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沈黙

※1995年4月社内報掲載
(阪神淡路大震災で被災されたみなさまに改めてお見舞いを申し上げます)

神戸は前日からの雨が上がり、薄曇りで冷たい風が強く吹いています。

今月の社内報がお手元に届く頃には、入社式も無事に終わり、新入社員も新しい生活を不安と期待で胸一杯で過ごしている事だと思いますが、来年に向けた採用活動はもう始まっています。今年も既に、2月・3月と関西へ出張していますが、2月には、ホテル滞在中、夜遅く余震があり、飛び起きて慌ててテレビをつける体験をしました。

ご承知のとおり、関西の交通網は寸断されているので、今回、大阪から姫路まで、JRと阪急電鉄をアミダクジのように乗り継いで移動しました。

JRと阪急電鉄の駅間を徒歩で30分くらい歩いたのですが、大きな通りでは整理され始めていますが、少し小さな通りを覗くと、まだほとんど手がつけられておらず、傾いた家や電柱に囲まれながら歩いていると、平衡感覚が変になってしまいそうでした。

建物の壁には「がんばろう神戸」のポスターが貼られ、路地のそこここで、水道やガスの工事が行われていました。少し大きな公園には被災者の方のテントが並んでおり、そこからは子供たちの明るく元気な声が聞こえてきたので、少しだけホッとしました。
震災後2ヶ月、少しずつですが復興の動きは部外者の僕にも分かりました。

JR三宮の駅前に立って、最初に感じた事は、その空の広さでした。

幾つかのビルが取り壊されて、すっかり風景が変わっており、よく通っていた喫茶店もなくなり、いつも人懐っこい笑顔の店主のご夫婦は、幸いご無事だったそうですが、ご家族の家に身を寄せられているとのことで、ご無事で安心しましたが、再会する事は叶いませんでした。
まさに、一夜にして生活も風景も変わってしまう体験など、僕には到底想像できません。そんな現実に触れて、冷たい風が目にしみるのか、悲しいからなのか分かりませんが、涙が出て仕方がありませんでした。

ここにいても僕には何も出来ないのです。
「頑張ってください」の一言なんて、この現実の前では何だか空々しくて、姫路からの新幹線の中でも、妙に苛々している自分と頭の中で「頑張ってください」という何に対して、どう頑張ればいいのか分からない言葉が現れては消えていきました。

移動のためとはいえ、震災地を歩いて、僕の中の価値観が変わりました。今、自分が何が出来るのかをいつも考えて生活する大切さを実感しました。この僅かなスペースで皆さんに全てをお伝え出来ませんし、この状況や心境を表現する言葉を最後まで見つけられませんでした。

結局、僕は新幹線の中でも沈黙していました。

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