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あなたの槍で殺される「お菓子作りが好き」な私


※この文章を読んで、「自分(の発言)はそんなつもりじゃなかった」と思う人がいるだろう。

どこか否定された気持ちになる人もいるかもしれない。もしかすると、最近そんな事を言ったな…ハッ!この記事は私への当てつけ?!と思う人も、いる……かもしれない。いるとしたら、申し訳ない。

ただこれは、あなたの声を気にした私による「警告文」ではない。

これは、これまで「幾度となく」「数多くの人に」ある種「当たり前のように」そう返答されてきた私の、長年抱いてきた「違和感」そのものにほかならない。その点を注意した上で、
是非、気軽に読んで欲しいと思う。

読み終わったあと、思うところがありますように。

以下、本題。






「趣味はパンとお菓子作りです」



今まで何回言ったか分からないこの定型文には、大抵こんな反応がくる。


「え〜!女子力高い!」

「今度私にも作って!食べてみたい!」



勿論嬉しい反応だ。
皆、いつも優しい言葉をありがとう!



さて今日は、この“あるある”な返答について、私の思うところを聞いて欲しい。



まずひとつめ。

「女子力高い」


すでに私の意見が予想出来た人もいるかもしれない。



この「女子力」とは一体何だろうか?



勿論意味がわからない訳では無いし、私も無意識に使ってしまう言葉ではあるが、いつも決まって、使ったことを後悔する言葉でもある。



少し脱線して私自身の話をすると、
私はきっと「女子力高いね」と
言われやすいキャラクターをしている。
それは私が(良くも悪くも)忖度せずに
自己主張をする性分なために、
「悪目立ちしやすく、異様に強く見られて
しまうこと」を懸念した上で
「お菓子やパン作りが得意で
サンリオなどの可愛らしいものが好きな
“ゆるふわ”なイメージの子」
というイメージを植え付け、
”強い私”という誤解を上書きするための
意図的なブランディングにより
「女子力高いね」と言われているのだから、
正直狙い通りの反応だとも言える。
しかし、今日はこの自分で仕組んだ
いわば当然の反応に対する「違和感」
を吐露させてほしい。




本題に戻る。



「女子力高い」


これはあえて言い換えるならば、



「女としての理想像に近い」




という意味合いでの褒め言葉だろう。


勿論褒め言葉だということは伝わるし、普段は「ありがとう」と言って流すのだが、

この言葉が、いや、こんな言葉が、と言った方が適切だろうか。

こんな言葉が、当然のように使われるまでになってしまった日本社会には、多少の憤りを禁じ得ない。

個人的な欲を言うならば、

「女子としての理想像に近い私」ではなく、

「素敵なお菓子を作る貴方」として「私」を褒めて欲しいものだ。

そのほうが、素直に、何倍も嬉しいと思える。

ここまで読んでくれた優しい貴方がこの褒め方を避けてくれさえすれば、私は格段に生きやすくなるだろう。



こんなのはまあいい。問題は2つ目だ。

「食べたい!」「今度作って!」

これについて、正直なことを言わせて欲しい。



これから書くことは、私がずっと伝えられなかった思いであり、ずっと伝えたかったことであり、ずっと苦しんできたことでもある。


今まで「今度作って!」「食べたい!」と言ってくれた全ての人に伝わらなくても、今、ここまで読んでくれたあなたに知って貰えればそれでいい。

それだけで、私はこれからもお菓子作りを、パンを焼くことを、好きでいられる気がする。



だからどうか、嫌な思いになっても最後まで読んでくれると嬉しい。
それだけで、私に刺さったままの抜けない槍はスっと消えていくだろう。

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「食べたい!」「作って!」と言われ、
手作りのお菓子やパンをあげること

これは私にとって最大の喜びだ。

この言葉に嘘はない。


しかし多くの場合、

①作って欲しい、食べたいと言われる
②作り、渡す
③ありがとう〜!美味しい!また作って!
などの反応をもらう

これが繰り返されるのだ。

なんの違和感も無いかもしれない。が、

私は今日あえてこれを

好意の搾取

と呼びたい。

私は渡す相手のことがまず好きであるから、“好意”を持ってお菓子やパンを渡している。

誰かに作ることが好きな私は、作っても自分では1つ2つしか食べないことばかりで、受け取って貰えることは本当にありがたい。

しかし、こんな考えを繰り返しているうちに、私は何度も大好きなお菓子作りが嫌いになった。パンに関しては、もう何ヶ月も焼くことが出来ずにいる。

先述の①②③はウィン・ウィンの関係に見えただろうか?

基本的にこのサイクルにおいて、「コスト」についてはあまり触れられない。

言ってしまえば、

「作って!」と言ってお菓子を貰える側には
(私のお菓子が相当酷いものでない限り)メリットしかないだろう。

しかし、私にはデメリットがありすぎるのだ。



まず、お菓子作りには時間が掛かる。
パンであれば尚更だ。

気軽にクロワッサンを要望する人には特に何と怒りを伝えればいいか迷うことが多いのだが、
なんせクロワッサンを作るのには4時間もの製作時間と24時間を超える発酵時間が必要となる。

それを、1分で食べられ、挙句の果てに
「美味しい〜!また作って!」といった何の学びもない感想しか返ってこないのであれば、疲弊するのも当然だと感じては貰えないだろうか?



これだけではない。
お菓子作りには、パン作りには、当然お金がかかる。

バレンタインなんかにお菓子作りをしたことがあれば分かるだろうが、バターといい生クリームといい、製菓材料というものは本当に高い。

たまに「手作りのお菓子の方が安上がり」などと言う人がいるが、正気だろうか?
手作りのお菓子にだって材料費が掛かっている。苺のショートケーキを作るのには、当然スーパーで600円ほどで売っている苺を買う必要があるし、他にも生クリーム、バター、薄力粉、その他様々な材料を手に入れる必要がある。
息をはくようにお菓子作りをする私が毎月いくら製菓材料にお金を使っているか、、、、、
考えてゾッとして欲しい。ちなみに私はもう考えないことにした。

しかも、材料にかかるお金以外に、私が製菓・製パンに費やしたお金はゆうに25万を超える。

材料費以外に一体何が?!
と思う人もいるだろう。

これは、私が今日まで、素人レベルとはいえ上達するまでに必要となった製菓器具の購入代や、製パンの講習料などである。今日のスキルを手に入れるまでに支払った対価、とでも言えば分かって頂けるだろうか。
(※知らない人も多いと思うが、私は5年ほどパン作りを習っていた。)

私はこの出費と、この出費を出してなお上達したいと思う熱意と愛があったからこそ、平均以上には製菓製パンが出来るようになったと自負している。

仮に皆が私のことを「言えばお菓子を出してくれる機械」だと思っているとしても、そもそも商品はお金と交換されている。

血も涙もない機械よりも、私が一生懸命作った我が子は、私自身は、軽視されて当然の存在だったのだろうか。

そして、自動販売機にランニングコストがかかるように、私が製菓の能力を維持もしくは上げるためにも労力とお金が必要だった。

これは、当然のように度外視されるべきものなのだろうか?

ただの私の趣味であり、好きでやっている事なのだから当然だと言われればそれまでで、そんなこと、私が1番分かっている。

でもたまに、私の最寄りまで届けて!駅までは行く!と、交通費まで払って届けにいかされることがある。もうたくさんだ。


だからこそ、製菓・製パンを愛するものとして、すべての「ものづくり」を愛する人の代弁者として、





好意の搾取




と改めて呼ばせて欲しい。


もう、虚しくなるのは嫌なのだ。



誰かに我が子をあげる時はいつも、喜んで欲しい、その思いだけで作っている。

食べたい、作って欲しいと言われることも心から嬉しく思う。

その想いに嘘はないと、改めて伝えさせて欲しい。


しかし、その好意は、私が長い時間とお金と体力をかけて何とか維持してきたもので、それももう崩壊寸前まできている。

いっそ販売する許可を取ればこんな悩みも無くなるかと食品の販売許可を得る方法を調べたりもしたが、そのために必要となるものの一つ、「菓子製造業営業許可証」を取得するためには家庭用キッチンでは規定をクリア出来ず、どんなに少なく見積っても50万円ほどかけて台所全体を改装する必要がある。

だから無理なのだ。今の疲弊した私にはキッチンを改装する財力も熱量もない。

私が「販売」できない以上、あくまで「謝礼」として各々の判断に任せ金銭等の対価が支払われるしかない。
そうなれば、今までと何も変わらない。
好意の搾取はこれからも続く。



それがついに悔しくなって、しかも自己主張を得意とする私の性分をもってしても強く言うことができずに、ついには深夜にnoteをインストールしてこんな風に愚痴をこぼす始末である。

どうか私が今まで大切にしてきたお菓子作りやパン作りが「好き」という気持ちを、あなたに対する私の「好き」という気持ちをいいことに搾取しないで欲しい。

「好き」という気持ちは、私が愛とお金と体力と時間をかけて大切にしてきたものなのだ。

別に全員に材料費プラスαで金を払え!とは思っていない。

たとえば、多少次回に活かせるような「ここが美味しかった」などといった感想か、満面の笑みを見せて欲しい。

枯渇した私の心には、そんな見える喜びがオアシスか、あるいは天使のように思えるだろう。



……私はこのnoteを本当に人目に晒すことができるのだろうか。
もしできたならば、槍の刺さった傷口をさすりながら、自分自身を労り、褒めたいと思う。

これから私が「あげるよ!」「作るよ!」といったときに勘ぐって辛くなる人が増えてしまうのならば、こんな投稿しない方がいい。

そもそも今までお菓子やパンをあげた人達の中には、「私があげたくて押し付けた」ことにより受け取った人も多くいる。

「お菓子作りやパン作りを続けてきた私」は、
確実に「受け取って、喜んでくれる人」によっても支えられてきた。

だからそれが崩れることは本末転倒であるし、これからも誰かのために、私はお菓子を、パンを作り続けるのだろう。


いつか、ここまで長々と読んでくれた優しい貴方のような人によって、

対価のある平等な授受によって、心から
お菓子作りをパン作りを楽しむことができ、
「思いやり」が私の心に刺さることを期待して、

きっと明日も、私はお菓子を、パンを、作り続ける。






おわり


(こんなオチのない乱文を最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました。知ってくれた貴方によって、私は少し生きやすくなるはずです。もし余力があれば、もう一度、最初の※を読んでください。それでは、またいつか。)






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