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ヤニカス転落記

 禁煙ブームがすっかり浸透し喫煙者の人権がはく奪されて幾星霜、人権のない人々は狭い喫煙所で肩を寄せ合いながら一服することを余儀なくされていた。そんな人たちを眺めながらレミィ少年は、そこまでして吸うタバコというものは一体どれだけの快楽をもたらしてくれるのだろう、とぼんやり思っていたのだった。
 成人をして友人と一緒に居酒屋で初めてアルコールを飲んだとき、その独特な浮遊感に感動したのを覚えている。酔う、という感覚はこれなのかと。どれだけ知識として知っていたとしても、百聞は一見に如かずということわざの通り体験してみなければその感覚や本質は掴めない。僕はふわふわした頭のまま、友人の吸っているタバコの火をぼんやりと見ていた。
 その流れで一本拝借するのは自然なことであり、僕は紙巻きのそれを咥え見よう見まねでライターで火をともした。深く吸うとそのままぽっくり死んでしまうのではないかという恐怖があり、小鳥がついばんだ餌くらい少量の煙を口の中に入れた。
 口腔喫煙も肺喫煙も知らない人間はすぐにその煙を吐き出す。口に残ったのは独特の苦みと嫌悪感。しかしながら「まずい」という感想はなく、銘柄すら思い出せないそいつへのファーストアプローチの感想としては「よく分からなかった」というのが結論だった。

 時は流れ、僕は22歳になり大学の友人とカラオケに来ていた。始めは感動的だった酒の酔いにも慣れ、僕は一服しに部屋を出ていく友人になんとなくふらふらとついていき、一緒に喫煙所に入った。
 しょうもないカラオケ店のしょうもない喫煙所には灰皿スタンドが二つ置いてあり、僕ら以外の客の姿はなかった。RPGだったらゲーム終盤で手に入るアイテムを持ってきて二つの灰皿スタンドがゴゴゴゴゴと音を立て新たなダンジョンが出現するところだが、あいにくここはただ喫煙所。訪れるのはロトの勇者でも光の戦士でもなく、肺を真っ黒に染め上げた喫煙者である。
 さて、そこで僕は友人にタバコを一本もらい、実に二年ぶりくらいにタバコを吸った。そのとき貰ったのはアメスピのターコイズ。

 吸ってみての感想は、「意外と面白いかもしれない」というものだった。タバコ本来の美味しさというよりは、吸った後に訪れるヤニクラが興味深かった。アルコールの酔いと同じように、ニコチンの作用による特有の現象が僕には新鮮だったわけだ。
 結局二本も吸い、タバコ初めての自分はヤニクラが収まらずカラオケルームに戻った後もソファの上でぐったりとしていた。そして、僕はその友人から残り五本ほど入ったアメスピのボックスと百円ライターを貰ったのだった。

 せめて貰った分は吸ってみようという気持ちと、五本も吸ったら立派なヤニカスになってしまうのではないかという恐怖が戦っていた。結果的に好奇心が勝ち、僕は一日一本のペースで貰ったアメスピを吸った。味の美味しさは分からないが、大学の卒研をやってクタクタになって帰ってきた身体にそのタバコの煙は妙に染みた。僕は十分くらい時間をかけながら一本を吸った。
 ほどなくして箱は空になった。どうやら五本くらいでは身体にニコチンは行き渡らないらしく、僕はタバコを吸いたいという気持ちに襲われなかった。けれど、「たったこれだけで終わりにしていいのだろうか」「タバコの奥はもっと深いのではないのだろうか」という気持ちがあり、僕はビクビクしながらコンビニのレジで初めてタバコを買ったのだった。

 銘柄は変えずにアメスピ。結局ひと箱を吸ってもなんだかよく分からず、そしてニコチン中毒にもならず、タバコって実はそんなに良い物でもないのでは……? という疑問を抱えながらもやもやした日々を過ごす羽目になる。
 さて、僕にアメスピをくれた友人はそのときピースにハマり、僕によくピースの良さを語っていた。僕はそれを聞きながら「もしかしたら銘柄の相性が良くないのではないか」という考えに思い至った。そう、相性というのは非常に大事だ。僕はたった一銘柄だけを吸ってタバコというものを分析しようとしていたけれど、タバコは何百、もしかしたら何千種類もこの世に存在している。全部は無理でも、そのうちのいくつかを試さないで結論を出すべきではない。
 ということで、僕は友人の勧めてくれたピース・ライトを購入した。

 これが革命だった。吸った瞬間思わず「うまっ!?」と思った。ピースは口当たりがよく、煙が滑らかで甘めのタバコなのだが、どうやらこれが僕にはピッタリだったようだ。脳に電流が走った僕はタバコという嗜好品の奥深さに取りつかれた。そして、一日一本というペースではあったけれどタバコを吸うようになってくるのだった。
 このままヤニカスになっておしまい、というのが普通のセオリーなのだろうが、実際そうはならなかった。というのも、僕はタバコに飽きてしまったのだった。ピース・ライトが段々重く感じるようになってきて、けれどお気に入りの銘柄を探す旅に出るほどの意欲もなく、気づいたらタバコを吸う日よりも吸わない日のほうが多くなっていた。

 その後、より軽いタバコを求めてキャスターに行きついた。

 元々甘いもの好きの僕はこのタバコのバニラの匂いを気に入り、ピースから乗り換えた。しかしそこまで革命的でもなく、まあピースより美味しいな、こっちにしようかなくらいのテンションだった。結局変えても吸う日よりも吸わない日のほうが多いのは変わらず、なんとなくこのままタバコはすっぱりやめてしまうんだろうなとぼんやり考えていた。

 革命が起きたのは、僕にアメスピをくれた友人からの一本のラインだった。すっかりヤニカスの仲間入りをした彼曰く、最近はもっぱらメンソール一筋であり、ラーメンを食った後の一服の瞬間が人生で一番気持ちいいのだという。タバコに詳しくない人に説明すると、紙巻きタバコは大きくレギュラーとメンソールに分けることができる。レギュラーはみなさんが想像する一般的なタバコであり、後者はタバコにメンソールが塗られているため吸うとタバコの煙と一緒にミント感が味わえるのだ。
 もちろんメンソールの存在は知っていたが、僕は今まで試したことがなかった。というのも、「メンソールなんて本当のタバコじゃない」という変な先入観を持っていたからだ。
 まあ僕にとってタバコの伝道師であるところのお前が言うなら試してやろうということで、僕は奴がおすすめしたマルボロメンソールライトを購入した。

 正直、最初はそこまで期待せずに火をつけて吸った。
 
 あまりにも美味しかった。
 いや、美味すぎた。

 これは革命だった。どうやら僕はメンソールタバコとの相性が抜群だったらしく、「うまっ」「え、うまっ」と言いながら一本をあっという間に吸いきった。レギュラーはいつも半分くらい吸ったあたりから徐々に吸うのがダルくなり途中で火を消していたのだけれど、これはそうならなかった。美味しすぎてフィルターの寸前まできっちりと吸った。
 それから僕はしばらく、このマルボロのメンソールの魅力に取りつかれた。以前は吸わない日のほうが吸う日よりも多かったが、この日を機に毎日タバコを吸うようになった。特に昼食後と夕食後はマストになり、最近ではこの一服のためだけに飯を食っているまである……と言うのは大げさだけど、それを楽しみにしながら飯を食っているのは事実だ。

 このままヤニカス一直線になるかと思ったが、どうやら現状ニコチン中毒にはなっていないようだ。それは僕が一日に多くても三、四本くらいしか吸わないかもしれないし、人よりもニコチンに対して耐性があるからかもしれない。別に一週間禁煙してくださいと言われたらできる。
 いやでも、一生禁煙してくださいって言われたらちょっと困るかもしれない。やっぱり中毒なのかもしれない。

 みんな、タバコなんて吸わないように!


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