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vol.17 赦し

登り詰めた先に広がる闇もあれば、堕ちきった果てに差し込む光もある。

社会人になって1年が経過した中で、少し変わったなと思う自分の性格。
その1つが「赦せる」ことが増えたことだ。

入社前の僕は、なんというか、遠ざけていたことが多かった。
目にしただけで、触れただけで、「あぁ、絶対ダメダメ」と感覚的に否定していた場面が多くあった。

例えば、タバコ。
1年前の僕は、タバコを吸っている人の気が知れなかった。
自分の健康も周りの環境も害している、大馬鹿者の嗜好品だと思っていた。

それが、入社から10ヶ月ほど経ったある日。
ある大きな仕事を終えた後の打ち上げで、僕は先輩に勧められて、初めてあの紙パイプに口をつけた。
あんなに毛嫌いしていたものを、どうして急に試してみたくなったのかあまり覚えていない。仕事でもかなり追い込まれていた時期だったので、なにかにすがりたかったのかもしれない(今思い出すとかなり危険な状態だが)。

初めは喉に充満する違和感でむせ続けたが、アドバイスされた通りに吸ってみると、なるほど。頭の中をすぅーーと吹き抜けるような心地よい感覚に、嗜好品の代表枠としてタバコが挙げられるワケを少しだけ悟った。疲れ切った大人たちが喫煙所の中にごった返すわけだ。

それからというもの、僕の中でタバコへの抵抗感はほとんど無くなった。見事な手のひら返しである。
今でもたまに、特定の友人とお酒を飲むときだけ吸うようになった。

ある日の朝、最寄り駅に向かっていたときのこと。後方から走ってきたサラリーマンを見ると、左手からあの紙パイプが頭を覗かせていた。
僕を追い抜かして駅の目の前まで着くと、これからやまびこでも叫ぶのかと思うほどありったけの肺活量で最後の一吸いを終え、慣れた足さばきで革靴を地面にこすりつけ、人ごみに消えていった。

路上喫煙、吸い殻のポイ捨てなど、モラルの観点で突っ込むべきところは満載だが、僕は少しだけ彼を赦したくなってしまった。
断っておくが、僕はタバコが好きではない。以前と変わらず、自分や周りに及ぼす害は、得られる快楽を圧倒的に上回ると認識している。
ただ、仕事で追い込まれていたあの瞬間に一度経験したことで、少なくとも世の喫煙者たちを頭ごなしに否定することはなくなった。
「うん、まあそんなこともあるよね、わかるわかる」と同情したくなってしまった。

こんな風に、社会人になって初めて経験したあれこれや、仕事で追い込まれてどん底まで落ち込んだメンタルが糧となって、今まで憶測で否定していたことを少しずつ許容できるようになってきた。
身をもって体感することは、こんなにも価値があるのかと驚いている。

巷でささやかれるような「余裕のある人」は、こんな「赦し」をいくつも抱えているのだろうか。大方の物事に対して「自分はこうする」というぶれない答えがありつつも、それを決して周囲に押しつけない。「まあそんな考えもあるよね」と一歩離れた場所から俯瞰できる。かつ、ごくたまに相手のことを思ってまっすぐな槍を振りかざせる。
日々あらゆる方向から押し寄せてくる波に呑まれず佇んでいる。それでも、その流れを一瞬で変えられてしまう武器と度胸は持っている。そんな人に憧れてしまう。

もちろん、世の中には常識からはみ出ていることがまだまだたくさんある。どうしてそんなことが出来るのか、口に出せてしまうのか、分からないことだらけだ。

それでも、互いのテリトリーを侵しすぎることなく、適度な距離感で暮らせるとしたら。ちょっと生きやすいかもしれない。

そして、その余裕を生み出すための「体験」を蓄積し続けられたら。そのために自らのテリトリーから外へ踏み出すことは、厭いたくない。

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