ねむちゃんの巧みな話術にだまされずにメタバース進化論を読む

メタバース進化論、かなり売れているらしい。著者のねむちゃん自身も、最近ソーシャルVR知識人アイドルとしてテレビで活躍している。一貫した信念の元で柔軟かつ積極的な活動を続けてきたねむちゃんの努力が実り始めたのだと思うと、古参ファン面の私としては喜ばしいものがある。

しかしだ。メタバースの本当の姿がそこにある、みたいなノリで囃し立てるのは、少し違うのだ。
何故なら、メタバース進化論の本質は「人類美少女計画2.0」であり、例え客観的に見える章でも実はねむちゃんの個人的な思想、いや宗教が色濃く出ているからである。余りにも思想が濃すぎて隠せてない部分も幾つかあるが、そうじゃなく全てが強烈な思想の元にあるのだ。

前提として言っておくが、私はねむちゃんの思想「人類美少女計画」の敬虔な信者である。だから、「ねむちゃんに騙されるな」と言いたいわけではない。私が言いたいのは、体裁を整えたメタバース進化論の先にあるねむちゃんのとんでもない思想を真っ当に理解して、何をメタバースとするかを自分自身で選んで、あわよくばねむちゃんの信者になってほしいという事である。

さて、人類美少女計画とは何か。その概要だけでも見ておこう。

人類美少女計画とその進歩

バーチャルコスプレ(姿)、声コスプレ、経済コスプレの三つを経て、人類は年齢・性別・美醜から解き放たれた全く新しい社会を築き、お互いを心から肯定しながら生きたいあり方で生きていける。

これが、世界最古の個人系Vtuberであるバーチャル美少女ねむちゃんが活動当初から掲げていた思想「人類美少女計画」の概要である。理論的根拠として分人主義だのプロテウス効果だのあるが、それはメタバース進化論でも述べられているので深く触れない事にする。
この思想は、ねむちゃん5年間の活動を通して行ってきた多くの対談や、VR国勢調査の結果を元に洗練された。私はそれを人類美少女計画2.0と呼ぶことにした。

更新点を見ていこう。従来2つに分けていた姿・声に名義を加え、生きたい在り方で生きていく事そのものを「アイデンティティのコスプレ」とした。元は"コスプレ"の目的とされた人間関係の変化を「コミュニケーションのコスプレ」に。「経済のコスプレ」は続投。最後にファントムセンスを「感覚のコスプレ」として加えた四つのコスプレが人類美少女計画2.0である。

この統合の流れからも分かるよう、2.0では、コスプレは手段であり目的でもある。一応最終的な目標としてホモ・メタバースとなる事を打ち出しているが、やはり4つのコスプレこそが大量のデータと多くの紙面を用いて言いたかった事だろうと感じる。

ねむちゃんはこの思想を補強し主張し大衆に広めるようにメタバース進化論を書いている。これが、私がこの章を書いた理由だ。メタバース進化論に仕組まれたバイアスは全て、この宗教思想の為にあるという事を理解しておけば、それを見抜いて理解する道筋になるだろう。

前半——その定義は何の為

メタバース進化論の特徴の一つとして、第一章にてそこで扱う"メタバース"という語を明白に定義している点である。当然ねむちゃんとて「これが唯一のメタバースの定義である」と言い張るつもりはないだろうし、建前としてこの定義の目的は「メタバースの議論を有意義にする為」としている。このように定義したものについてこれから議論します、という明示は非常に誠実な姿勢と言える。

しかし、定義を著者に任せるという事は、著者が言いたい事を言うのにちょうどいいように、恣意的に定義出来るという事である。勿論あまりにも無茶を言えばその定義は読者に受け入れられないが、ねむちゃんは巧みな話術とバランス感覚で、ねむちゃんの為のメタバース定義を読者に深く納得させている。

①空間性 ②自己同一性 ③大規模同時接続性 ④創造性 ⑤経済性 ⑥アクセス性 ⑦没入性

詳細はお手元のメタバース進化論を読み返してほしいが、確かにとても納得出来る。でも、性格悪く考えてみて欲しい。何か一つを抜いてみても良いんじゃないか?或いは何か一つを足してみても。この7つに定義して進めるのは、その腹積もりには何がある?
ソーシャルVRの事をメタバースと呼び、フォートナイトやNFTの事はメタバースと呼ばない為の定義、というのも事実だろうが浅い見方である。更に問おう、何故そこで呼び分ける?

メタバース=人類美少女計画2.0の舞台と定義するためである。

と私は読んだ。深読みしすぎだと思う人もいるだろう。私も若干そう思う。なので、私がこの定義の意味を深く考える理由になったやり取りを乗せておこう。

女装読書ショットの下りは忘れてほしい。このやり取りは、私が「マイクラはねむちゃんの挙げたメタバースの定義全てを満たしているんじゃないか?」と聞いたのに対し、ねむちゃんが答えたものである。

ね、ねむちゃんの語る"⑦没入性"は「まるで実際にその世界にいるかのような没入感のある充実した体験が出来る世界(p32)」なんて文章で表しきれるようなものじゃないでしょ?

書面通りの定義なら、少なくないクラフターは、マイクラはそれを満たしていると思うだろう。しかし「人生を代替できるレベルのコミュニケーション」と言われると、それもまた満たしていると思う人は大分減ると思われる(勿論、それも満たしていると考える筋金入りのクラフターもいるだろうが)ともかく、このやり取りから私は、ねむちゃんが立てたメタバース7つの定義は、その表面的な部分(文面に当てはまるかどうか、など)だけを見るのではいけないと考えるようになった。

確かに、メタバースが「人生を代替できるレベルのコミュニケーション」でないと、メタバース=人類美少女計画2.0の舞台にはなりえないだろう。

その本質的定義の為に、一部の人がメタバースだと言っているものを「ここではメタバースと呼ばない」とバッサリ切り捨てているのだから、実はかなり利己的な定義だろう。

後半——データを見つめなおす

メタバース進化論があれほどに受けているのは、後半、つまり4章以降の与える衝撃にあるだろう。だが正直、私の言いたい事は前章で言い終えた。

メタバース進化論を最初に読んだ時は、前半で現状のメタバースの説明をして、後半でデータを交えながらオブラートを被せた人類美少女計画の主張をする、そういう本だと思った。実際は、全部人類美少女計画だった。

後半の方が、分かりやすく表れている強い思想に気づきやすい。数字や母集団も出しているので、統計の知識があればそれぞれどれぐらいの信憑性で見ればいいかも分かる。
そんな中で敢えて一つ言う事があるなら、人類美少女計画2.0を意識して4~6章でのデータの読み解きを眺めると、意図が見えてきて面白いという事ぐらいだろうか。

バイアスがあろうと、誤りだというつもりはない。だが、本当にあなたはねむちゃんと同じようにそのデータを読むだろうか?プラットフォーム間の比較にどこまで意味がある?圧倒的に比率の少ない西洋ユーザーや物理女性のデータからものを言い過ぎでは?
当然私の言っている事にも私のバイアスがある。そうじゃなくて、自身のバイアスでデータを見つめてみてほしい。

その上でねむちゃんの体系化された過激思想の完成度にも改めて衝撃を受けてほしい。

それでも私はねむちゃんを信じる

何度でも言おう、私は人類美少女計画の敬虔な信者だ。その教義を信仰し、信者が増える事を嬉しく思う。

もし人類美少女計画に興味を持ったなら、小説『仮想美少女シンギュラリティ』を読んだり、ココロコスプレを聞いたりしてみて欲しい。メタバース進化論はそれらの続編なのだ。いきなり二期から見ても面白い作品を、一期から見ればもっと面白いのは当然の理だろう。

そうして人類美少女計画2.0にココロから魅了された後もう一度メタバース進化論を読んでねむちゃんの仕掛けたバイアスを主体的に受け入れるか、そうでないか、どちらでもより深く読めるに違いない。




P.S. 女装読書ショットはないよ


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