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【原点は やはり創価の母の一念からだった】

@瀬上スカウト編成部長に感謝を込めて再投稿します。2024年3月29日
       #真価の創花 #NextStage


【原点は やはり創価の母の一念からだった】
山口冨美子さんは、福井県で生まれた。
看護師になり、26歳でご結婚なされた。
夫の転勤に伴い、引っ越しを重ねる中、1990年に長男・貴大さんを岡山で出産。その後、和歌山で二男・修平さんを出産された。
1995年、阪神淡路大震災の直後に、転勤で兵庫県・芦屋へ。
幼い子供を連れての新生活は大変だったが、それ以上に
震災の爪痕が残る荒れた様子に心を痛めていた。
この頃から、以前幼子を連れて行ったことのある創価大学の光景を思い出し、「いつか息子を創大へ」という思いが芽生え始めたという。
その後、転勤で再び故郷の福井市に移り住むと、富美子さんは
長男の小学生貴大さんを学童保育に、修平さんを幼稚園に預けて、看護師の仕事を再開された。
夜勤はされなかったそうであるが、夫は単身赴任中。
仕事が終わったら、急いで子供を迎えに行くのが
夜になることもあったそうである。
長男貴大さんは、中学時はバスケット部。そして中学校の駅伝大会でアンカーをつとめたことなどをきっかけに、陸上の名門校鯖江高校に入学。ここで山崎芳喜監督(当時)のもと、陸上の選手として厳しい指導を受けたことが、大きな転機となった。
鯖江高校が全国高校駅伝(都大路)に出場した時は、四区を走り大健闘。
その直後、創価大学駅伝部瀬上雄然監督(当時)が会いに来る。
お母さんの思いはこうだった。
「息子は国士館か日体大に行きたい。創価大学は三番目、と言ったので私は目の前が真っ暗になりました。何としても創大に行ってほしいと思ってましたけど、男の子は口で言うと反発するので、本人の気持ちが変わるのをじっと待ちました」
こうした母の願いが通じて、2008年、長男貴大さんは創価大学に入学された。
貴大さんの入寮の日、富美子さんは二男の修平さんもつれて、
創価大学に車で向かった。
この時に、二男の修平さんは、瀬上駅伝部監督(当時)と初めて出会う。
富美子さんは「この子も陸上をしているんです」と言った。
瀬上監督は「そうか!じゃあ、君も将来、創価大学においで」と
当時、中学三年生だった修平さんに呼び掛けた。
やがて修平さんは、兄と同じ鯖江高校に進学して、力をつけ、
「都大路」で一区を走り、箱根駅伝常連校からスカウトが来るような、エースへと成長していった。
修平さんは、大学進学を決める時、「自分が実績も何もない時に
最初に声をかけてくれたのは創大だから」と、他の名門校の誘いを断って、創価大学に進学することになる。
つまり瀬上雄然監督の、「想い」が彼の創価大学進学を決めたのだ。しかし、そういう出会いをつくったのは、創価の母、冨美子さんの「一念」以外の何物でもないと思う。
後に、入学の理由を聞かれた修平さんは、創価大学を選んだ理由は
「母を喜ばせたかったから」と語ったという。
それを知った富美子さんは、涙があふれて仕方なかったという。
母は修平さんを創価大学に送り出す時に言った。
「箱根駅伝は国民的行事だから、箱根出場に貢献できる一人になってほしい。創大生として箱根を走ることで大学を宣揚し、創立者に喜んでいただきたい」
兄・貴大さんの在学中は、箱根出場は叶わなかった。
しかし「創価大学の襷をかけて箱根駅伝に出場する」という
母の想いは、弟・修平さんに託された。
修平さんは、その実力によって、一年時に関東学連選抜(当時)に
選ばれて箱根駅伝に出場する。
しかし、彼の想いは「必ず俺がチームを箱根に連れていく」ことだった。
三年生になって、修平さんは主将に抜擢される。最上学年でないのに主将になることは、様々に大変だったことだろう。
その息子に対しての母の想いはこうだった。
「3年生でチームを引っ張っていくのは本当にきつかったと思います。スランプで悩んでいた時期もあったようです。私はなんとか修平に使命を果たしてほしいとの思いで、『絶対に負けたらあかん!何のために走るのか思い出せ!』と心から母としての思いを
伝えました」
その日は訪れた。筆者もテレビで見守っていた。
2014年10月、ついに箱根駅伝予選会を10位で通過して、創価大学は箱根駅伝に初出場を決めたのである。
その時の監督は、瀬上悠然氏であった。
2015年1月2日、山口修平選手は、一区で大手町を出発する。
筆者は忘れない。
彼が東京の鈴ヶ森から、大森海岸に向かうエリアで集団から一歩抜け出して、一時トップを走った瞬間。その雄姿。
それは創価大学駅伝部が栄光へ向かう闘いの始まりでもあった。
ひとりの創価の母の決意は、その後継の息子に受け継がれた。
その息子、山口修平さんの一人立つ闘いが、創価大学駅伝部の
箱根駅伝初出場という、花を咲かせたのだった。
彼を育てたのは、瀬上雄然監督だった。
そして
あらゆる創価の闘いの歴史には、常に名もない創価の母の
闘いがあったことを、私は忘れないのである。


  不定期で、創価大学駅伝部の応援投稿をしております。
  創大生の後輩が365日ほぼ休みなく練習して、2024年の今日も走っていることでしょう。選手、マネージャー、主務などの駅伝部メンバーは
大いなる目標に向かって今も闘っています。選手として、そして陰のネージャー、主務などの皆さん、お怪我無く、万全の体調で日日闘っていってください。
いち卒業生の一人として、生涯応援させていただきます。

投稿内容は主に以下の資料を参考にいたしました。
@創大駅伝部の応援に役立つ徹底ガイド 潮出版社
@箱根駅伝2022完全ガイド  ベースボール・マガジン社

@2021年にまとめていた記事です。あらためて2023年11月29日
POSTいたします。記事の丸ごと転載厳禁。リポスト、シェアはご自由に
されてください。2023年11月29日投稿後、 2024年3月29日瀬上雄然スカウト部長に、満腔の感謝を込めて再投稿します。いち創価同窓生

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