見出し画像

君の話

 朝焼けは眠さの象徴だ。コーヒーも紅茶もない僕の部屋には無音と鳥の声と干乾びた煙草の匂いだけが漂っている。最近は水族館のくじらも不思議なフクロウも夏の街も世界の終わりもカノカズサもソングバードもチーズケーキも僕の中からふっと消えてしまった。消失したわけでも壊したわけでもない。煙が高いところへと昇っていき次第に空気と混ざるように、それはごく自然に輪郭を失っていった。

 すずめの戸締りを見た。
 あまり好きじゃなかった。

 新海誠の持っていた水鉄砲は透明で透き通っていて、ところどころラメ加工が施されていた。星とかハートマークとかが貼られていて、銃口からは水色のそれが発射された。失望というか絶望というか、「やあ、君も元気でやっているんだね」という気持ちだった。やあ、君も生きているんだね。そしてまだ映画を作り続けているんだね、と。僕は家に帰ると、30分ほど映画を咀嚼した後午後の陽だまりの中でゆっくりと目を閉じて身体を休ませた。眠りはしなかった。

 ときおり君のことを考える。

 カメラを持ってファインダーを覗いてどうなるかというと、特にどうもならない。望遠レンズは僕の両目よりも優秀で、しかし僕の両目ほど多くの光を捉えない。1/100の世界と1/250の世界の知覚が僕には分からない。けれどそれらは区別されて回っていく。写真はなんだか味気ないけれど、滲みがでるから好きだ。その滲みの機能が、僕の目にも備わっているといいのだけれど。

 そして、ときおり君のことを考える。

 多くの物事が進み、多くの物事が停滞し、そして多くの物事が空転する。僕は僕として進み、停滞し、空転した。進んだ距離は長いように思う。随分と歩いた。後ろを振り返ってもなにも見えなかった。夏の街はどこ行ったんだっけな。100円で買えるクリームパンはどうせ値上げで120円だろう。そんなもんだろうね、きっと。

 僕と君のことを考える。

 特に言うこともない。「言うことがない」ことを伝えるためにこれを書いている。かつて僕は言うべきことがあった、言いたいことがあった。冷めてない、見失っていない、僕は僕だ。失望もしてないよ。でも今は少し停滞させていてほしい。30歳くらいになったらまた口を開くのだろう。それは恐らくの話だ。僕は僕の節目に、また新たに何かについて言うべきことを見つけるのかもしれない。それは僕と君の半径かもしれないし、象使いのことかもしれない。

 首筋に可愛くがぶがぶする吸血鬼とのドタバタラブコメ小説なら書きたいかもしれない。なんか、今大切なのってそれなのかも。分量を決めて砂糖をちょっと減らして、その代わりココアパウダーを増やして、照れくさそうに笑いながら、僕らは一緒にティラミスを作って食べるんだ。でも僕は、やっぱりヴァンパイア・サマータイムみたいな湿度が好きなんだ。好みとしてはラブコメもいいけど、自分が書くってなったらね。その乖離を許容できないからこそ、僕は口を閉ざすべきなんだろう。


 君の話をしよう。
 君は僕の運命の相手で、僕と結ばれるべき人だ。
 それは100パーセント疑いようもなく。

 言いたいことが一つだけあるのだとすれば、きっとそう言うことなんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?