『期待』その残酷さ
こんにちは。期待してるよと言ってもらうと、嬉しい気持ちとプレッシャーを感じてストレスを感じる気持ちがハーフ&ハーフです。レミイと申します。
「期待」という言葉、悪気なく使われる事が多いですが、ポジティブな意味合いで「期待」されるという事は、実力を暗に認めてもらっているという事でもあり、嬉しい事でもあります。
しかし「期待」の厄介な所は、期待する側のリスクが一切無く、期待される側のリスクが高すぎる事だと感じます。
例えばオリンピック。
「メダルの期待がかかります!」
実績のある選手には必ずかかる言葉です。
期待する側は楽なモノです。
期待される側は無邪気な重圧に耐え、期待を裏切るような結果になれば、時に厳しい批判や手のひら返しに晒されます。
私はそんな時、何のリスクも負っていないのに批判する人の事を軽蔑します。期待には答えなければならないもの。そんなワケはありません。
期待する事自体は悪い事ではありません。しかし期待をかけた人が望んだ結果を出せなかった時に、失望するのはあまりに自分勝手だと思います。
もう1つ「期待」には相手がより良くなる事を望む。…というネガティブな意味合いで使われる事もあります。
この場合は期待する側のリスクが高すぎます。
例えばパートナー。
結婚してみたら夫が、実は借金があった。実は暴力を振るうような人間だった(私の父親の話で恐縮です)。
すぐに別れる。という潔い人もいるでしょう。
しかし「相手が変わってくれるかもしれない」と期待する人も多いでしょう(私の母はそうでした)。
変わってくれる可能性も0%ではないと思います。
でも「人を変えるより、自分を変える方が簡単」です。
その「期待」何回裏切られましたか?
私はこれまでの人生を捨てるような決断を2回しました。
どちらも「期待」する事をやめて、逃げ出しました。
変わらない人間は変わらないんだ。
そんな結論を持って逃げ出しました。
今、心の底から「あの時逃げて良かった」と感じています。
乏しい人生経験から導きだした結論ですが、人は
「自分を変えるつもりが毛頭ない人」
と
「大切な人が変わって欲しいと願ったら、出来る範囲で変わってあげる事が出来る人」
の
2種類いる。と感じています。
どうか私の大好きな人達が、この事をよく考えてもらえますように。
私の母にもこの事を解って欲しかったのですが、それこそ私の母に対する「期待」ですね。反省…orz