてどちらかがあげたい。どちらかが本物でどちらかが偽物だ。

 僕があなたの好きな音楽を聴いたとしても、あなたが聴いた音楽を僕を聴くことはできない。僕はあなたではないからだ。そして、あなたが僕の好きな本を読んでも、あなたは僕の読んだ本を読むことはできない。なぜならこれも、あなたが僕ではないからだ。

 すれ違うことが運命づけられた本質的な孤独の中で、僕たちができることはなんだろう。

 とてつもない孤独のように思えるこの世界だけど、けれど幸いなことが一つある。それは僕らが人間であるという事実だ。人間の根本的な欲求は、単純に孤独を紛らわしたいという感情だと思う。

 僕らは孤独を紛らわすために、すれ違う運命のあなたのことを理解しようと努力する。違う目で見て、違う耳で聴いて、違う文字で書いて、違う言葉で話して、違う脳で処理して……もはや原型を留めていない『あなた』のことを、僕は『あなた』だと壮大に誤解する。あなたに近づけた気がして、あなたに触れられた気がして、ただただ嬉しくて、孤独を和らげられたような気がして嬉しくて。ぐちゃぐちゃになった『あなた』の虚像を見つめ続ける。ただただ、必死に。

 そんな運命を、僕はかぎりない悲運のようにも、かぎりない愛のようにも感じてしまう。

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