【初愛】~君に捧ぐいのちの物語~① 黒田勇吾~新クリエーションVr.
第一章 再びの道 ①
三月十一日の午後、安田公春(やすだきみはる)は牧野石市の南風(なんぷう)地区で行われた3・11の追悼祈念の集いに出席した後、車でひとり日和ケ山に上っていた。
曇り空で風が冷たく、春はまだこの牧野石市には来ていないようだった。外で行われた祈念の集いとその前のお墓参りで冷え切った身体を車のヒーターで温めながら、公春は日和ケ山公園の道路脇に車を駐車してしばらく考え事をしていた。
震災からちょうど四年の歳月が今日で過ぎる。。それは激動の日々だったが、やれることはすべてやり切ったという達成感も公春にはあった。と同時に一方で言い知れぬ虚しさも心の奥で何かを呟いていた。これでよかったんだという思いと何もかもが無意味だったという囁きも聞こえる。
まとめ切れない心の葛藤を持て余しながら、温まってきた両手をゆっくりと擦った。やがて公春は車から降りると、すぐ近くの海が見渡せる場所まで歩き、欄干にもたれかかりながら黙って太平洋を見下ろした。燦燦と輝き広がる海ではなかった。曇り空の弱い光の中で日和ケ大橋の向こうのはるか水平線はぼんやりと灰色に燻ぶっていた。空と海の境目がはっきりせず、左遠方に見えるはずの女鹿(めじか)半島の姿も雲に霞んで観えない。
今日は力のない水平線だなーー公春は思った。しばらくぼんやりと眺めていた公春は、やがて気持ちを入れ直し、欄干から身体を離して、直立すると海に向かってゆっくりと手を胸に持ってきて合わせた。そして静かに目を閉じた。それは津波で亡くなった方々への鎮魂の祈りであり合掌であった。そしてしばらくした後で、こんどは愛しかった人の安寧を祈った。
(万里江、安らかに眠っているかな。俺は今日からまた復興支援の活動を頑張るから心配しないで見守ってくれよ)
津波で未だ行方不明の、婚約者だった万里江に静かに語りかけた。心の想いを口にして語り掛けるといくらか迷いが消えていくように思えた。自分が弱気になったら皆の士気も下がるだろう。俺は負けられない。国や行政に頼らず俺たちは俺たち独自の復興支援の闘いを続けるのだ。公春は、そう自分に言いきかせると、合掌した手をゆっくりと下ろして一礼し、車に戻ろうとした。
その時、目を逸らしかけた水平線が突然波立ったように見えた。
遠く、遥かな水平線の一本の横線が波のように震えたのである。
白い波が噴出したようにも見えた。
公春は、え?となってもう一度身体を海に向き直して、手すりにつかまった。
顔を突き出して、あらためて水平線を詳細に見詰めようとした。
その公春に向かって合図をするように海の真ん中の一部の青が一瞬赤く光った。
その光は数秒間赤と青に点滅してからふっと元の青い海色に戻った。そのあと、呆然と立ち尽くした公春の身体を抱くように、暖かい風が海側から吹いて、公春の髪をかき上げた後、唇に何かが触れたように公春は感じた。唇を恐る恐る指で触れた。人差し指にあかい血のような水滴が滲んでいた。
左手の人差し指を見つめると、それは血の色ではなくて、口紅の懐かしい色であることに気づいた。
(万里江がいつもつけていたリップの懐かしい色?、、、。)
公春は混乱した。何が起こったのだろう。今のこの数十秒の間に起こった
不思議な感覚のすべてに、理解不能の感触を感じた。
公春は今一瞬、自分は別世界の不可思議な風のようなものを受けていた、と思った。
そしてちょうど4年前のあの日の雪景色が俄かによみがえってきた。吹雪になった空の下で怒涛の流れの中で川から海へと流されている自分と、それを追いかけるように土手際を走っている万里江の必死の叫び声が耳によみがえってきた。。。
公春は我に返った。今自分がいる場所は日和ヶ山の頂の展望台の上だ。
海ではない。遠い昔の思い出が一瞬よみがえっただけだ。デジャブだった。
公春はあたりを見渡した。いつもと変わらぬ公園の風景。道路の先には自分の車が停まっている。何も変わっていない。時折車が通り過ぎ去り、何人かの観光客らしき人が、神社がある階段へ上っていく。
振り返ってもう一度海を眺めたが、いつもの寒々とした水平線の風景が遠くに見えるだけだった。
公春はため息を一つして、さらに一度深呼吸をしてから車に向かって歩き始めた。
それでも胸のざわつきは続いたままだった。
(第1回のみ掲載 2024年8月4日)
@フォトはAI画像生成。実在の人物ではありません。