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アフリカ縦断記(14)アフリカ最高点で感じたこと

前回の記事はこちら↓登頂前のキリマンジャロで既にボロボロになった内容です。


登山5日目

今日は待ちに待ったアタック(頂上を目指す)の日です。
コンディションは最悪。前日の8時間登山の疲労にもかかわらず、ほぼ一睡もすることができませんでした。というのも滞在しているキャンプの標高が4600メートル近くあり、非常に空気が薄いのです。加えて自分の花粉症が発症し鼻が詰まります。口で呼吸をすると喉が乾燥し咳が止まりません。寝袋の寝心地も最悪で、体の匂いも気になり出してきます。あぁ生き地獄。

眠い目を擦りながら深夜の1時半に起床、よくわからないスープを飲みながら登頂までのプランを話し合います。

毎朝出ていたスープ。ほんとに味が不明。

ツアーガイド二人とポーター1名だけが同行し、残りはこのキャンプで待機します。深夜2時に出発し、うまくいけば6時間ほどで山頂につけるそうです。ヘッドライド、上下で4枚ずつ着込み、靴下と手袋は二重、サングラスにネックウォーマという重装備。もう誰だかわかりません。

まずは、5700メートル地点のステラポイントを目指します。ポール曰く、日が昇るまでの最初の4時間が最も辛いパートらしい。既に寝不足と酸素不足でもう辛いのに、、耐えられるかな。

全員で鼓舞をしあい、気持ちを高めて出発。ポールを先頭に暗い雪道を歩きます。道という道はなく、ポールにひたすらついていきます。

1時間ほど歩き、どんどん呼吸が苦しくなってきました。本当に小さな歩幅で進んでいるはずなのに、ランニングをしているように息が切れるんです。4日目のように必死に息を整えますが、氷点下で鼻が詰まり、思うように呼吸ができません。

苦しい、一旦休憩が欲しい。
水が飲みたい。
おならが止まらないし、お腹も痛くなってきた。

2時間近く歩き続けたタイミングでポールに休憩をお願いし、ようやく休憩。ウィリアムはヒョンとしています。こいつは一体どうなってんだ。

休憩時間は3分ほどで、また登りはじめます。とにかく息が苦しく、頭がぼーっとしてきました。彼の足元を朧げに見つめながら一歩一歩進みます。頭の中でZARDの「負けないで」が100回以上再生されていました。

辛いときに思うこと

本当に苦しくて、投げ出したい時、私は高校時代の自分を思い出します。私は軟式テニス部に所属していました。平日は毎日朝5時に起床し朝練、週末は半日練習を週7でこなします。しかし、あるときスランプに陥り、全くボールが打てなくなりました。レギュラーはおろか、部員の中で最も下手になったのです。テニスに相当力がみんな入っていたため、下手になった僕の肩身は非常に狭く、顧問やコーチに罵倒されていました。自分で時間外に練習をしても後輩との試合に負け、罰として隣にあったサッカー場を走らされていました。当時の辛さは思い出すだけで汗が体から滲み出します。

そのうえ、進学校に通っていたため学業にも力が入っていました。学校の後、1日5時間は図書館に残って勉強をするのが当たり前でした。部活での肉体的、精神的なストレスに加え、学業でのプレッシャーが常にのしかかる高校生活を超えるものはありません。

そんなふうに考えると、目の前の辛さが耐えられると感じられる時があります。山登りには必ず終わりが来る。息が切れそうなだけでまだまだぼくは頑張れる。過去の辛い経験が私を強くしてくれます。

雲の上

気がつけば太陽が登り、外が明るくなってきました。温度が高くなり寒さから解放されます。9月は雪が少なく、キリマンジャロ登山のベストシーズンであったことを思い出しました。

ラストスパート

さぁステラポイントまで後1時間。最後の力を振り絞り一歩ずつ前に足を運びます。ここら辺から登頂を諦めて降りていく人、他の人に手を引っ張ってもらったり押してもらいながらなんとか登頂する人が散見されます。

残りの1時間、少しこの状態が気持ちいいと感じるようになっていました。そう、ランナーズハイです。
実はここからステラポイントまでの1時間の記憶がほとんどなく、気がつけばステラポイントの前で涙を流しながらポールと抱き合っていました笑

ランナーズハイ(runner's high)とは、継続的な運動によって引き起こされる一時的な多幸感であり、喜び、深い満足感、高揚感、ウェルビーイングといったポジティブ感情を経験する感情的状態

WIKIPEDIA
ステラポイント 5756メートル

久しぶりに喜び泣きをしました。大学生活が始まって以来、短いスパンの過酷さで言えばダントツの経験だったと思います。たくさんの登山家が私に祝福の言葉をかけてくれました。

ステラポイントでも既に登頂したと言われるそうですが、せっかくなら最高点に行きたいと思い、もう1時間ほど歩いて頂上を目指すことにしました。なぜか僕の中ではもう達成した気分になっており、幸福感が体を包み込んでいました。ただ、頂上までの1時間も当然過酷です。10分歩いては少し座って休憩、高揚感を押し殺して慎重に進みます。あぁ20万払って何をしているんだろう。

そしてついに運命の時を迎えます。

ウフルピーク(頂上)5895メートル

ついた。

それしか言葉が出ませんでした。周り人たちののはしゃぎ声とは対照的に僕はすごく落ち着いていました。というか酸素不足すぎて頭が処理できなくなっていました。

頂上では火山口から有害な物質が放出されるため20分しかいられないとのこと。キリマンジャロコーヒを飲んだり、写真を撮ったり、ダンスを撮影。頂上でやりたかったことを淡々とこなします。

キリマンジャロコーヒーをキリマンジャロ頂上で飲む。

すぐに下山が始まります。想像していたよりも下山は容易く、3時間ほどで最後のキャンプまで戻っていくことができました。酸素が濃くなることがいかに大事なのかを痛感します。

ブランチをとり、下山用のルートを使って、3900メートル地点のキャンプに着きます。時刻は16時。12時間以上かけて高低差2000メートルをこなしました。

ハイキャンプ(3950メートル)

最終日

ひたすら道を降ります。みんなでキリマンジャロの曲を歌いました。youtubeでkillimanjaro music と調べると一番最初に出てくる歌。
初めて山頂を目指す登山家に向けた応援の歌で、なぜ下山中に聞かされたのかはわかりませんが、ハクナマターター(問題なし)。
現地の人も曲名は知らず、自分なりにアレンジして歌っているそう。素敵でした。


いっちゃん盛り上がってた自分(左)

登山と比べ空気に余裕があるため、帰りはガイドとおしゃべりをしながら帰れるのがすごく嬉しかったです。下山道は植生の関係上、泥がおおく非常に滑りやすかったです。気がつけば足が泥だけになっていました。

満身創痍

5時間くらいを休憩ほぼなしで駆け降りて行きました。ポールが早くスマホ見たそうでソワソワしてました笑。何度も僕にもバイルバッテリーを貸してくれと頼んでいましたが、とっくに僕のも充電がきれてんのよ、、、

そしてついに、、、念願の瞬間です!

ゴール!文明よただいま!

ついたら、足を洗って証明書の発行を待ちます。ポールが人数と名前を受付に伝え、証明書が発行されます。でもウフルピークまで登ったことをどうやって証明するんだろう。良心の問題でしょうか。笑

証明書嬉しい!

あぁ早くシャワーが浴びたい。もう2度と登ることはないでしょう。でも学生になって久しぶりに自分を追い込むことができた良い機会だったと感じています。

最後まで読んでくださりありがとうございました。もし、キリマンジャロに登りたいという人がいたらぜひなんでも聞いてください。近い目線でお話しできると思います!

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