アフリカ縦断記(18)鉄道で出会ったザンビア人のマインドがカッコよすぎ。
こんにちは!本当はケープタウンまでドレッドヘアで行こうと思ったのですが、やむなく翌日の朝に解きました。シンプルに寝不足が深刻な問題だったので笑
アフリカヘアの代名詞ドレッドヘアにした話はこちら!
人生初の鉄道はアフリカで
さぁここからは鉄道で一気に進めていきます!ダルエルサラームにきた理由は、タンザン鉄道に乗るためでした。
タンザン鉄道はタンザニアの首都ダルエスサラームとザンビアの都市カピルモシ約1700kmを結ぶ鉄道です。(ちょうど北海道から沖縄くらいの距離)
鉄道旅を日本でもしたことがなかったことと、バスの移動に飽きていたのでいい機会だと思い乗ることに決定。電話をしてみると翌週の金曜日まで予約でいっぱいと言われましたが、大学に間に合わなくなるので早めの便を探しに直接訪れてみることにしました。
運良く当日発の鉄道車は3種類とも空きがありました。3日間の旅なので、私は4人と相部屋のベッドがついた1等車を選択。
値段は90000シリングでした(=5400円)。ちなみに2等車もベッドがありますが、6人と相部屋で、3等車においてはただの席だけです。どうやって3日間も過ごすんだろう、、、
午後14時集合ときき、それまでロビーで待ちます。13時50分になって急にアナウンスが流れました。なんとメンテナンスのため遅延が発生し、20時まで駅で待機してくださいとのことでした。
どうやらこのタンザン鉄道、遅延が当たり前のようです。私を除いた乗客の誰1人驚いていませんでした。
流石に6時間はここで待てないと思い、一旦都心部に戻ります。お気に入りのザンジバルミックスを食べ納めしておきました。
19:30頃にもう一度タクシーに乗って駅に向かうのですが、ここで問題が。
運転手がタンザン鉄道の始発駅の場所がわからないと言い出します。マップを見せても全く理解してもらえません。(なんとこのタクシー運転手、地図が読めないというのです。絶対この仕事向いてないって、、、)
このままではまずいと駐車をして道を探していると、警察が登場。タクシーが駐禁していたとしてお金を請求してきます、それもなぜか私に。鉄道の出発まで10分を切っており、背水の陣に。必死に頭をフル回転させた結果、警察に賄賂を渡して道を教えてもらうことにしました。(10000シリング=600円)彼らは喜んで私を駅まで送ってくれましたが、もう全てが無茶苦茶で笑ってしまいます。
鉄道駅に到着、私の部屋にはタンザニア人とザンビア人の親子が同席します。
中国製の鉄道で、1等車とは呼べないクオリティでしたが、キリマンジャロを経験した私に怖いものはありません。
英語のアナウンスが全くなく、奇怪なサイレンとともに鉄道は発車します。時速は40km程度です。比較のしようがありませんが非常に振動します。心配なことはたくさんですが、同じ部屋のみんなが優しそうな人で安心しました。もちろん全員男性です。受付のおじさん、期待しといてって言ってたのはなんだったんだろう笑
電車の中は非常に落ち着いています。1等車の客層がお金持ちの人たちだからかもしれません。意外にも白人やアジア人が1人も乗っていなかったのは驚きでした。
まぁ少し遅延してしまったけど、金曜日にはリビングストンにつけたら御の字かな。なんて甘いことを考えいたら、アフリカから鉄槌が。翌日の午後2時、悲劇は起こります。
悲劇
耳が痛くなるような亀裂音と共に、鉄道は急停車。外部にいた人が大きな声で何かを叫んでいます。
「車輪が外れたぞー!」
なんということでしょう、レールの経年劣化により3号車の車輪が大きく外れたのです。現場に足を運んでみると、ガッツリ外れてました。
もう笑うことしかできなかったです。一部の乗客はレスキューに期待せずに歩いて駅まで向かい出しました。そこからはひたすらレスキューを待機する時間です。本を読んだり、ブログを書いたりしましたが、停電も起きていたので次第に何もできなくなります。暗くなったので、結局諦めて寝ました。晴耕雨読です。
翌日レスキューが到着し、私たちの車両を手前の駅まで引きます。問題はレールが1本しかないので、レールが直るまで通過することができません。ちなみにザンビアからくる列車も1日近く待たされていたみたいです。レスキューによって午後の2時に列車は復活。ちょうど1日の足止めを食らいました。日本だったら何時間くらいで復旧するんでしょうか。
そこからはのんびりとした鉄道旅が始まります。外にいる売り子に直接バナナを買ったり、ゴミを窓から捨てたり(みんな捨ててます、当たり前みたいでした笑)雑談して楽しみました。食堂車に行くと、いろんな人に写真を撮ってもらうようにお願いをされました。1人旅は寂しくなりがちですが、たくさんの人が話しかけてくれるので、この旅の徒労が慰められるような気持ちでした。
ザンビア人のマインド
特に一緒に乗っていたザンビア人の男の子とは長い時間を一緒にしました。ザンビアのこと、日本のこと、恋愛観、色んなことを語り合いました。
1番驚いたのは、食堂車で夕飯を一緒に食べていた時のことです。お父さんが横に座っていたにもかかわらず、彼が突然ウェイターを口説きだしました。ウェイターには断られたものの、けろりとしてまた会話を続けます。
ザンビア人は自分がやりたいことをやるという考え方を大切にしている。魅力的な人がいたら話しかける、何も失うことはない。
だってさ。
年下のマインドに脱帽です。日本に帰ったらもっと自分らしくいよう、やりたいことにもっと素直になろうと勇気づけられました。
4日間、ホームステイのような濃い交流がありました。タンザン鉄道は移動手段としては△でしたが、それ以上に得られた経験が大きかったです。ちなみにシャワーとwifiは使えないので、文明からはしばらくのお別れが必要なことだけご注意を!(キリマンジャロのせいで当たり前になっていました笑)
最後まで読んでくださりありがとうございました!
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