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アフリカ縦断記(6)アフリカの洗礼を受ける
ついにやってきたエチオピア!
ボレ国際空港に到着し、入国手続きを済ませます。
前回の記事はこちら
エジプトからエチオピアの移動の間で二つのことに驚きました。
一つ目は黒人に対しての入国審査の時間が異常に長いことです。具体的な手続きは分かりませんでしたが、パスポートとvisaを提示する以外にたくさんの質問を嘆かれられていました。後ほど述べますが、エチオピアにはほとんど黒人しかいないのでこの入国審査時間の長さは衝撃でした。
もう一つはエチオピア人は自我が本当に強いことです。フライトの搭乗口まで向かっていると一人の老婆が話しかけてきて、私の荷物を運んでくれと。重そうだったので運んであげると、今度はジュースを買ってこいと言われました。
ん?それは自分で買えるのでは?と思いつつジュースを買ってあげました。場面は変わり飛行機にいた時、隣に座っていた女性が私に靴を脱がすのを手伝ってくれと一言。健康的な容態をしているのになぜ私に靴を脱がせようとするのかは全く分かりませんでしたが、除菌シートを片手に手伝ってあげました。
高地アディスアベバ
ボレ国際空港のある首都アディスアベバ。とても気候が涼しいです。標高は2355メートル(世界3位!)あり、年間を通じて温暖な気候が続きます。ただ、急速な工業化により排気ガスが多く、空気の状態は良くないです。喉が痛くなります。
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初日は街を探索しようと思いホテルの周りを歩いていました。あたりを見渡せば一面黒人。異様な光景です。アジア人である私は本当に目立ちます。誰かと目が合えばいつも大声でニーハオ!もしくはチャイナ!と叫ばれます。どうやらこの国では中国のプレゼンスが高いようです。
エチオピアにある唯一の電車は中国が作ったものでした。首都にもたくさんの中国語の会社が散見されます。私が買い直したスマホのtechno11という中国のスマホです。
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エチオピア人は私たちがイメージする黒人の色とは若干異なり、コーヒー色と呼ばれています。そのため本人たちも他の黒人たちと少し違うことをアイデンティティに持っているようです。
歴史的にもアフリカ諸国の中で唯一植民地支配を受けなかった国であるため、独自の文化や国民性が根付いています。彼らと話すのが楽しみだなぁ。
期待から絶望へ
さて、初日の散策を終え、帰路に向かっていた時、いつも通りエチオピア人が私に話しかけてきました。なんだまたチャイナかなと思っていた矢先、その男性は急に私の腕を強く掴み叫び出しました。何が起こったんだと思い、彼を振り払うために必死で抵抗。なんとか私も叫び返しその場から立ち去ろうとした瞬間、ポケットに入っていたスマホがなくなっていたことに気がつきました。どうやら右側に歩いていたもう一人の男性が隙を見てスマホを盗んでいたのです。
「完全にやられた。。。。」
人生で貴重品を一度も無くしたことがなかったのに!それだけは友達に自慢できることでした。大切な旅の思い出が全てなくなってしまったのです。
急いで宿に帰り、持ってきていたipadで遠隔ロック、simカードの会社に電話をしようとしたら今は停電中だと言われ対応ができず。保険会社に電話もすることができません。渋々その日は眠りにつきました。
当たり前に慣れていることができないことにすごくイライラしている自分がいました。
翌日すぐにsimカードを解除、エチオピアの警察署に向かいます。1番最初の警察署は英語を話せる人がおらず、たらい回しにされます。ここはアメリカじゃないと嘲笑されることもあり、エチオピア人の気質の高さが窺えます。6時間かけて、ようやく地域の管轄の警察署につきました。保険のための盗難補償を求めると衝撃の一言。
「アムハラ語(現地語)を話せる人がいないと証明書は発行しない。」
あまりの対応の雑さに空いた口が塞がりませんでした。外国人を助けようとする姿勢が全く見られなかったのがとても悲しかったです。その後、駐エチオピア日本大使館に力を借り、なんとか翻訳の方を派遣していただくことができました。心より感謝申し上げます。
今回はここまでです。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。波乱の幕開けとなったエチオピア、まだまだ洗礼は続きます。
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