頭上を練習機が走る世界について

昨日(5/29)東京都の上空を航空自衛隊のプルーインパルスが医療従事者への感謝と敬意を表し、飛行した。

医療従事者の方々への感謝を示すことはとても素晴らしいことだ。コロナ感染の第2波が来ているor来た状況の中、毎日医療を支えるために出勤する意思看護師や介護士の方には頭が上がらない。

しかし、どうしてもパフォーマンスとして見てしまう自分がいて、あまり良い印象を抱けていない。

「自衛隊が、東京の上空を、飛ぶ。そしてそれに歓喜する人がいる。」

この記事を投稿する前は、ブルーインパルスが練習機であることを知らなかったので戦闘機みたいなのが飛んでいるんだろうなとなっていた。そのため戦争と憲法改正について考えていた。

まず戦争のことから。東京の被服廠跡や昭和館などの資料館で、飛行機の音だけでどの戦闘機かわかる、といった手記だったかインタビューを見たことがある。私にはもちろんそのスキルはない。しかし、この感覚を持った人がたくさんいたらきっとこの飛行はなかっただろうなと思った。戦闘機が自分の頭上を飛ぶなんて耐えられない、そんな人が多くいただろう。3.11の直後にACのサウンドロゴを地震速報と勘違いしてしまった人となんとなく似ている。

次に憲法改正について、私は今のところ憲法の改正に反対している。理由は色々あるが、解釈によって本質が捻じ曲げられてしまわないかが怖いのだ。時間のある方は是非『動物農場』というアニメーション映画をぜひ見てほしい。

このコロナの影響でアメリカと中国の関係は良くないように見える。
この状況下でなにかどちらかの国で一方の国の人が殺されてしまうようなことがあれば、戦争が起きてしまうんじゃないかと思ってしまう。戦争を知らないと戦争の始まり方もよくわからないので、私の単なる行き過ぎた妄想だと思いたい。

話がやっと戻ってきた、先日(5/24)自衛隊の夜間演習が初公開された、そして昨日(5/29)東京の上空を練習機が飛んだ。どうしても自衛隊を憲法に記載するための宣伝に見えてしまうのだ。別に今も存在するのだからわざわざ憲法に書かなくていいじゃないか。最高裁が自衛隊を違憲とした訳ではないだろう、という気持ちがある。

とにかく頭上を本物の戦闘機が滑空する未来が来ないことを願い、行動するばかりである。あと改正のことはきちんと調べなきゃな。前に軽く改正案と原文が並んでいるのを読んだけど、古い仮名が現代仮名になるのはいいけど、その形容詞消す?みたいなのがちょこちょこあってそれって解釈新しく入れられるようになるんじゃない?とか思ったのは覚えている。

以上。


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