無料と有料(ネットのディストピア化対策)

noteは有料設定の記事も書ける。

ならば、日記以外の記事で他人に読まれたくない物、もしくは多少表現に困るモノ(少々性的なモノや差別に当たると言われてしまうような発言を含むモノ)等を有料設定してしまえば、読みたい人だけが、自己責任で読むと言う道理に叶うのではないか?とか思ったので、日記は無料記事、自分の思想で最近は色々と五月蝿い人が多そうな話題は有料記事(別に読まれたいわけじゃなく目的はアウトプット)と設定するのもアリなんだろうな。

正直言って、ネット社会もどんどん加速度的に発言規制を謳うディストピア化が進んでいると感じる。Twitter辺りが特にそう感じるしYou Tubeなんて「子供」が関係しているだけでコメント欄の禁止やら収益の停止等「子供を守る」を口実に「企業を守る」為に「自主規制」する動きが大きくなっている。

昭和を、平成初期を生きた人間であれば、TVで昔は「バタリアン」のような「B級ホラー映画」が放送されていたのに、最近は「放送局の自主規制」で少しでも子供に対して過激であるとされる映画は放映されなくなった事実を知っている、もしくは薄々感じているだろう。

その結果、TVで映画を毎週楽しめる「権利」というものがほぼ皆無となってしまった。これは個人の楽しみが無くなっただけじゃなく、もっと大きな損失であると、認識すべきだ。

そう、それこそ「子供達」が多少過激さのある作品を見る機会が極端に無い(奪われた)為に社会に出て生きて行くのに必要な「色々な耐性」や「興味・関心」と言った物から生じる「好奇心」、それから更に展望するであろう「将来の選択の幅」を大人が身を守る為だけに「奪って」いるのだ。

それを理解というか認識せずに「子供を守る」と「盾」として結局「大人のみを守るだけ」の「自主規制」とは?保守的という言葉で済ましてはいけない、未来を潰す害悪ではないだろうか?ディストピアを着実に作り出しているのは「建前」を「盾」にする、自称常識人である大人の行動なんだろうとここ数年痛く感じている。

もっともSF好きと言う感性を持ち「ディストピア」に対し多少なれど変な憧れを持つマニアックな自分としては複雑な気分でもある。勿論このSF好きも過去にTVで映画放送を楽しめたからこその影響である。だからこその視点であろう。

今の日本社会で矛盾しているのは、マスメディアは自主規制で表現の自由を自ら狭めているのに、報道に関しては表現の自由を謳い、他人や団体を批判するし「報道すべき事実」を「報道しない自由」にすり替え当たり前とする。

それだけじゃなく、ネットで探せば個人が自由に過激で過剰なコンテンツを閲覧はできる。

映画のようなコンテンツで「作り物の事実」を見えないようにし、報道側にとって利益が薄い情報は隠すのに、マスメディアを挟まないものは見ようと思えば誰でも見える。子供のように好奇心旺盛で分別がつかない状況で、耐性なく「事実」を突きつけられるとどうなるか?大人として導くのであればワンクッション置いて、耐性を付くようにしてから「自己責任」を求めるべきじゃないか?それも大人の責任じゃないのだろうか?

と、「自主規制」たっぷりな日本社会を見ていると思うのです。

あくまで個人的意見なのだが、こんな意見ですら将来的に「自主規制」しなければいけない時代が来るのか?とか、不安に思う令和二年1月末なのであった。

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