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愛=セロトニン?

 愛とは何か?これは人類の永遠のテーマではないだろうか。私が思うからに、愛とは、雪見だいふく1個ちょうだいと言われた時にあげようと思えるその暖かい気持ちだと思う。いや、大真面目に言うと愛とはセロトニンをさせることを指すと思っている。セロトニンというのは神経伝達物質であり、ドーパミンやノルアドレナリンの分泌量を調節したり、睡眠に関係するホルモンのメラトニンの材料になったりする。これが分泌されると人はいわゆる「安心」を感じる訳だ。うつ病の人にはこの神経伝達物質が致命的に不足している。
 例えば、大好きな人と手を繋いでドキドキする。好きな人にLINE送って返信が来ないかドキドキする。これは愛なのだろうか?いいや、私が思うからにどちらかと言うとこれは恋ではないだろうか?そして、このときはドーパミンが分泌されていると私は考える。
 仮に、セロトニン=愛、ドーパミン=恋だとしよう。世の中にはセロトニンをえげつないくらいに作動させる薬が存在する。LS○とかDX○とか、まぁ所謂「幻覚剤」のことだ。実は依存性は低く健康にもそこまで害のないものだが、大抵違法である。何故ならば「バッドトリップ」が大変危険だからだ。大概の幻覚剤は自分の心の状態を整え、部屋の環境を整えて摂取しないと稀に見たくないものばかり見えてしまい、マイナス思考がばきゅんぶきゅん駆け巡るようになる。それがバッドトリップだ。この状態ほど怖いものは無い。また、セロトニン過多で健康を損ねる場合もある。セロトニン症候群といい、発熱、嘔吐、錯乱、興奮、振戦といった発作が起こる。私も何度か経験したことがあるが、これは決して心地のいいものでは無い。死を受けいれ運命を受け入れるレベルだ。それは愛と言えるのだろうか?それとも、愛を注ぎすぎたらこうなるのだろうか?
はたまた話を少し変えて、恋の方の話をしよう。この世の中にはドーパミンを出す蛇口を全開にするやべえ物質がある。覚せい剤のことだ。覚せい剤を摂取した状態と、パチンコで大当たりした状態と、恋が叶った瞬間は確かに通ずるものがある。どれも共通して言えるのが、報酬系ジャックポット状態だということだ。人間は恋をすると盲目になるが、これは相手ではなく相手を手に入れた達成感の方に目がいってしまうからでは無いだろうか?と私は考えている。すなわち、ドーパミン=恋は成立する。ちなみにドーパミン過多になると統合失調症になるというのは小話として置いておこう。興味のある人は調べるといい。
 つまり今までのことをまとめると、恋はあからさまにドーパミンかもしれないけど、愛は1つの神経伝達物質で表せられるほど単純じゃないということが分かる。個人的な体験談に基づくと、例えば好きな人に頭を撫でられている時に感じる感覚と、オピオイドを摂取した時の感覚はかなり近い。とにかく、気持ちいい。その果てしない安心感は愛に通ずると思う。それを裏づけるものとして、「エンドルフィン」があげられる。これは脳内モルヒネと呼ばれており、オピオイド受容体に作用する神経伝達物質だ。これは幸せを感じた時に分泌されるものだ。また、空腹時、痛みを感じた時、命の危険を感じた時にも分泌される。死ぬ間際にたくさん放出されると言われていて、神からの最後のギフトとさえも呼ばれている物質だ。(死ぬ瞬間はとんでもないくらい気持ちいいというのは有名な話ではないか?)それもまた、愛なのかもしれない。

※この文章はあくまでも筆者の自論であり筆者の感覚で書かれております。参考にしないでください。

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