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2015/2/8 「風と共に去りぬ」

★宝塚の「風共」は世界の名作とは別モノ

 2002年に初めて「風と共に去りぬ」を見たときの衝撃を私は決して忘れはしない。主題歌を歌いながら颯爽と去って行くバトラー、オヨヨと泣き崩れるスカーレット。そんな終わり方ってあるんだろうか。そもそも主演がレット・バトラー役の轟悠であるというのがおかしい、世界の名作になんという扱いをするのかと憤ったのである。その轟悠がふたたびバトラーとして舞台に立つのをわざわざ名古屋・中日劇場まで観に行くというのは、われながら酔狂だと思う。

 実は、私が「風と共に去りぬ」という作品の魅力を知るきっかけとなったのは、2013年の暮に宙組の大劇場・東京宝塚劇場で、さらに2014年の11月に星組の全国ツアーで上演された「風と共に去りぬ」を見たことにある。その間に、宝塚専門チャンネルで録画した過去の風共も見る機会があった。不思議なもので、多くの役者がバトラーやスカーレットを演じる姿を見ているうちに、私はこの物語の持つ独特の魅力にとらわれてしまったのである。

 宝塚の「風と共に去りぬ」は見れば見るほどクセになる。一度ハマった以上は、もう一度轟バトラーを見ないで死ぬわけにはいかない。

★専科の特別出演は3名

 さて、今回の中日劇場版「風と共に去りぬ」の主な配役は以下の通り。

スカーレット・オハラ(タラの大農場主の長女)…………龍真咲
レット・バトラー(無頼漢として知られる男)……………轟悠
アシュレ・ウィルクス(スカーレットの初恋の人)………華形ひかる
メラニー・ハミルトン(アシュレの妻となる)……………愛希れいか
スカーレットII(スカーレットの本音)……………………凪七瑠海
ベル・ワットリング(バトラーの情婦)……………………美弥るりか
マミー(オハラ家の召使) ……………………………………美城れん
ピティパット(メラニーの叔母)……………………………憧花ゆりの
ミード博士(アトランタの病院長)…………………………星条海斗
ミード夫人(ミード博士の妻)………………………………萌花ゆりあ
エルシング夫人(アトランタの名士夫人)…………………綾月せり
メリーウェザー夫人(アトランタの名士夫人)……………夏月都
チャールズ・ハミルトン(スカーレットの最初の夫)……紫門ゆりや
フランク・ケネディ(スカーレットの二番目の夫)………煌月爽矢
スエレン・オハラ(スカーレットの妹)……………………花陽みら
ピーター(ピティパット家の使用人)………………………翔我つばさ
プリシー(ピティパット家の使用人)………………………姫咲美礼

 専科からの特別出演は、バトラー役の轟悠、アシュレ役の華形ひかる、マミー役の美城れんの3名。月組の男役スターは軒並み女役に回っている。トップスターの龍はヒロインのスカーレット、二番手格の凪七瑠海、美弥るりかはそれぞれスカーレットIIとベル・ワットリング。近年の宝塚の演目としては、スターを集めて適材適所に配した贅沢な配役と言える。

 また、星組全国ツアー版、その前の宙組版では、名前だけしか登場しなかったスカーレットの最初の夫チャールズ、存在自体が省略されてしまった二人目の夫フランクも登場するし、スカーレットの妹、アシュレの妹も出てくる。たしかに、プログラムで「特別版」を謳うだけのことはある。

★四人の男女の人間模様

 スカーレット、アシュレ、メラニー、バトラー、四人の間でのすれ違う恋模様が「宝塚版風と共に去りぬ」のテーマである。スカーレットはアシュレに憧れ、アシュレは妻メラニーを愛し、バトラーは(そしてメラニーも)スカーレットを愛する。そして最後にスカーレットがバトラーの愛に気づいた時、バトラーは心破れて去っていくというのが、この恋愛メロドラマのおおまかな筋書きである。

 そして、この登場人物たちの性格付けも原作とは趣を異にする。まず、男役スター中心の宝塚歌劇で演じるために、レット・バトラーの役割が重い。バトラーは強い大人の男性として描かれ、ヒロインのスカーレットは3度の結婚を経ても、若い娘の心情のままである(原作のスカーレットが4度妊娠し、3人の子供を産んで1人を流産した話はすべてカットされている)。アシュレはいわゆる「二枚目」の役。スカーレットにとって憧れの男性であり、その態度は優しくいつも穏やかで、妻メラニーは天使のような優しい心根の持ち主である。

 この大胆な改変は、原作を愛する人には到底受け入れがたいものだと思う(かつての私もそうだった)が、パラレルワールドで繰り広げられるもう一つ別の「風と共に去りぬ」だと思ってこの前提を受け入れると、俄然面白く見られるようになるから不思議だ。

★第1幕「君はマグノリアの花の如く」のあらすじ

 まずは第1幕のあらすじから。

 舞台は19世紀アメリカ南部、樫の木屋敷と呼ばれるウィルクス家の邸宅で始まる。スカーレット(龍真咲)はウィルクス家のアシュレ(華形ひかる)に思いを寄せている。彼が従妹のメラニー(愛希れいか)と婚約すると聞いて、図書室で彼に愛を告白するが、やんわり拒絶され、しかもそのやりとりはすべてレット・バトラー(轟悠)に聞かれていた。腹立ちのあまりスカーレットはメラニーの兄チャールズ(紫門ゆりや)の求婚を受け入れる。南北戦争が勃発してチャールズも出征するが、まもなく「麻疹で死んだ」という知らせが届く。

 続いて、物語はアトランタに舞台を移す。

 樫の木屋敷での出来事から1年、アトランタ駅に叔母ピティパット(憧花ゆりの)と共にスカーレットを迎えに来たメラニーはバトラーと再会する。バトラーは南北戦争で一儲けした上、街の娼館「赤いランプの館」の女主人ベル・ワットリング(美弥るりか)を愛人にしており、街の上流夫人たちからは忌み嫌われていた。喪服を着て駅に降り立ったスカーレットは、再会したバトラーに樫の木屋敷での出来事を蒸し返されて不機嫌になる。

 そんなスカーレットの前に分身であるスカーレットII(凪七瑠海)が現れる。スカーレットIIの後押しを受けて病院のバザーに出かけたスカーレットは再びバトラーに会う。淑女とダンスを踊るために入札をというミード博士(星条海斗)の提案を受けて、バトラーは「ハミルトン未亡人(つまりスカーレット)に金貨で150ドル」と叫ぶのだ。バトラーからアシュレが近いうちに休暇で家に帰ってくると聞かされ、スカーレットは嬉しさのあまり駆け出していく。

 続いての舞台はハミルトン家(ピティパットの家)。ここで、アシュレ、ベル、スカーレット、バトラー達登場人物を語るエピソードが続く。

 休暇で戦地から戻ったアシュレは、再び愛を告白したスカーレットをやんわりと制して「メラニーの面倒を見てやってくれ」と言い残して再び戦地に戻っていく。ベルは街の夫人たちから蔑まれつつも、自分も国のために寄付をしたいとピティパット家を訪ね、メラニーにお金を託していく。スカーレットの前には、流行の帽子のプレゼントを持ったバトラーが現れて、彼女の反応を見てからかうのだった。

 病院での看護に奔走していたメラニーが倒れ、妊娠が発覚してスカーレットはショックを受ける。そんな折も折、アトランタに戦火が迫り、スカーレットはメラニーを連れてタラへ逃げようとバトラーを頼る。馬車に乗ってようやく戦火を逃れたところで、バトラーはスカーレットに馬車を託し、自ら南軍に志願すると言い残して引き返していく。

 バトラーと別れたスカーレットがたどり着いた故郷タラの農場は荒れ果てて見る影もない。召使のマミー(美城れん)から母が亡くなったことを聞かされ、慟哭するスカーレット。すべてを失ったと嘆く彼女に「まだこの土地が残っている」とマミーが説く。どんなことをしても生き延びて見せるという決意を込めて、スカーレットが「明日になれば」を熱唱して第一幕が終わる。

★「完全版」ならではの醍醐味

 第1幕は、樫の木屋敷でスカーレットの失恋とバトラーとの出会い、1年後のアトランタでのスカーレットとバトラー(そしてアシュレ)との再会、戦火を逃れてのタラへの帰還という3つのパートで構成されている。

 宙組・星組で上演された際には、最初の「樫の木屋敷」のパートが割愛されていたが、やはりこの場面はあった方が良いと感じた。図書室でアシュレに告白するスカーレット、それをソファで寝ていたバトラーが偶然聞いてしまう、というエピソードはいかにも恋愛物語の発端らしい。

 スカーレット役の龍は華やかさと押し出しの強さがあって高慢なスカーレットがよく似合う。アシュレ役の華形は、まるで兄が妹を説くようにスカーレットの願いを優しく退ける罪な男である。そして、轟バトラーには風格がある。出てきたその瞬間から、視線を一身に集めるその技は見事としかいいようがない。

 ただ、同時に感じたのは、轟悠があまりにも「男性」に見えてしまうので、周囲の若者たちとのバランスが悪いということ。チャールズ役の紫門ゆりやなどはハツラツとした若者ぶりを発揮しているのだが、どうしても女の子っぽく見えてしまう。他の青年たちも同様だ。

 ただ、そのバランスの悪さというマイナス面を差し引いても、轟悠のバトラーは一見の価値がある。低い声のセリフ回し、歩き方やちょっとした仕草ひとつとっても「宝塚の男役とはこうあるべし」という美学のようなものすら感じられる。このバトラー相手なら、トップスターの龍スカーレットですら小娘に見えてしまうのも納得だ。

 メラニー役の愛希れいかは思いのほか印象が薄かった。最近良い娘役になってきた人だが、轟悠、華形ひかるを迎え、普段は相手役の龍が女役になっているだけに、芝居でのキャリアの差が出てしまったのではないかと思う。

★男役スターが女性を演じる

 アトランタの場面では、スカーレットIIの凪七瑠海、ベル・ワットリング役の美弥るりかという二人の男役スターが女役として登場する。スカーレットIIは、スカーレットの本音をずけずけと言ってのける彼女の分身的な役。凪七には役不足かと思ったが、パワフルな龍スカーレットの本音ならこれくらいの迫力がないと、と思う良い出来。とくに、周りの登場人物がスカーレットに話しかけたときに、表情をくるくると変えて、スカーレットの気持ちを表現して見せたのには驚いた。彼女にスカーレットをやらせて、龍がスカーレットIIをやる方が、本来の持ち味にあっているんじゃないかと夢想する(宝塚のスターシステムでは絶対に実現しないことはわかっているが)。

 ベル役の美弥は見た目は夜の女性、しかも十分に美しい。芝居も感情が乗っていて良かった。ただ、全く色気は感じない。男役らしい清々しい(?)ベル・ワットリングだった。ベルは日陰者の女の悲哀を歌いあげるのだが、そういうシチュエーション自体が今の時代は昔に比べて理解されづらい、ということもあるのだろう。ベルという役は本当に難しい。

 第一幕のヤマ場となるタラへの帰還。轟悠の戦闘シーンでのセンターっぷりを堪能した後、私はスカーレットの一番の見せ場を期待して待った。荒れ果てたタラの農場の姿と母の死に打ちひしがれ、そこからもう一度這い上がろうとするスカーレットの姿に思わず涙する………はずだったのだが、龍はここでいつもの悪い癖を出した。感情が高ぶる場面でセリフ回しに変な抑揚がついて「わぁたぁしぃのぉーたぁらぁがぁあああ」とやったものだから、私は思わず苦笑して感激の涙もふっとんでしまった。どうして誰も彼女に注意してやらないのだろうか。泣かせる場面でお客を笑わせてどうする!!

★第2幕「さよならは夕映えの中で」のあらすじ

 第二幕のあらすじもざっとおさらいしておこう。(物語の結末に触れています。未見の方はご注意ください。)

 戦争が終わってもスカーレットの苦難は続く。メラニーとアシュレという扶養家族を抱え、さらには思い税金を課され、金の工面に困り果てたスカーレットは再びバトラーを頼ろうとするが、彼は収監されていた。しかも、監獄を訪ねたスカーレットは、すぐにバトラーに金銭的な窮状を見抜かれてしまい、金策も断られる。だが、帰り道に妹スエレン(花陽みら)の婚約者フランク(煌月爽矢)に出会ったスカーレットは、彼が結婚資金を蓄えていることを知り、スエレンが別の男と結婚することになったと嘘をついて、自分と結婚するよう仕向ける。

 だが、第二の夫フランクとの生活も長くは続かない。

 スカーレットが森で暴漢に襲われる事件が起きる。北部のならず者たちの仕業だと男たちは怒りを募らせ、報復に向かう。男達の帰りを待つ女たちの元に、バトラーが飛び込んできて、男達の行き先を問うが皆口をつぐむ。「罠に嵌められている、助けにいかないと危ない」というバトラーの言葉に、ついに男達が報復に出向いたことをメラニーが教える。女たちの元に北軍の兵士らがやって来て、アシュレやミード博士を逮捕しようとする。緊迫した中、傷ついたアシュレを抱えてもどってきたバトラーは、ベルの店で遊んでいたと言い繕って、なんとかその場をおさめる。怪我をしたアシュレを心配するスカーレットにバトラーはフランクが死んだと告げ、自分と結婚すべきだと言うのだった。

 フランクの死後バトラーと結婚し、北部の人々と商売をするスカーレットは、街の人々から疎まれる。新しい邸宅の披露パーティーでも、街の名士たちは型通りの挨拶を済ませるとそそくさと帰ってしまう。だが、戦争で「飢え」を知ったスカーレットは、二度とそんな思いをしたくないという強迫観念に駆られ、必死で金を稼ぐしかなかったのだと振り返る。一方、生活力のないアシュレは、スカーレットの経営する雑貨店の店員になっていた。店を訪れたスカーレットを抱きしめ、若き日の思い出を語るが、その姿を街の夫人たちに見られてしまう。二人の仲はたちまち街中の噂になる。

 バトラー邸では嫉妬に悩むバトラーが酒をあおっていた。マミーがなだめてもバトラーの心は静まらない。家に帰って来たスカーレットをなじると二階の寝室へ強引に連れ込もうとするが、スカーレットが階段で足を踏み外して転落してしまう。彼女を死なせてしまったと悩むバトラーをメラニーが慰める。スカーレットは一命を取り留めていた。

 もともと体の弱かったメラニーが危篤になる。メラニーは枕元にスカーレットを呼ぶと、アシュレのことを頼み、バトラーを大切にするようにとスカーレットに言い残して息をひきとる。バトラーとアシュレの待つ部屋に入ってきたスカーレットは、真っ直ぐにアシュレの元に駆け寄って声を掛ける。その様子を見て黙ってバトラーは部屋から出て行く。

 妻を失ったアシュレは生きる気力を失った抜け殻だった。これまで自分の見ていたアシュレは幻影だったのだと知ったスカーレットは、改めてバトラーが自分を深く愛していたことに気づく。だが、心破れたバトラーはすでに家を出ることを決めていた。去っていくバトラー、泣き崩れるスカーレット。バトラーが「さよならは夕映えの中で」を歌って幕となる。

★二度目の結婚と二度目の別れ

 バトラーに会いに行くにしても着ていく服がない、と語るスカーレットがじっとカーテンを見つめ、次の場面ではそのカーテンと同じ生地の服を着て出て来る。私はこの場面がとても好きだ。しかも、バトラーがダメだとなると、すぐ次の男を引っ掛けて結婚してしまうのも痛快。龍スカーレットもこういう場面になると俄然強みを発揮する。全く悪びれることなく、自分の意思を押し通してずんずんと前に進んで行く様は、トップスターの生き方に重なる部分があるのかもしれない。

 スカーレットが暴漢に襲われるシーンは、カーテン奥から現れたスカーレットが「暴漢に襲われたわ!」というだけでさらりと終わり、報復の場面は舞台上ではまったく描かれない。留守宅に残された女性たちの視点から話が進んでいくという見せ方が上手い。復讐に向かう男達の留守を守る女ばかりの家に、北軍の軍隊が踏み込んでくる場面は第二幕の最初のヤマ場、舞台上に緊張が張り詰める。

 そんな家に、さも飲んで帰ってきたかのようにアシュレを抱えたバトラー、ついでミード博士が入ってくる。「女性のいる前で、ホントのことを言わせないてくださいよ、兵隊さん」と、大芝居を売ってバトラーが窮地を切り抜けるのだが、これは見ごたえがあった。「どこで飲んでいたんだ」と詰め寄る士官に「うちの店だよ」と、どこからともなく現れたベルが答える。ベルの侠気(女性だけれど)もカッコイイ。

 兵士が去って緊張が緩んでほっとした後、突然フランクの死が明かされて観客をドキリとさせるが、さらにバトラーが唐突に結婚を申し出る。ジェットコースターに乗っているかのように感情の流れに緩急をつける、この話のもっていき方は、やはり脚本・演出の妙なのだろうと思う。

★轟悠は酔ってクダを巻いてもかっこいい

 だが、何といっても風共の最大の見所は「バトラー酒浸り〜スカーレットの階段落ち」である。轟バトラーは美城マミーを相手に、妻の愚痴をこぼすのだが、恐るべきことに轟はぐでんぐでんに酔って絡んでもかっこいいい。酔った姿が様になり、そして荒れながらもマミーに弱みを見せたりしない。美城マミーは、表向きにはとぼけていながらも主人を心配する優しさがにじみ出る好演。

 バトラーは嫉妬からスカーレットを強迫し、腕力に物を言わせるが、スカーレットが階段から落ちて動かなくなるのを見て猛烈に後悔する。この一連の芝居がバトラー役最大の見せ場である。口は悪いがスカーレットの率直さが大好きで、好きだからこそ意地悪をしていた子供のようなところのあるバトラーが、彼女を妻としてなお嫉妬に苦しみ、妻を傷つけ、そして子供のように泣く。これだからバトラーは宝塚ファンに愛されるのだ。

 轟バトラーがこの場面をどう演じるのか、私は楽しみにしていたのだが、「ちょっとカッコつけすぎ」だと感じた。轟バトラーは慌てたり、我を失ったりしない。隙がないのだ。私は余裕ある大人の男が見せる「ちょっとした隙」こそが魅力であり、バトラーとはそういう「人たらし」の魅力の持ち主じゃないかと思うのだが、轟悠(あるいは演出家)はそう思っていないらしい。

★四人の関係が終わるとき

 メラニーの死がこの長い物語に終止符を打つのだが、私は宝塚のメラニーは、女性として全く共感できない。なんだか最初から最後まで修道女みたいな人だと思う。今まさに命が尽きようとするとき、枕元に呼ばれるのは夫アシュレではなくスカーレットである。まあ「頼りになるのはスカーレットだけ」という判断は正しいのだけど。

 メラニーの死で、見るも哀れなほど取り乱すアシュレ。そんなアシュレに思わず駆け寄るスカーレット。そして、その妻の姿を見て、部屋を出るバトラー。無数にヒビ割れの入ったバトラーの心は、この瞬間に砕け散る。家を出て行く決心をしたバトラーはもう振り返らない。憂いを払ったすっきりした顔で去っていくのだ。

 轟バトラーはそうしたバトラーの心の動きを、きっちりと見せてくれた。アシュレ役の華形は、心優しく穏やかな青年が敗戦で希望を失い、妻の死に絶望する姿を丁寧に演じて見せた。月並みだが二人とも今の宝塚スターの中では抜群に表現力に長けていると思う。

★風共の進化に期待して

 この風共はこの風共で「あり」だとは思う。轟バトラーを見ると、バトラーという役には宝塚の男役を格好良く見せる要素がこれでもか、とてんこ盛りになっていることがよく分かる。技量のないスターには決してこなせない役でもある。

 でも、男は格好良く去り、愚かな小娘は反省して泣きじゃくる、という男性視点のエンディングはやはり不愉快だった。このバージョンは、もうこの轟バトラーを決定版にして、そろそろ打ち止めでいいんじゃないかと思う。

 原作でもスカーレットとバトラーの夫婦仲は破綻するが、バトラーは自分の娘を溺愛していた。バトラーが家を出るのは、娘が落馬して死んでしまったからだ。愛する者の死に耐え切れずに逃げ出していく男と、もう一度顔を上げて前を見る女。私は原作の結末の方が好きだ。

 人は誰もが強さと弱さを併せ持つ。それは男女という性別に関わらない。スカーレットの人としての強さと、バトラーという男の人としての弱さ、その2つを素直に認めるような、スカーレットが大人の女性として生きる新しい「風と共に去りぬ」がそろそろ生まれてもいい時期なんじゃないだろうか。

【作品データ】「風と共に去りぬ」はマーガレット・ミッチェル原作の同名小説の舞台化。脚本・演出は植田紳爾、今回の演出は谷正純。1977年の初演以来様々なバージョンが上演されているが、今回の上演は2002年に日生劇場で初演された特別版を元に、2014年1月に梅田芸術劇場で上演されたバージョンの再演。中日劇場で2015年2月7日〜3月2日まで上演。

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