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2014/11/22 「風と共に去りぬ」(全国ツアー)

 私の感想ノートを読んだ友人から、星組全国ツアー「風と共に去りぬ」の感想は書かないのか?とリクエストがあったので、今さらではあるけれども、思い出しつつ書いてみることにした。(2015/3/8)

★「風と共に去りぬ」が横浜にやって来た

 宝塚歌劇には「全国ツアー」と呼ばれる地方巡業公演がある。2014年秋の全国ツアーは星組「風と共に去りぬ」。私の地元である横浜市の神奈川県民ホールにも久しぶりに宝塚歌劇の公演がやってくることになった。

 全国ツアーの主演はトップスターが務めるのが常だが、星組トップスターの柚希礼音は日本武道館でのコンサートに回り、相手役の夢咲ねねもコンサート組。今回主演するのは、星組二番手男役の紅ゆずるである。相手役のスカーレットは若手男役スターの礼真琴が務める。スカーレットは気性が激しく「強い」役なので、宝塚歌劇では男役が演じることも多い。とはいっても、入団6年目の男役が全国ツアーでスカーレットを演じるのは珍しい。

 紅も礼も人気のあるスター。予想以上にチケット争奪戦は激しかったが、私は地元神奈川のプレイガイド枠でなんとかチケットを確保することができた。

★専科からアシュレ役の華形が客演

 主な配役は次の通り。

レット・バトラー(無頼漢として知られる男)……………紅ゆずる
スカーレット・オハラ(タラの大農場主の長女)…………礼真琴
アシュレ・ウィルクス(スカーレットの初恋の人)………華形ひかる
メラニー・ハミルトン(アシュレの妻)……………………音羽みのり
スカーレットII(スカーレットの本音)……………………夢妃杏瑠
ベル・ワットリング(バトラーの情婦)……………………天寿光希
マミー(オハラ家の召使) ……………………………………美城れん
ピティパット(メラニーの叔母)……………………………毬乃ゆい
ミード博士(アトランタの病院長)…………………………美稀千種
ワイティング夫人(アトランタの名士夫人)………………大輝真琴
ミード夫人(ミード博士の妻)………………………………万里柚美
エルシング夫人(アトランタの名士夫人)…………………毬愛まゆ
メリーウェザー夫人(アトランタの名士夫人)……………珠華ゆふ
ルネ(南部の青年)……………………………………………如月蓮
メイベル(南部の令嬢)………………………………………妃白ゆあ
フィル(ミード博士の息子)…………………………………音咲いつき
ピーター(ピティパット家の使用人)………………………輝咲玲央
プリシー(ピティパット家の使用人)………………………紫りら

 注目は何といってもアシュレ役として、昨年花組から専科に異動した華形ひかるが初めて星組に出演することだ。芝居巧者として知られる華形のアシュレが、礼スカーレットとどう絡んでいくのかは見どころである。

★ストーリーは2013年宙組版とほぼ同じ

 星組全国ツアー版「風と共に去りぬ」のストーリーは、2013年に宙組が上演したものとほぼ同じである。第一幕は、未亡人となったスカーレットがメラニーやその叔母ピティパットとの同居のためにやってきたアトランタ駅でレット・バトラーと再会するところから始まり、アトランタでの生活、戦火に追われてタラに帰還するまで。

 それ以前に登場人物たちに起きたこと、つまり、スカーレットが憧れの青年アシュレに樫の木屋敷で愛を告白するものの彼がメラニーと婚約・結婚してしまったこと、その告白をバトラーに聞かれてしまったこと、さらに、腹いせにメラニーの兄チャールズと結婚したものの出征したチャールズが麻疹で死んでしまったことなどは、登場人物たちの台詞の中でのみ語られる。

 第二幕では、戦後の生活苦をバトラーとの結婚で逃れるものの、アシュレとスカーレットの仲がアトランタの街の噂となり、嫉妬からバトラーがスカーレットを傷つけ、心破れて家を出て行くまでが描かれる。

 同じ話を別のキャストで見るというのは、ストーリーを気にせずじっくり観られるという楽しみがある。劇場の設備の違いから、演出には多少の変更が加えられてはいたものの、私は最初からすんなりと物語に入り込めた。以下、主なキャストを中心に、感じたことを記してみたい。

★主演の紅ゆずるは、準備不足?

 主演の紅は幕が開いて最初のシーンで歌いだすところから、私は思わず「クククっ」と笑い声が漏れてしまった。紅は男役としては変化球の人。決して正統派ではない。細面の紅が鼻の下にヒゲをつけて、宝塚の芝居の中でも有数の男くさい大人の男であるバトラーを演じると、バトラーのモノマネに見えてしまう。

 アトランタでの登場シーンや、バザーでスカーレットに声をかけるシーンでも、男らしい低いトーンの声を作ろうとしているのはわかるのだが、声の出し方が不自然。宝塚のいわゆる「型芝居」の経験があまりないのだろう。「金貨で150ドル!」という声とともに颯爽と登場してキメる、はずがキマらない。序盤は万事がそんな調子だった。

 聞くところによれば、紅ゆずるは一ヶ月ほど前に体調を崩して、一週間は稽古にも参加できなかったという。主演としては初の全国ツアーというプレッシャーがかかる中、体調不良と準備不足が重なって、まだ役を仕上げるところまでいっていないのだろうか。

 そんな紅も、第二幕では落ち着いたのか、バトラー邸の場面で、マミーを相手に酔って管を巻く演技はとても良かった。マミー役の専科の美城れんはもともと星組のベテラン役者。掛け合いもうまく噛み合っていた。紅は「攻め」の芝居や独りでの長台詞は悪くない。本質は「芝居の人」なのだが、このバトラー役にはかなり苦しんでいるように見えた。

 大人としての余裕、男性としてのプライドや自信、他の紳士にはないワイルドさと驚くほどの純真さ、嫉妬に悩み、妻の態度に怒り、自分の行為に後悔し、恋に破れて去っていく姿を一つの芝居の中で見せなければならないのがバトラーである。やりどころも多いが、それだけに難しい。おそらく紅本人もそれを痛感していることだろう。

★若さハツラツの礼スカーレット

 礼真琴は魅力的で生命力に溢れるスカーレットに見えた。バザーに行きたくでウズウズし、スカーレットIIとともに楽しげに踊る姿も、バトラーが持ってきた帽子を嬉しそうに被ってみる姿も、実に娘らしい。そうかと思えば、一幕ラストのタラの場面では、顔を真っ黒に汚して「明日になれば」のナンバーを熱唱する。力強い上に歌唱力があって、なかなかの聞き応えだった。

 ただ、礼スカーレットの演技は、宝塚の芝居の女役ではなかったように思う。女性が男性を演じる宝塚で女性そのものを演じる役者は、本来の女性よりもさらに女性らしさを作り込むものだ。外見的にも、ちょっとした仕草ひとつとってもそうだ。だが、礼スカーレットは見た目も演技も外部の芝居に近い。宝塚の舞台にヒロインとして登場する以上、お化粧や髪型なども含め「女性の目から観て、十分に美しく見える女性」であって欲しいと思う。

 でも、彼女の「若さ」は、この脚本が求めるスカーレット像によく似合っていた。宝塚版スカーレットは、最初から最後まで小娘である。礼スカーレットはバトラーが去ったと、まるで大切な玩具を失った子供のように泣きじゃくる様がとても新鮮で、ああこういう演じ方もあるのだなぁ、若々しいスカーレットも良いな、と思った。

★母性あふれる音羽メラニー

 最初から娘役として研鑽を積んだ人が、たおやかな優しい女性の役をやるとどうなるのか、というのをほぼ完璧に近い形で見せてくれたのが、メラニー役の音羽みのりである。これほど母性にあふれた心優しいメラニーはなかなかいない。

 メラニーはスカーレットやバトラー、ベル・ワットリングという、個性の強い役との絡みが多いのだが、相手に話しかける台詞の一つ一つに、メラニーという人物の持つ「思いやり」みたいなものを載せて、それをきちんと相手に届けているのがいい。このメラニーなら、ベルがすっかり惚れ込んで信頼するのも納得だ。

 メラニーという役は印象に残らないことも多い。だが、「ちゃんとやれる人」が演じると、スカーレット、バトラー、アシュレ、メラニーの四人の間に結ばれた絆が、メラニーの死をきっかけに解けてバラバラになってしまう、という構図がより鮮明に見えてくるのだなぁと感心した。

 ただ、あまりに母性的だったので、「スカーレットを姉のように慕っている」ようには見えなかった。どう見ても「姉」はメラニーの方で、やんちゃでお茶目なスカーレットが「妹」に見えてしまうのだ。それでも、素の自分を役にぶつける礼スカーレットと、娘役としての技を駆使した音波メラニーの対比は興味深いものだった。

★女に勘違いさせる男、華形アシュレ

 メラニーの夫アシュレは、スカーレットの長年の思い人である。華形ひかるのアシュレは、なぜスカーレットがこの男に「間違って」惚れてしまったのかが十分に納得できる、そんなアシュレだった。

 まず第一に、見目麗しく清潔感がある。女性が「あら素敵な人」と振り返るタイプなのだ。その上、女性に対してはどんなときも誠実で優しい。「あなたを愛している」とスカーレットが切り出しても否定せず、その愚かさを責めるわけでもなく「メラニーのことを頼みたい」と、兄が妹に対するように諭す。夫へのプレゼントを探すミード夫人に対しても、その誠実さと優しさは不変である。

(余談だが、私が観た日はプレゼントとして「REON in BUDOKAN」のポスターを取り出して夫人に勧めるというアドリブ付きで、観客には大ウケだった。)

 華形アシュレは南部の伝統と価値観を受け継いだ良識ある紳士。もしも戦争がなければ、彼は平凡な田舎紳士として家族と共に幸せな一生を送ったであろうと容易に想像できる。だが、戦争によって自分が信じていた価値も持っていた財産も何もかもが消えたとき、なす術もなくただ呆然と流されていく。

 アシュレにとって妻メラニーは最後に残された「古きよき南部」そのものであり、唯一の心の支えでもあった。だからこそ、彼はメラニーの死に我を忘れて取り乱す。その姿を見て、スカーレットもついにアシュレの「実像」に気づく、という一連の流れがすんなりと腑に落ちた。

 アシュレという役をここまで魅力的に、かつ説得力を持って演じた華形には拍手を送りたい。唯一の欠点は歌唱力不足だが、幸いソロで歌うのは短い一曲だけ。芝居での貢献度(そして、フィナーレのダンスの素晴らしさ)を考えれば、ささいな問題に過ぎない。

(神奈川県民ホールの最上階ロビーからベイブリッジを望む、手前は山下公園。木々の紅葉も綺麗だった)

★その他、印象に残ったキャスト

 その他、印象に残ったキャストを順不同で。

 ミード博士(美稀千種)が好演。まだ幼さの残る息子フィル(音咲いつき)を戦争に送り出す父親としての思い、その息子を亡くした後の嘆き、バトラー邸の新築パーティーでの挨拶に込められた南部人としての怒り、を表情や台詞の端々で表す人間味あふれるミード博士だった。

 マミー(美城れん)は粗っ気ないが心優しく大らかで、スカーレットやバトラーを見守る役。美城も上手いのだが、宙組のときに同じ役を演じた超ベテランの汝鳥伶に涙を誘われたことを思い出す。あそこまでの朴訥とした「いい人」感はなく、むしろそこがリアルではあるとも言えるのだが、比べられてしまう分だけちょっと損している。

 ベル・ワットリング(天寿光希)は残念だった。天寿は男役だが、顔立ちは綺麗なので女性役もイケると予想していたが、ただの大きな女モドキになっている。ここまで出来ないと逆に驚いて心配になる。歌もキーが合わないのか、声が全然出ていない。もしかしたら、この日は体調でも悪かったのかな。

 スカーレットII(夢妃杏瑠)はほわっとした顔立ちが印象的。スカーレット役の礼と並んだときの姿はよかった。若手ではプリシー(紫りら)が印象に残った。黒人少女の召使でやり過ぎるとクドいし、でも作り込まないとそれらしく見えない。彼女のプリシーはそのあたりのバランス加減が絶妙だった。

★イレギュラーな公演には訳がある

 先日読んだ「元・宝塚支配人が語る『タカラヅカ』の経営戦略」(角川書店・森下信雄著)という本によれば、全国ツアー公演の目的の一つは、地方のファンの新規開拓にあるという。本公演で最近上演した演目ならロングラン効果でセット代や衣装代も節約できて一石二鳥。地方の観客への顔見せ興行なのだから、全国ツアーはトップスターが主演するのが当然である、というのだ。つまり、今回の二番手スター主演の全国ツアーはイレギュラーな形と言える。

 しかも、この星組全国ツアーの最終日の翌々日に、星組の次期トップスタに専科の北翔海莉が就任すると発表された。組を率いて全国を回った紅ゆずるがトップスターに昇格しないというのもおかしな話だ。これは、当初現星組トップスターの柚希礼音が最後の全国ツアーでバトラーを演じる予定だったのが、何かの具合で変更になったと見るべきだろう。

 私のヅカ観劇仲間は、皆この星組全国ツアー公演を観ていない。彼女たちには先見の明があったのだろうか。いや、違うと思う。私はこの公演で「風と共に去りぬ」という作品の魅力を再発見することができた。ストーリー展開は見事だし、登場人物も皆ほどよく描きこまれていて、演じる役者次第でその面白さは自在に変化するのだと知った。

 作品がもたらす感動や新たな発見というのは、観劇した者だけが得られる特権である。過去に戻って見に行くことはできないし、他人の感動を譲ってもらうわけにもいかない。これだから観劇はやめられないのだ。

【作品データ】宝塚星組全国ツアー公演「風と共に去りぬ」。脚本・演出は植田紳爾、演出は谷正純。2014年11月14日の梅田芸術劇場メインホールを皮切りに、12月7日まで全国13会場で公演。

#takarazuka #宝塚 #星組


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