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シン・エヴァンゲリオン、私小説。

しっかりと構成された文章を書くのが面倒になったので、感想を書き殴る。そもそも、今はじめてタイピングでnoteを書いているから大変なのだ。ブラインドタッチは最近覚えたばかりでまだ慣れない。

なので、陳腐な文章、書きなぐられた駄文については許されたい。

エヴァとは何か。3つある。大人になってもロボットアニメを見ているような人達と、庵野秀明が真剣に向き合ったテレビ版及び旧劇場版エヴァンゲリオン。

表向きにはガンダムのように繰り返し描ける物語を作る為のひな型となる物語の形成を目指し、裏テーマとして、アスカを経由しないエンドを目指すための新劇場版エヴァンゲリオン。

そして最後に、そのすべてに終わりと答えを示すために作られた、シン・エヴァンゲリオン。

今回完結編となるシンエヴァの感想を書くとは言ったが、そもそも僕は、エヴァとの付き合いが短い。真剣に見始めたのは18の頃だったと思う。偶然YouTubeに漂っていた、20年以上前のエヴァを批評するラジオ放送を聞いてからだ。そこかサブカルを批評するという回路が生まれ、今のようなオタクと化してしまったのだが、まあそんなことはどうでも良い。とにかく、3年だ。エヴァを真剣に見たのはここ3年の話だ。別にエヴァと25年を共に生きてきたわけではない。

前の文章との接続がまったくうまくいかないが、とにかくシンエヴァの良かったシーンを書いていこうと思う。

まずは冒頭の第三村のシーンだ。劇場で第三村のシーンが一通り終わった時、僕はこう思った。「これって、カウンセリングじゃないか!」と。

第三村におけるシンジの周囲の人間の反応は、極めてカウンセリング的だ。シンジを受容し(トウジやケンスケ)、帰る場所が用意され(ケンスケやアスカ)、定期的に対話する者(黒波レイ)がいる。理想的なカウンセリング環境といって良い。Twitterでロクに対話がないのに立ち直るシンジはおかしいといった意見をいくつか見たが、カウンセリングとはそういうものなのだ。居場所があって、受容されて、対話してくれる人がいれば人は立ち直れる。

言うまでもないが、エヴァは庵野秀明の私小説だ。恐らく、庵野秀明はエヴァQの際に追った傷を回復する過程で、人に受容され、カウンセリングにも通ったのだろう。その過程がそのまま投影されたのが第三村だ。このシーンを、僕は評価している。シンエヴァを描くなら、ここからスタートするのが最も自然だといえる。

第三村でもう一つ良かったのが、綾波タイプの初期ロットこと黒波レイだ。

彼女は破の時のようにポカポカしだすのだが、この過程が破の時のように無理やりではなく、自然に描かれているのだ。人と対話し、言葉を覚え、自分の内から湧き上がるような気持ちに背を押され生きるということを覚えていく。安直な言葉だが、このシーンは本当に感動的だ。自分を持たない個人が内発的感情に目覚め幸せになっていく様が、感動的ではないはずがない。それによく知らない誰かの話ということでもないのだ。

他ならぬ、綾波レイの話だ。

彼女は内発的感情に目覚め、シンジに対する母としての役割もこなし、もっとここで生きていたいと言いながら笑って死んでいった。

シンジはその様を目の前で目撃したが、彼がまた廃人になるようなことはない。カウンセリングを通じて現実を許容するす術を知った彼は、対話者の消えた世界で前に進むことを決意する。

この後ヴィレの面々はゲンドウ率いる者達との対決を迎える。シンジは父との対話をし、アスカに好きだったことを告げ、再び世界の命運を握る。シンジの選択は、結局の所、旧劇と同じだ。他者と向き合い、傷つく世界を選ぶ。完璧に締めくくり、もう思い残すことはシンジ。エヴァが終わり、一人になったと思われたが、シンジの前に姿を現すマリ。マリはシンジを拾い、新しい世界へと向かう。

言うまでもないが、エヴァは庵野秀明の私小説だ。

「ああ、庵野秀明。お前、嫁(マリ)に救われたんだな、、、、」

というのは僕がこのシーンを劇場で見て思っていた感想である。

さらっとシンエヴァを思い返し返せて満足なのだが、よくよく見返したら全く感想を書いていないので続けて書いていく。

まずシンジは、おっぱいがでかくて、好きになる動機のなさそうな女とくっついたわけだが、僕はこのラストをかなり評価している。

大体人間というのは、好きになってから付き合う奴なんてそんなにいないだろう。とにかくちょっと見た目のいい奴と何回か食事をして、付き合って、それでなんとなく好きになっちゃったり、結婚したり、破局したりしているのだ。シンジも同様だ。初恋の女の子(アスカ)との恋が実ればいいがそんな劇的な恋は実らず、ちょっと自分に対する好意が感じられるエロくて優しい女(マリ)とくっついたんだ、例え恋してしまうような女でなくとも。

結局世界はそんなしょうもなさで構成されていて、それが世俗というものなので、エヴァがそこに着地したのは面白いし、結局世俗で生きていくしかないというメッセージが感じられていい。

そもそもカウンセリングといい、今回のエヴァは生々しい。旧劇を見て25年間生きてきたオタクに届くメッセージも、こういう世俗的なものだろう。

旧劇のメッセージを正直に受け取りそれなりに酷い目にあった俺も同じように思った。結局、世俗的に生きていくしかないんだろうと。庵野秀明も世俗を生き抜き、世俗を生きていくと決意したんだろう。

なんだかひどい文章になってきたので、希望について書こう。僕はシンエヴァンゲリオンを見て、希望を感じた。

庵野秀明はすべての整合性を整え、エヴァを決着させた。新しい他者を迎え、メッセージをアップデートさせた。これだけで感動ものだ。Qを見た当時の僕は、庵野秀明はダメだと思った。

シンジの成長ぶりも心を打たれた。旧劇はメッセージを投げかけられただけで終わったが、今回はシンジの成長という形で希望が示されているのだ。それも、上記で言ったように曖昧な成長ではなく、極めて地に足ついた成長だ。旧劇でのメッセージは他者と向き合って生きて行けよ!で終わりだったが、今現在他者との対話を試みる僕らは、他者の気持ちを受け止め、他者を思いやれるシンジを見ているのだから、希望が持てるのだ。僕もいつか、他者の気持ちを受け止め、他者を思いやれるような人になれるのかもしれない。いや、なれるはずだ。きっと、、、、きっと。



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