母と映画と


「#映画にまつわる思い出」は、本当にたくさんあるけれど、今回は、来月93才になる認知症の「母と映画」のことを書かせていただきたいと思います。

私が映画を好きになったのは、間違いなく母の影響だ。

まだ今のように、配信も、DVDやビデオレンタルも、ビデオデッキさえなかった子どもの頃、テレビで毎週、月曜ロードショー、水曜ロードショー、日曜映画劇場というのを夜9時からやっていて、いつも母が見ていたので、いつからか私も、当たり前のように一緒に見るようになった。
幼稚園の時には見ていた記憶がある。
母は内職をしながらの時もあれば、母のむいた、わずかにハンドクリームの香りがするリンゴを食べながらだったり、布団の上で一緒に見たり。

「早く寝なさい」とか1度も言われたことがなかった。

それぞれの番組を、荻昌弘、水野晴郎、淀川長冶といった、映画の名解説者といわれる、そうそうたる面々が担当していて、映画が始まる前と、終わった後に登場し、その映画の見どころや、監督、出演俳優のことなど、個性たっぷりに解説してくれた。
映画はもちろんだが、その解説を見るのもとても楽しみで、「これからどんな映画が始まるんだろう」とか「そういう俳優さんなんだ」とか、まるで別世界への入口と出口のような感覚で、とてもわくわくしながら見ていたものだ。

その3人の、いかにも「映画が大好き!」といった姿は、今でもはっきりと思い出すことができるし、懐かしい。

母のおかげで、水野晴郎さんの
「映画って本当にいいものですね」
とか
淀川長冶さんの
「さよなら、さよなら、さよなら」
というあの名ゼリフを、リアルタイムで聞くことができた、幸せ者の1人なのだ。

母はどんな映画でも見せてくれたから、私は夢中になってたくさんの映画を見ていたけれど、今思えばまだ子供だったので、正直、全部の内容をちゃんとは理解していなかったと思う。

ある時、ヒッチコック監督の 「鳥」を見た後母が、
「あの鳥は、お母さんの気持ちを表していると思うのよね」
と言ったことがある。

突然、鳥が人間を襲ってくる、あの有名な「鳥」

あくまでも、母の解釈なので、ご了承いただきたいのだけれど、ストーリーの中で、主人公の女性が訪ねた息子の母親が、ご主人を亡くして不安を抱え、やや息子に執着している。
ネタバレになってしまうので、これ以上はやめておきますが、母いわく、その母親の心情を「鳥をとおして表現している」ということらしい。

正しいかどうかは別として、それを聞いて
「へぇ~ 映画ってそんな風に見るのか~」
と、ただのパニック映画だと思って見ていた私にとっては、目から鱗が落ちるような出来事で、「映画って深いなぁ-」と思った。

映画館に初めて連れて行ってくれたのも母で、地元の小さな映画館に「ジョーズ」を見に行った。
子どもが見るには、やや刺激的な気もするが、確か私が見たいと言ったと思う。

ポップコーンなんて売ってない。ジュースを買ってもらって(この時初めて飲んで、今でもこのジュースを見るとこの映画館を思い出す)席に着いた。
まず冒頭の、海で女性が襲われるシーンの演出に驚きで、あの音楽といい、ぐいぐいと引き込まれ、最後まであっという間に見終わってしまった。

2度目に行ったのは、電車に乗って、少し大きな映画館での「未知との遭遇」。
大きな映画館にも興奮したし、人の多さや座席のきれいさ、広さに驚いた。
そしてスクリーンいっぱいに現れた宇宙船が圧巻で、照明のあまりの美しさに見とれてしまったし、宇宙人と人間との音での交信は、いつかこんな日がくるのだろうか?と想像力をかき立てられ、まさしく私にとって「未知との遭遇」の体験だった。

母と映画館で一緒に映画を見たのは全部で4回。

3度目は、働くようになった私が、ナイトショーで上映していた「十戒」を見に行こうと母を誘った。
長時間で深夜ということもあり、隣でうつらうつらしている母を、何度も揺すって起こしたっけ。

4度目は、姉の子ども、つまり孫を連れて、「スターウォーズ エピソード3」を見に行った。
今はその孫も、映画が好きないい大人になったので、私と会うと
「最近、何か見た? おすすめある?」
と聞きあったりできる、頼もしい映画仲間になっている。

私は仕事の関係で、16年ほど母と離れて暮らしていた。
父が病気になり、16年前に実家に戻って、父はその年に亡くなったので、まもなく母と2人暮らしになったのだが、
「今日、この映画見よう!」
と言っては、晩ごはんを食べながら映画を見るのが、まるで日課のようになって、本当にいろんな映画を鑑賞した。
時には私の好きなホラー映画にもつきあってくれたし、悲しい結末の映画では2人で泣いたり、笑ったり。

10年ほど前だったかな?
ぎっくり腰でしばらく寝たきりになったのをきっかけに、母の認知症が始まったのは。
症状は少しずつ進み、今は残念ながら、映画の内容を理解できなくなってしまった。

今、母の部屋には、たくさんのビデオテープがある。
離れて暮らしている間に、映画を録画するという技を覚えて、私が実家に戻った時には、母の部屋中にビデオテープやDVDが整理しきれずに、棚やダンボールにあふれかえっていた。
それは、認知症になって録画する操作ができなくなるまで続いていたから、私が
「レンタルすればいいのに」
と言うと母は
「い-の、い-の」
今になって想像すると、きっと、大好きな映画を録画する作業や、それをコレクションする事が楽しかったんだろうな-と思う。
その気持ちは私にもわかる。私も見た映画のあらすじや感想を、日付とともに書き残しているから。
あれ? これって遺伝?

で、そのたくさんのコレクションを、私もついついそのままにしていたのだが、昨年末に母が大腿骨の骨折をし、電動式ベッドを入れ、部屋が狭くなったこともあり、その大量の映画達を、ついに整理することにした。

幸い、家にはビデオとDVDが見れるデッキがあるので、だぶっているものや、ちょっと見ないかな?というものを
「よくこんなに集めたね~」
「わあ-懐かしい」「こんなマニアックな映画も録画してたの?」などと思いながら、かなり思い切って廃棄させてもらい、ふと、母の思い出を捨ててるような気がして悲しい気持ちになりつつも、やっと棚やショーケースにスッキリ収まったのだが、それでも洋画、邦画、ジャンルを問わず、ビデオテープが500本、DVDが160ほど並んでいる。
1つに3本録画されているものもあるから、映画の数にしたら相当の数ではないか。

「本当に映画が好きだったんだな」と思う。

何で好きだったんだろう?

癒し? 夢の世界?

母は、お姑さんや父で苦労してきたから、自分と重ねて見て、共感したり、励まされたりしてきたこともたくさんあるだろう。
理由を上げればいろいろあると思うけれど、でも結局のところ、理屈抜きで、映画が大好きなんだよね! お母さん!
そして、私も!

母が好きな俳優は「グレゴリー・ペック」
理由は「知的で穏やかで優しそうだから」
申し訳ないが、父とタイプが全然違う(笑)
ペ・ヨンジュンにもはまっていた。

好きな映画は「風と共に去りぬ」
スカーレット・オハラの、困難に立ち向かうたくましい生きざまに、感動すると言っていた。

母がベッドに座ると、真正面にビデオの棚があって、お誕生日にプレゼントした、市販品の「風と共に去りぬ」も並んでいる。
ケースが目立つせいか、時々
「そう、そう。風と共に去りぬね」
と言ったりするので、思い出してくれたようで、何だか嬉しい。

しばらく、母と映画を見ることをあきらめていたけれど、また一緒に見てみようかな。




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