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【三つの歌~追悼の歌水平線を越えて】       ②黒田 勇吾

【追悼の歌 水平線を越えて】 の曲と歌詞が完成して、自分で何度も歌った。
これであれば、誰かの心に届くだろう、そう思った。
1人でもその心に届けばいい、という想いだった。

僕ら家族は、たまたま東日本大震災で、生き残らせていただいた。
でも親せきや友達の家族や、友達本人も犠牲になってしまった方がたくさんいた。
特に、仮設で知り合った方々に寄り添う方法を自分なりに考えた。

石巻市内の知り合いで、ピアノ教室の講師をされているAさんという女性がいた。
(そうだ彼女だったら、編曲などは得意かもしれない)
そう思いついて、音楽教室の電話を調べて、Aさんに連絡した。
私の申し出に快く応じて頂き、楽譜を渡して数日で、ピアノ伴奏用に編曲されたデモテープをわざわざ自宅に届けてくれた。
彼女の寄り添いの素早い行動に感動した。我が家の玄関先でAさんが言った。
「私は、歌はそんなにうまいレベルではありません。それでこの曲を編曲しながら、思い浮かべた女の子がいます。私の音楽教室の教え子のような子なんですが。Yちゃんと言います。
歌がとても上手なんですが、ボーカルとして推薦させていただいていいですか?」

私は、そこまで考えて頂いたAさんの想いに心で泣いた。そして私のこの歌に対する想いをあらためて、話した。
「この歌をAさんが推薦していただいたYちゃんに歌っていただいて、出来ましたら、1曲だけのアルバムにして、20枚創りたいけど、どうでしょう?」
「分かりました。それではYちゃんと連携取って。教室でこのピアノ伴奏で
録音したら、音源持ってきますね」と言って帰った。

これが、私とAさんとYちゃんのチーム結成のもとになった。

やがてそうした歌ができたことを全国の仲間たちに話し始めた。
初めに歌がもうすぐ完成するという話をさせて頂いた長野在住の
Bさんが、無償で私にその20枚のミニアルバムを創らせて、という申し出を
していただいた。

          
            ~~③へ続く~~


          青森県在住の 近千里さん制作のバージョン。
   「追悼の歌 水平線を越えて」 
  なぜ青森の近さんと繋がったのか?③以降でお伝えします。



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