人類美少女化計画概論 -仮想世界の社会論-

本文に入る前に

まずこの記事について、本文に入る前に述べて置かなければならないことが3つある。

1つ目に、この記事の内容は、私が去年「論文を書く練習」という趣旨の大学の授業で3ヶ月掛けて書いたものである。授業なので、最低二冊の書籍からの引用をしろとか、実例を上げろとか、幾つかの条件がある。それを満たすように書いたものなので、幾分うざったい部分がある。というか多い。雑な議論進行は紙面と課題締め切りの都合だと思って欲しいし、堅苦しすぎる表現も、こんなテーマをクラスの人前で発表する為の照れ隠しだと思って欲しい。

2つ目に、私はnoteを初めて使うので、読みやすくまとめる方法なんかは殆ど分からない。文章は昔書いたものをそのままコピペしただけのものなのだ。その点勘弁して欲しい。

3つ目に、これは去年の授業で書いたものであり、今の私の思想は若干変化しているし、ねむちゃんの語る美少女論も進化している。だからこの文を出すのは恥ずかしいのだが、お蔵入りにしようにもねむちゃんが定期的に小突いてくるので、これ以上ハードルを上げられるわけにもいかず決心して出すことにした。だから、最先端から見ての拙さはそういうことだと理解して欲しい。

以下本文

序論

人類はこれから数十年の間で、経済活動の多くの部分を仮想世界に移すだろう、と予測されている。仮想空間ならば移動に必要なエネルギーも、生産活動に必要な資源も、大幅に減らすことが出来るからだ。
さてそうなると、広大な仮想現実という新天地にて、人類はどのような社会を築き上げて行くのか、という問題がある。
というのも、仮想空間ではアバターやワールドなどに、従来の現実では困難な要素を簡単に与える事が出来る。また、従来の現実を完全に再現する事は非常に困難である。そういった違いは仮想空間での人間のあり方、ひいては構成される社会にも違いをもたらすだろう。
この違いを、人間にとって良い方向に作用させる為に、仮想空間でどのような社会を築くかという構想が必要になるのだ。
その提案の 1 つが、人類美少女計画である
本文章では、第一章にて人類美少女計画とはどのようなものかを定義し、第二章ではそこから一歩引いて VR 空間での社会論の重要さと人類美少女計画の立ち位置を確かめ、第三章ではこれらの問題点と今後の発展を探っていく。

第一章 人類美少女計画とは何か

第一章では人類美少女計画とは何であるかを述べていくのだが、まずこの計画名自体が、インパクト重視のもので誤解を招きやすい。なので、語感による誤解を避けるため、以下では Human Heroine Project 略して HHP と呼ぶことにする。
HHP は、最古の個人勢 VTuber としても知られるバーチャル美少女ねむ(以下ねむ氏)の提唱する、VR 空間上での革命的な社会論である。
その主張の大枠は、VR 空間上で三つの”コスプレ”を経て人類を”美少女”にする事で、美醜・年齢・性差を取り払って、よりよい社会を実現しよう、というものである。
しかしこの説明ではおよそ、正しい理解は得られない。ここで、HHP を正しく理解する上で重要な概念を 3 つ紹介し、その主張を紐解いてみる。
1つ目は止揚としての heroine、2 つ目にプロテウス効果、3 つ目はは分人主義である。
① HHP では美少女(heroine)という言葉に独特な定義をする。それは美しく、幼く、女性的である事(美+少+女)ではない。ヘーゲル的な止揚(アウフヘーベン)の立場を取り、美醜の止揚、老若の止揚、男女の止揚を heroine の条件とする。
つまり、その対立する両者を否定し、高次へ高めたものとして美少女を捉えるのである。それを人類のあり方のスタンダードとする事によって、それらの差によって生じる問題を解決しようとするのが、HHP の重要な目標である。
② プロテウス効果とは、「仮想空間上でアバターを自分の分身であると認識した時、その人の振る舞いはアバターの外見に影響される」事を指す。これは既に複数の研究によって、有意な変化が示されている。
ところで、HHP は heroine を①のように定義するが、それだけではheroine とされる存在のアバターにはどのような性質が好ましいのか明瞭でない。
HHP では、heroine のアバターは任意の誰かに愛されるためにデザインされたもの、とする。その”誰か”には、不特定多数/特定の集団/特定の一人/自分自身などが考えられるだろう。そのような性質を持つことをここでは「愛らしい」と呼ぶ事にする。その「愛らしい」アバターを、VR 技術によって自分の分身だと認識し続ける事で、プロテウス効果によってそのような対象に好ましい言動を自然と行うようになり、好意的で潤滑な人間関係の構築を助けると、HHP は主張する。
③ 分人主義は作家の平野啓一郎によって提案された思考で、人間は社会生活を営む中で様々な面を見せるが、それらを統制する唯一の「本当の自分」があるのではなく、それらの面一つ一つが分人として存在し「本当の自分」である、と考える。どの分人が発露するのかは、環境や対面する相手と相互に作用する中で決まっていく。(平野啓一郎 2012: pp 68-70)
平野氏は、あらゆる人格を最後に統合しているのが、たった一つしかない顔である(p54)としている。そうなると、顔すら自由自在な仮想世界はより分人主義的な思考が妥当性を高めるはずだ。
生まれ持った性別、抗い難い年齢や美醜、それに伴って求められる役割を「固定化された自己」だと考えてしまい、苦しんでいる人はきっと少なくないだろう。HHP では、②で述べたような愛らしい heroine 同士で構成した社会、という状況と環境を与えることで、「愛らしく、また、他人を愛らしく思う」分人を積極的に引き出していくことを目指すのである。
これらを踏まえた、HHP の多角的な解釈は、次以降の章で行う。
HHP は具体的な実現手段を提唱していて、3 つの”コスプレ”という用語で表される。バーチャルコスプレ、声コスプレ、経済コスプレの 3 つで、それぞれ外見、声、経済活動を仮想空間の heroine のものに変えていく事を指す。それぞれ 3D モデリング、ボイスチェンジャー、ブロックチェーンなどの既存の技術で達成できる事が特徴である。

第二章 なぜ仮想現実に社会論が必要なのか

HHP に対するある種”ごもっとも”な意見として、「美少女になるのが好きな人達だけでやっていればいい、わざわざ計画や論なんて大げさだ」というものがある。
“ごもっとも”だと言うのは、仮想空間での人々の在り方に強制力を持てるのはプラットフォームだけであり、その規約に従う範囲で好きな姿になればいいのだし、すると結局 heroineになるのは heroine になりたい人だけ、というのを否定できないからだ。
しかしながら、仮想空間の社会は全くの野放しという訳にはいかないのだ。仮想世界に社会論が必要な理由が二つ有る。一つはリアルアバター主義に対抗するため、もう一つは仮想空間が人々に及ぼす悪影響を制御するためである。
それぞれを見ていく前に、私が言う仮想現実の社会論とは何か、ここでの定義をしよう。
VR 技術が普及し多くの人が仮想空間で長い時間を過ごし、社会が形成される。この事を自然発生的な過程だと考える。それに対し、仮想空間の社会をモデル化し、社会モデルをデザインする。社会に働きかけを行い、デザインされた社会モデルによって近似出来るように誘導する。そして、社会モデルを用いて、人々にもたらす影響を予測し、深刻な悪影響をなる
べく抑え込む。これが、私が仮想世界に必要だと主張する社会論の在り方である。
・リアルアバター主義への抵抗
コンシューマ用 VR 機器のベンチャー企業であった Oculus 社を買収し VR の界隈に大きな影響力を持つ Facebook は、人間の顔をアバターに再現する技術を手掛けている。
MoguraVR2の 2019.09.04 の記事によると、Facebook が開発を進めている Hyper-realistic Virtual Avatars はリアルタイム形式で動作し、頬の膨らみや咬唇 、動く舌やウインクといった幅広い表情の表現に対応している。そして、実際の顔と表情が精緻に表現されるのである。まだ開発段階だが、写真と殆ど判別が付かない程度にはリアルだ。
影響力が大きい上に実名 SNS プラットフォームの企業である Facebook がこの技術を手掛けている事と、ネット上の名前やアイコンより実名や顔写真に信頼を置く従来の社会的価値観が合わさると、仮想空間での姿が本人のリアルアバターに定められてしまう事は十分考えられる。これでは、折角仮想世界で暮らすようになったのに、従来的肉体の価値観を引きずったままになってしまうだろう。そうならない為には、新たな社会の在り方を示し、先導する具体的な社会モデルが必要だと考えている。
・悪影響の制御
VR 空間での社会が人にどれほどの影響を及ぼしうるのか、順を追って、その深刻さを推測することが出来る。
技術によって新たな社会が構築された例として、インターネットの普及とネット社会の構築が挙げられる。ネット社会が大きく人々の生活を変え、個々人に影響を与え、場合によっては深刻な問題を生じる事はご存知であろう。VR 技術と仮想空間の浸透は、更に強い影響を与える事が示唆されている。この事には先行研究が有る。
ジェミリー・ベイレンソンの実験では、若い被験者に仮想空間で高齢者の姿をさせて、バーチャルミラーの前で作業をさせ、身体移転を起こした。身体移転とは、仮想空間のアバターを自らの肉体だと認識する事である。実験協力者と仮想空間上で短い会話をし、その後高齢者と聞いて何を連想するか、などの質問をした。仮想空間で同程度の年齢の姿をしたアバターに入った対照群と比べ、高齢者の姿を体験した被験者たちは、心理学的手法で 20%高
齢者に対して共感的で好感を抱いていた。(ジェミリー・ベイレンソン 2018: pp123-125)

このように、VR 技術は人の精神に影響を与えるという能力で、今までのメディアとは一線を画している。脳にとって仮想現実は、かなり現実的なのだ。仮想空間上の社会がもたらす影響は、殆ど文字と映像のみで成り立っているネット社会がもたらしたものより、更に深刻な問題として捉えなくてはならない。よって、その社会が良い影響をよりもたらし、悪い影響が暴走しないようにする為に、仮想空間の社会論は必要なのだ。
話を HHP に戻すと、HHP は、仮想空間の社会論における先駆者である。この理論の強みは、一章の最後に述べたように、技術的には既に実現可能であるという事だ。仮想空間が、無数の人々によって巨大な社会を形成するようになった時に必要な社会モデルへの誘導を、今の技術の組み合わせで行う点で、有力な理論なのである。
この事と一章③で示した分人主義から、二章冒頭の”ごもっともな”意見に対抗するならば
「美少女になりたい個人ではなく、あらゆる人から、heroine になろうとする分人、或いはheroine になることで得られる利益を得たい分人を引き出して、かれらを heroine にすることを目指すのが HHP だ。なぜわざわざ目指すかというと、そのようにデザインされた社会モデルに誘導する事で、一章に述べた良い影響を受け取るだけでなく、悪い影響を予測しコントロールするためだ。」
となる。必ずしも HHP である必要はないが、今の所最も理屈に納得していて、かつ技術的に実現可能だから、私は HHP を支持するのだ。

第三章 HHP の問題点と展望

第二章で述べたように、デザインされた社会モデルは、人々によりよい影響を与えるだけでなく、問題点を推測できるという点においても優れている。第三章では、HHP が抱える問題点や不十分な点を挙げつつ、HHP 及び仮想空間の社会で今後の発展を考察していく。
・あらゆる姿になれる VR 空間で、アバターを heroine であるように束縛するのは、自由を奪ってないか?
heroine の定義をいかに抽象化しても、それに当てはまらない姿になりたい人は存在する。分人主義に基づいて考えるとしても、ある面は heroine の社会におおよそ満足しているとして、また別の面では、heroine 以外の存在でありたいという事もあるはずだ。その時、後者を仮想空間から締め出してしまうのか。
・結局、ジェンダー的ステレオタイプの再生産ではないか?
幼い女性の特徴を持った姿に対して警戒感が減り親近感を増すのは、男女共に見られる反応である。そこから記号的な要素だけを用いれば、無性別的に多くの人にとって愛らしいとされる姿を作ることが出来る、と HHP では考える。しかし、根底にある「幼い女性の特徴を持った姿が親近感をもたらす」事自体が、sex 由来なのか gender 由来なのか明確に判別できていない。もしジェンダー由来であるならば、その仕組みを用いる事で、否定してい
るはずのジェンダー的ステレオタイプの再生産に加担してしまうだろう。
他にも
・アニメ的カルチャーに全く馴染みがない人に適用出来るのか?
・人種、国籍、宗教の違いといった要素についても考えるべきでは?
などの不十分な点が想定される。
これらの問題に対しては、私は共通した一つの回答を持っている。
それは、HHP 以外にも仮想空間の社会論は必要であるという事だ。仮想空間は全てが一繋がりになっている世界ではない。異なる構造の社会を持った仮想空間は、幾つでも存在し得る。常にheroine であり続けなければ、仮想空間を使う資格すらない、などという横柄な主張ではないのだ。
ここまでは、想定される問題点だが、既に発生している問題もある。ある男性は、仮想空間で美少女として過ごし、その姿で周囲から承認を得て、自己肯定感を高める事が出来た。
その空間では幸せであったが、ある時から、従来の男性としての肉体や扱われ方に、違和感と乖離感、場合によっては苦痛を覚えるようになっていったという。※1
今まで VR 研究者は、「仮想空間での経験が夢のようであり、それによって現実に戻ることを人々が拒否する」という考えを否定してきた。以下に、象徴的な言葉を引用する。

ジャロン・ラニアー(「VR の父」とも呼ばれるコンピュータ科学者)は
「一番素晴らしい VR 体験は HMD4を外した瞬間に訪れる」と繰り返し
述べている。私もその意見に賛成だ。VR では再現できなかったあらゆ
る種類の微妙な感覚(中略)肌に感じる空気の動き、手に持つ HMD の重
さやトルク──これらの感覚を仮想空間できちんと再現するのは、不可
能ではないとしても途方も無く難しい。VR は一風変わったやり方で、
現実世界の素晴らしさを再認識させてくれるのだ。
(ジェミリー・ベイレンソン 2018: p78)


つまり、VR による経験は、現実的に感じられたとしても、物理的な現実の経験の質には遠く及ばないし、寧ろ現実世界の素晴らしさを認識させてくれるものだというのだ。
では、なぜ先の例で挙げた人は、従来の肉体に違和感を抱くようになってしまったのだろうか? それは、その人に影響を与えたのが、仮想空間の身体的経験だけでなく、仮想空間の社会的経験が大きな割合を占めていたからだと私は考える。視覚を始めとした身体的経験は、現実の質量に劣るものであったとしても、仮想空間の社会的経験(愛らしさによって承認を受けた、自己肯定感を高めた、などの経験)は、従来の社会的経験に劣らぬ影響をもたらしうる。
分人主義では、人と人との関係がより良く成功している快い環境や相手に対する分人は、常に更新され重要度が高くなり、分人全体の中でも占める割合が大きくなっていくとされる。そして、その人らしさを決めるのは、分人の構成比率に他ならないとされている。(平野啓一郎 2012: pp 88-89)
この事例では、愛でられ承認されるなかで、美少女としての分人の重要度が余りに大きくなりすぎて、それまで社会を生きていた幾つかの分人が圧迫されたのだと解釈出来る。
このように、仮想空間の社会で利得(幸福感や承認)を得ることが、場合によっては現実での苦痛を伴いうることが示されている。もし常に仮想空間で生活できるなら問題ないが、例え長い時間を仮想空間で過ごすようになるとしても、従来の現実で生きる必要はなくならないのである。
常に仮想現実で生きるという技術的に実現困難な方法を除いても、現実との乖離に関わるこれらの問題には一つ、解決法があると私は考える。それは、誰しもが heroine になった事があり、分人主義の理解も広がり、「私は仮想空間でこんな heroine になっていて、私はこの分人として、この世界でも扱われたい」と、既存の社会でも躊躇いなく公言できる環境になることである。HHP の実践が十分に広がったとき、既存の社会でもこのような変化が起きるのではないかと、私は考える。何故なら分人、世界、顔、姿、人間関係がそれぞれ異なっていても、知識と記憶はそれらを超えて共有されるものだからだ。VR の鮮烈な体感によって理解した事柄は、記憶と知識を経て、従来の現実での行動にも影響しうるのだ。ここに、HHP や仮想空間の社会の発展と展望が垣間見える。
従来の社会をも動かす事が出来てしまうなら、その理論はより複雑で様々な配慮が求められるだろう。けれども、VR 機器の普及と共に興味関心が集まり、それを乗り越えられたなら、HHP に出来る事は格段に増えるだろう。
結論
現状の技術では、仮想空間がもたらす感覚の質量、現実らしさは、物理的な現実に遠く及ばない。人間の感覚の多様さ、物理的な空間が伝える情報の細かな機微を、一秒に数十回も演算し伝達し続ける事など、しばらくは不可能だろう。
しかしながら、社会は元より仮想的な存在である。不十分な仮想空間上でも、そこで形成された社会は、従来の社会と同様に個々人に影響を与えていく。なので、人類がこれから多くの時間を過ごすであろう、仮想空間での社会構想というテーマはいずれ重要になる。
果たして、仮想空間での社会はどうなるのか、どうなるべきなのか、どう作り上げていくのか?HHP はまだその答えとして不十分なのだが、この困難な問いへの挑戦者が、発展を続けるのを私は支持したい。

参考文献と参考サイト

参考文献
VR は脳をどう変えるか? 著 ジェミリー・ベイレンソン 訳 倉田幸信
私とは何か---「個人」から「分人」へ 著 平野啓一郎
参考サイト
(プロテウス効果に関する論文)
https://vhil.stanford.edu/mm/2007/yee-proteus-effect.pdf
(ねむ氏のサイト)
https://www.nemchan.com/
リアルなアバターに関する記事
https://www.moguravr.com/hyper-realistic-virtual-avatars/

※1の参考元

https://note.com/amaiokashi/n/n4585ce23a923 

追記的ななにか

この文章では、「可愛い」でなくても問題ないが「可愛い」が今の所一番都合が良いから用いる、といったポジションに立っている。

これは、出来る限り一般化された(うちの理系学生に)わかりやすい議論をしたかったからである。

とはいえ、私の「可愛い」への妄執と信仰はこの堅苦しい文章の仮面でも隠しきれていないのだろう。その辺ガチで書くのもいつかやろっかな……なんて思っていたりする。

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